【ARCHIVE:中原浩大】1992年『Art & Critique』21号〈DIARY〉「僕の欲しかったタンキングマシーン」ナラヨカッタノ二 文・吉田裕子


【ARCHIVE:中原浩大】CONTENTS
▶『Art & Critique 23』「アペルトより」文・中原浩大(1994年)
▶『Art & Critique 21』「アノーマリー少年」文・光田由里(1992年)
▶『Art & Critique 21』〈DIARY〉文・吉田裕子(1992年)
▶『Art & Critique 15』〈INTERVIEW〉構成・長谷川敬子(1990年)


 

芸大生の夏休み見聞録(文・吉田裕子) より一部抜粋

「僕の欲しかったタンキングマシーン」ナラヨカッタノ二 1992年9月12日(金)

彼を初めて見たのは8月の半ばすぎ、まだ暑かった頃。黒い鉄の表皮を剥出しにしその身体を上下ふたつに分けられて手を加えられていた。これがコ一大(中原浩大)さんのタンクであった。その次に彼を見たのは夏の暑さが少し引いた頃。場所は東京だった。その時はすでに表皮も白かった。犬みたいな顔もついていた。電熱線も用意されていた。なかったのはお腹のなかの塩と水だけだった。私の心中は恐ろしく複雑だった。こうなると知ってはいたが実際に実物をまのあたりにし取り乱してしまった。これは私には、今の私には受けとめることはとうていできない事件だった。まるでそれは子供が捕まえた蝶やトンボの羽をむしる姿を目の前でみてるような、本人が気付かぬ残酷さを丸出しにしていたからなのかもしれない。せめてウィットなタイトルがついていたらな~んだそうなのって笑ってとうりすぎることができたのに。それさえもなかった。「僕の欲しかったタンキングマシーン」ならよかったのにって。
中原浩大/アノーマリー展(レントゲン藝術研究所)

 

『A & C : Art & Critique』No.21
(1992年12月25日 京都芸術短期大学芸術文化研究所[編])
より再掲

 

この記事は、京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)が刊行していた『A & C : Art & Critique』誌21号(1992年)に掲載されたものです。転載を許諾して下さった中原浩大氏、吉田裕子氏、『A & C : Art & Critique』誌元編集担当の原久子氏、京都造形芸術大学のご厚意に感謝申し上げます。(REALKYOTO編集部)


 



なかはら・こうだい
1961年 岡山県生まれ。86年 京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。96-97年 文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに滞在。現在 京都市立芸術大学彫刻科教授、美術作家。

よしだ・ひろこ
京都生まれ。料理店オーナーシェフ。1993年 京都市立芸術大学美術学部美術科彫刻専攻卒業。95年 同・大学院美術研究科彫刻専攻修了。2000年に吉田屋料理店を開業する。


〈注〉
アノーマリー展
1992年に、東京・大森にあったレントゲン藝術研究所で開催されたグループ展。キュレーターは椹木野衣。参加作家は伊藤ガビン、中原浩大、村上隆、ヤノベケンジ。90年代日本の「ネオポップ」を象徴する展覧会と言われる。中原はヤノベがすでに発表していた作品に酷似するアイソレーションタンク作品を出展した。

 

(2014年2月12日公開)