「補助金不交付の撤回を」
KEX 橋本裕介ディレクターのスピーチ


小崎哲哉

KEX ことKYOTO EXPERIMENT 2019が開幕した10月5日夜。ロームシアター京都で世界初演されたチェルフィッチュ×金氏徹平の『消しゴム山』が終わった後に、同劇場のローム・スクエアにつくられた野外特設ステージでオープニングパーティーが開かれた。門川大作京都市長に続いて、KEXの橋本裕介プログラムディレクターのスピーチが始まったとき、僕は後ろのほうで友人とワインを飲んでいた。どうせ儀礼的な挨拶だろうと思って談笑していたのだが、穏やかならざる言葉が硬い口調で語られていることに気が付いてステージに近寄った。以下、橋本ディレクターの承諾を得て、スピーチの草稿を転載する。

スピーチを読み上げる橋本ディレクター。左は門川市長





お集まりの皆さん、KYOTO EXPERIMENT 2019オープニングパーティーにお越しいただき、ありがとうございます。

天候にも恵まれ、KYOTO EXPERIMENT 2019が本日開幕しました。今日からの23日間、京都市内の様々な場所で、公式プログラム11作品、フリンジプログラム51作品、それにまつわるトークやシンポジウムなど毎日イベントが行われます。

開催にあたり、様々な形でご支援いただいた団体・個人の皆さんに心から御礼申し上げます。そして、身を粉にして働き、今日の日にこぎ着けた、KYOTO EXPERIMENTのチームのみんなに感謝します。

 
さて、これから始まるフェスティバルへの期待や喜びの一方で、表現の場を支える社会的、制度的な基盤を揺るがす事態が、今この日本では生じています。そのことに向き合わずして、これからの23日間を安全で、かつ意味のあるものにすることはできないと考えます。

 
そもそも現在日本と近隣諸国の間では、政治的な緊張状態が続いています。しかし我々芸術に携わる者たちは、そうした状況を理解した上で、個人としてそれらの地域の人たちと繋がり、文化的な交流を図るべくこうした事業を行なっています。このような志を共有し、困難な中参加していただいたアーティスト・関係者の皆さんに感謝申し上げます。

 
すでに採択されている「あいちトリエンナーレ2019」への補助金を交付しないという文化庁の方針は、恫喝・脅迫によって表現活動が中断されたという事態を国家が許容するということに他ならず、深刻な事態だということを指摘したいと思います。これは、愛知だけの問題ではなく、文化庁の補助金を得て活動しているこのKYOTO EXPERIMENTにとっても他人事ではありません。おそらく全国にある多くの公立劇場や美術館・アートセンターなども関係することです。

 
日本の法律である、文化芸術基本法においては「我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である」とされています。つまり、文化芸術を所管する文化庁の責務は、自主的な文化芸術活動を尊重し支えてゆくことです。現在会期中の「あいちトリエンナーレ2019」に関して文化庁が行うべきことは、恫喝や脅迫といった外部からの圧力によって中断を余儀なくされた展示を含め、採択された事業をやり遂げるための支援であるはずです。

 
私橋本裕介は、今回の決定がそのような文化庁本来の役割に反する態度であり、それに抗議し、不交付の方針の撤回を求めます。

今、あいちトリエンナーレでは、中止された展示の再開に向けて準備が進められていると聞きます。私はトリエンナーレの事務局で、想像を絶する努力と忍耐でこの事態に向き合っている方々に敬意を表し、再開を支持します。

 
そして、各地で開催されている芸術祭や文化施設で行われる催しと同様、このKYOTO EXPERIMENTもまた、市民社会にとって必要不可欠な表現の自由を守る砦であり、ここにお集まりの皆さんと共に、この場を楽しみながら、辛抱強く守っていきたいと考えています。

今日から始まる23日間に、ぜひ最後までお付き合いください。

本日はご来場ありがとうございました。




橋本ディレクターのスピーチ後に、ニュイ・ブランシュKYOTO 2019のために京都を訪れていたローラン・ピック駐日フランス大使が、門川市長に請われて急遽スピーチを行った。KEXの開催に祝意を述べ、「KEX2019の成功を祈って乾杯!」とグラスを掲げた大使は、笑顔で「表現の自由にも」と付け加えた。市長も含め、来場者の多くがふたつのスピーチに盛大に拍手を贈った。

ステージを降りた大使に少しだけ話を聞いた。文化芸術のよき理解者として知られる大使は「私はこの国のペルソナ・ノン・グラータになったかも」と冗談を言った。「Persona non grata」というラテン語は「好ましからざる人物」を意味する。ある国家が、その国に駐在する外交官に対してこの表現を発動すると、それは即ち国外退去通告ということになる。もちろんそんなことはありえないし、むしろ日本は、大使に深く感謝すべきだろう。

フランスでは、1966年に国立劇場オデオン座がジャン・ジュネの『屏風』を上演した。その際に、元軍人や極右団体が上演を妨害し、国会で右翼議員が国立劇場への補助金停止を要求した。『屏風』は、僕もレビューを書いたことがあるが、アルジェリア独立戦争を背景に、差別の構造が連鎖してゆく様をグロテスクに、かつユーモラスに描いた傑作だ。右翼は、この作品は反フランス的であると断じたのである。

そのときにジュネとオデオン座を擁護し、上演批判に反論した文化大臣アンドレ・マルローのスピーチが素晴らしい。原文はフランス国会のウェブサイトで、和訳は仏文学者でメディア論の専門家である石田英敬東大名誉教授のブログで読むことができる。一部を引用してみよう。

「この戯曲を読んだ人なら誰でもこれは反フランスの戯曲でないと分かります。それどころか、この戯曲は『反人間的な』芝居なのですよ。『スベテに反対する』戯曲なのです」

「『この芝居は私の気持ちを傷つける、だから禁止すべきだ』というようにみなさんが考えるとすれば、それは異常な考え方だということです。理にかなったまっとうな考え方とは、次のようなものです。『この芝居があなたの気持ちを傷づけるとおっしゃるなら、その芝居の切符を買うのはおよしなさい。他の芝居を観に行けばよいでしょう。必ず観なければいけないという義務はあなたにはないのです。(お芝居は)ラジオやテレビ放送とはわけがちがうのですからね』」

「もしひとたび皆さんが主張するような基準を当てはめはじめたら、私たちは、フランスのゴシック絵画の半分は美術館から撤去しなければなりません。なぜならグリューネヴァルトの『イーゼンハイム祭壇画』はペスト患者たちのために描かれたものであり、それにゴヤの全作品もまたすべて美術館から撤去すべきでしょう」

「『屏風』を上演するために国が助成金を出すべきかどうかが問題なのではないのです。国立劇場のような劇場で、ある一定の方向に向かう作品だけを上演すべきかどうか、が問題なのです」

優れた小説家でもあったマルローらしく、実に説得力のある内容である。あいちトリエンナーレへの補助金全額不交付を発表した日本の文部科学大臣とはまったく逆だ。文科相を含む(そして長官以下、文化庁の全職員を含む)日本の文化行政担当者は、マルローのスピーチを熟読玩味し、橋本ディレクターら現場の関係者の声に耳を傾けるべきである。

ローラン・ピック駐日フランス大使と橋本ディレクター


(2019年10月7日公開)