人の手が入り続ける作品がいちばん面白い

インタビュー:淺井裕介(アーティスト)
(聞き手:小崎哲哉)

 
マスキングテープとペンで描く植物絵「マスキングプラント」や、訪れた土地で採取した土を画材とする「泥絵」など、ユニークにして寓話的な絵画で人気の画家が、開催中の『六甲ミーツ・アート 芸術散歩2012』で「主催者特別賞」を受賞した。受賞作品は、六甲ケーブルの車内と駅舎に描かれた「根っこのカクレンボ@六甲ケーブル」。あえて美大に進まず、独自の道を歩むアーティストに、創作の原点やアート観について尋ねてみた。
 
――主催者特別賞受賞、おめでとうございます。まずは受賞の感想を聞かせて下さい。
 
これまであまり賞をもらったことがなく、公募作家のための授賞式だと聞いていたのもあって、びっくりしました。こういうアートプロジェクトでは絵描きの参加が少ないから、その意味ではうれしかったですね。
 
――今回はケーブルカーの駅舎と車内での作品展示ですね。

「根っこのカクレンボ@六甲ケーブル」(2012年9月作成@六甲山上駅)


僕はもともと、マスキングプラントを街中でゲリラでやっていて、駅や電車の中にも描いて、駅員さんにつまみ出されることもしばしばでした。今回は同じ車内での制作もありましたが「やって下さい」と言われ、見守られながらの制作だったので不思議な感覚でした。
 
――グラフィティのライター的な感覚があったりするんでしょうか。
 

「根っこのカクレンボ@六甲ケーブル」(2012年9月作成@六甲山上駅)


そうですね。悪いことしてやろうという反抗心ではないんですけど、電車のドアが開いたときに絵を描いている人がいたら面白そうだと思って。大きい画用紙を持ち込んで、電車の吊革にかけて描いてみたんですが、次の駅で止まったころには「何号車の何番目のドアにこんな人がいた」という情報が伝わっていて、開いた瞬間につまみ出されたこともありました(笑)。でも、置きっぱなしにはしません。マスキングテープで駅に鳥を描いたりもしたけれど、僕の場合、目的が描くことそのものにあったりするので、ひととおり楽しんだらちゃんと剥がすんですよ。
 
――スプレーやステンシルを使ったことは?
 
やってみたいけど、気が小さいからそこまでできないんです(笑)。

そういえば、僕の作品は、完成しているようなしていないようなところがあって、誰かが葉っぱを足しちゃうのも全然あり。以前に福岡でグラフィティライターに加筆されたことがあります。街にマスキングやってたら、スプレーで葉っぱがシュッて付いてて。それが「こいつ、よくわかってるな」というくらい流れに合ったところに、しかも、ぎりぎり僕のマスキングテープにかからないように配慮してあったんです。うれしかったですね。

代々木公園でも作品にスプレーでシュッとやられたことがあるんですけど、それは全然駄目だったんですよ。ただ目立ちたいだけというか、僕の作品にとっても、公園にとっても、描いた人にとっても何も良いことが発生していない気がしました。「わかってる奴」と「わかっていない奴」って、はっきり分かれますね。
 
●テープと泥の発見
 
――淺井さんは、アウトサイダーアート(正規の美術教育を受けていない作家の作品)だと指摘されることがあります。高校の文化祭で壁画を描いたのがきっかけだったと聞きましたが、それまでは全然描いていなかったんですか。
 
授業中に教科書に絵を描いたりはしてたんですけど、発表するという意識で描いたのはそれが最初でした。好きなアーティストが出来たのもけっこう後です。僕は東京生まれで、周りに自然がない環境だったので、森への憧れや、知らないからこその後ろめたさがありました。公園のトイレの後ろにある植物を見て、「この辺の苔をズームアップしたら森っぽいんじゃないか」などと考えていました。

「根っこのカクレンボ@六甲ケーブル」(2012年9月作成@六甲山上駅)


――自然への憧れが絵を描く最初のきっかけになったということ?
 
単純に「絵を描く」ことは、最初は遊びとして始まるじゃないですか。幼少期はTVゲームのキャラクターのスーパーマリオなんかを描いていました。でも、僕はマリオがうまく描けないからつまらない。それでも絵を描きたいから、背景のステージのほうを描くんです。キン肉マンを描くにしても、リングを描く。そうすると「描きたい欲」が満たされる。子供のころから目的は「描く」ほうにあり、手を動かしているほうが楽しいんです。その要因はどこから来ているのかわかりませんが、その辺はずっと変わらないままです。皆がキャラクターを描いているときに、ひたすらゲームの背景みたいな架空の地図を描いていました。
 
――マスキングテープに注目したのは、どういうきっかけですか。
 
2003年に始めたんですが、当時は紙に抽象画を描いていて、その画材としてはすでにテープを使っていました。画廊MABUIっていう沖縄のおっちゃんがやっているギャラリーで展示をしたことがあって、貸し画廊だから自分で受付しなきゃいけない。何かやれば人は来ると思ってたんですが、大学も行ってない、教わってる人もいないから、呼ぶ人がいなかったんです。だから、受付の時間がすごく退屈で。でも、受付中に絵を描くわけにもいかないから、キャプションを貼るために持っていっていたマスキングテープで、自分の絵の周りに貼り始めたのが最初です。ひと晩かけて描いて、もうその日の内にギャラリーと家の間の電信柱に描いたりして。行きに描いて帰りに剥がす、みたいな(笑)。

「根っこのカクレンボ@六甲ケーブル」(2012年9月作成@六甲山上駅)


――すごい(笑)! でも、それだけ描きたいという意欲があって、美大に行かなかったのはなぜ?
 
僕は美術館にもほとんど行ったことがないくらい、美術とは縁がなかったんです。何をしてもいいけどお金は出さないという家だったので、画材代は自分で稼いでいました。学費も自分で稼げと言うんで調べてみると、美大って100万、200万円もかかる。「100万円あったら相当画材が買えるぞ!」と思って。最初は無知だったので、とりあえず高い絵具から、日本画の顔料から、100円ショップで売ってる絵具から、片っ端から試していきました。
 
――泥絵という画材はいつ発見したんですか。
 
20歳くらいのとき、究極の画材は何だろうと考えていました。最終的には身近にある土、水、石、火、光……みたいなもので描けるようになれたらいいなと思って。でもそのときは手を付ける自信が持てなくて、まだやってはいけない気がしていました。未熟だったし、神聖視というか、特別なものに思えたんですね。

2007年にインドネシアに行ったときに、見たことがないくらい大きくて、すごい生命力のある、お化けみたいな植物に出会いました。バンヤンツリーという木です。そのとき、「いま、このタイミングだ」と思って、思い切って土を使ったんです。何の実験もせず、行き当たりばったりだったんですけど、描けるという自信だけはなぜかありました。

面白かったのが、展覧会のためのキャプションを付けるとき。「素材欄に何て書きますか」と聞かれ、「土と水」と答えたんです。インドネシア語で土が“tanah”(タナ)で、水が“air”(アイラ)。ところが、知り合いになったインドネシア人が「お前、ここに『祖国』って書いてあるぞ」って言う。その2つを続けて読むと“tanah air”(タナアイラ)で、「祖国」という意味になるらしいんです(笑)。そのときに画材と自分の距離がぐっと身近になったように感じて「ああ、やっぱりこのタイミングだったんだ」と思いました。

これまで描いた中で最大の「泥絵」(2012年4月@国際芸術センター青森)


●アウトサイダーアートとの共通点
 
――淺井さんは、作風的にもアウトサイダー、特にアールブリュットの作品に共通点が多いように感じます。西洋的な遠近法を使っていないから画面に奥行がない。精密性、稠密性がある。同一パターンが反復される。動物や植物などプリミティブなモチーフが多い。そして、そこに何かしらの物語性が感じられる。
 
確かに、似てると思います。オーストリアにある「グギングの家」で日本人監督が撮った『遠足 Der Ausflug』という映画を見たことがあります。障害のあるアウトサイダーアーティストがたくさん住んでいるところで、その中に登場するオズワルド・チルトナーという作家の絵を描いている姿に衝撃を受けました。線だけで、すごくフラットに、自分の必要性に応じて素直に描いている。日常生活の一部として、特別じゃない、当たり前の行為として描いていたんです。でも一方で、僕は伝わらないと次につながっていかないと思っているので、その辺は少し違いがあります。どうしたらもっと良い絵になるか、いつも考えているし。

ただ、自分もひとりでずっと描いていると、行き詰まってくるというか、だんだん不安が増えてくることもあって。昔、友達のおじいちゃんの家が空き家になってるって聞いて、長野の山の中に籠もったことがあるんです。夜が真っ暗で、都会っ子なので寂しいという気持ちになって(笑)、わら半紙にクレヨンで、ゴジラみたいな赤い怪獣や、雪だるまなんかを描いて。本当に子どもの気持ちになって描いてその辺の壁に貼ってみたら、部屋が「守られる」っていう気がしたんです。そのときに、アウトサイダーの人たちのことをちょっと思い出して、救われたというか、「あれでいいんだ」みたいに思ったことがありました。

僕にとっては、絵を描くことができる世界が良い世界なんです。でも、僕はすごくたくさん描いちゃうので、「残す」ことについて考える機会が多いですね。描いたら描いた分だけ僕の絵が面積を占めることになって、残りの世界は減って小さくなる。そう考えていくと、描くことは手放しに喜んではいけない、アーティストってのはちょっと悪い奴だなと思います。
 
――逆に、世界に何かを付け足すというふうには考えられませんか。
 
付け足すことにはなりますけど、物質的には狭くなるし、情報量も増えるわけですよね。それには、何か罪悪感を感じます(笑)。それでも「作る」、そして「残す」暴力もやっちゃうのが、アーティストかもしれません。
 
――オーストラリアのアボリジニの絵にも共通するところがありますよね。
 
そう言われるとうれしいですね。僕、インドのミティラー画とワルリー画にもけっこう興味があって。ワルリー画って20歳のときに横浜で初めて見たんですが、全部点と三角形だけで、輪になっていたり、女の人になっていたりするんですよ。米の粉で描いたりしていて、その影響はやっぱりあるんだろうなと思います。
 
――淺井さんも小麦粉を使っていますね。
 
使ってます。小麦粉の類も土と同じで世界中にある画材です。僕はインドにここ3年間毎年行っていて、ワルリーの村にも行ったんですよ。みんな農業やってるから「絵だけ描いているんじゃないんですね」って言ったら、「何でそんなこと聞くんだ」って不思議そうな感じで聞き返されました。生活を伝えるために描いているから、農業やらないと絵は描けないんです。

小麦粉で描いた「粉絵」


●絵を描くことは自分の中心
 
――淺井さんはマスキングテープで作ったものを「収穫」と称して回収し、改めて作ったものを「標本」と呼んでいるそうですね。「収穫」以前のものはまだ生きていて、「標本」は死んでいるという捉え方なんでしょうか。
 
ある程度そういう捉え方です。「生きて残っている」という状態がいちばん面白いと思っているんですが、「死んでいるけど残されている」ものもあります。生き残っているというのは人の手が入っている、入り続けている状態で、人の住む家など建築でもそうですけど、「生き残っている」状態で絵が残ったら面白い。標本はそういう意味ではかなり完成しているものですが、一方で、僕が搬出に参加できなかった展覧会のときに、球や人形型の標本をスタッフに渡して、剥がしたテープをひたすら貼ってもらうことがあります。そうすると、ひと回り大きくなって返ってくる。そういうふうに、生き続けて、動いていく標本もあります。

マスキングテープで作った「標本(人形)」


――彫刻や陶芸のほうに進む可能性はありますか。
 
実は陶芸はずっとやっていたんですよ。高校は陶芸科出身で、生の土のきれいさもそのときに目にしています。今年の2月にあざみ野で展覧会をしたときには、お茶碗をいっぱい重ねた「お茶碗島」という作品を作りました。

とはいえ絵を描くことは自分の中心で、こだわりがあります。1枚の絵を描くつもりで陶芸を作ったり、彫刻をしたり、ご飯を食べたり、歩いたりしている。マスキングプラントも泥絵もいっぱい描いていますが、常に前の作品の続きを描き始めるみたいな感じなんです。1つ前の作品を消してから描いたり、自然な流れの中で前に描いた絵画作品を彫刻に引き込んだり。そういう良い流れ、良い環境が作れたらいいなと思っています。
 

「根っこのカクレンボ@六甲ケーブル」(2012年9月作成@六甲山上駅)


あさい・ゆうすけ

1981年、東京生まれ。神奈川県立上矢部高等学校美術陶芸コース卒業。2008年、インドネシアで開催されたグループ展『KITA!! Japanese Artists Meet Indonesia アジアへ発信!日本の現代美術』に出展し、10年には『あいちトリエンナーレ2010』に参加する。09年、「VOCA2009展 大原美術館賞」を受賞。野外での公開制作や、壁画制作なども活発に行う。『六甲ミーツ・アート 芸術散歩2012』は11/25まで開催中。

 

(2012年10月13日公開)