「サミュエル・ベケットを〈読む〉」レクチャー1:多木陽介

サミュエル・ベケット作『ゴドーを待ちながら』京都芸術劇場春秋座公演【関連企画】



 
レクチャー:多木陽介

サミュエル・ベケットは1906年から1989年まで、20世紀のほぼ全体を生き抜いた人間です。これまでは、当然、彼の生前の業績が問題にされてきたわけですが、今日は私も小崎さんも、彼が「亡くなった後」つまり1989年以降に、ベケットに対する演出家やアーティストたちの見方がどう変わっていったのか、というところをお話ししようと思います。と言うのは、彼の死後、ベケットについての見方が、非常に大きく変わります。そこでまず僕なりの見方でベケットの生前の仕事を解釈し、そのベケットへのアプローチが彼の死後どう大きく変化し、その変化が何を意味するのかということをお話しします。

Photo: Takumi Irie



ベケットは、アイルランド生まれの小説家、劇作家、詩人で、一時期はジェイムズ・ジョイスの助手もしていました。戦時中はフランスでレジスタンスグループに入り、情報の収集と分析を担当していましたが、身の危険を感じて、捕まる寸前にパリを脱出し、南仏の田舎で終戦を迎えます。その後1回故国に帰りますが、すぐにノルマンディーに戻り、その後はパリに住んで作家活動をしていきます。ノーベル賞も受賞しましたが、大の名声嫌いで、受賞後は逃げ回っていたそうです。そのベケットは、大学の文学史や演劇史では、主に実験的小説家、不条理演劇の作家として紹介されますが、今日は、それとは少し違った視点からお話ししようと思います。

彼の死後、演出家や芸術家たちが実際に世界と関わるツールとしてベケットを使い、それまでとはかなり違う形で世界と自分たちの関係を生み出していきます。その背後には、人間と世界の関係の大きな変化がありました。89年と言えば、ベルリンの壁が崩れて東西関係が大きく変わりますが、政治の世界に限らず、もっと深いところで歴史と世界の関係がかなり変わりゆく瞬間だったと言えます。それをものすごく敏感に感じ取った人たちがベケットとともに新たな歴史を描き出そうとしたのです。

 
刑務所で『ゴドーを待ちながら』

明日、明後日、ここ春秋座で上演される『ゴドーを待ちながら』は、ベケットのいちばん有名な作品です。書かれたのが48年と49年の間。戦争の痛みがまだ疼いていた時期ですが、実際にそういうものが『ゴドー』の中には流れていました。そして53年1月に初演されるわけですが、この53年というのが結構微妙な年で、戦後約10年が経ち、戦争の記憶もかなり薄れ、戦争と結びつく想像力も弱まってきた時期でした。

これは『ゴドー』の初演の写真です。

『ゴドーを待ちながら』初演



浮浪者のような出で立ちで山高帽子を被った主人公ふたりがゴドーという、決して来ることのない謎の人物を待っていて、その間、時間を潰すためにひたすらお喋りをするだけの芝居としてよく紹介されます。(映像を見ながら)ベケット自身が80年代の半ばに演出した映像をご覧下さい。

『ゴドーを待ちながら』演出:サミュエル・ベケット
En attendant Godot, stage directed by Samuel Beckett, filmed by Walter D. Asmus, 1985



一見、とりとめのないことを言い合い、やり続ける、当時としては異例の芝居でしたが、あらゆる面で、戦後の演劇史にとっては大事件でした。熱狂的に支持する人と、こんなものクズだと言う人の両方がいて、劇場で喧嘩沙汰にまでなり、それが話題になってさらに客が入ったそうです。でも、支持するほうもボロクソに言うほうも共通して「よくわからなかった」のが真相です。よくわからないけど何かすごいぞ、みたいな。皆ある距離感を感じていて、その分リアルというより、抽象的、観念的なものと受け取られていました。(スライドを見ながら)これは70年代のある有名な舞台ですが、このように非常に観念的な舞台をつくって演出されたこともありました。「不条理劇」という言い方も、ベケットに関する限り、わからないことを説明する口実だったと言えるでしょう。なぜかというと、まったく同じ時代に、教養もなしに何の苦労もなくこの芝居を理解し、感動した人たちがいたのです。

『ゴドーを待ちながら』演出、装置:オトマール・クレイチャ
En attendant Godot, stage directed by Otomar KREJCA, 1978



ドイツのリュットリングハウゼン刑務所で、ある囚人が台本を手に入れて、自分でドイツ語に訳し、1953年の11月に、ほかの囚人と一緒に『ゴドー』を十数回上演します。それを観た刑務所付きの牧師が、 「上演中に刑務所の壁が透明になった」と書いていますが、普段刻印を押された「囚人」という存在が「人間」に戻った、と言い換えてもいいでしょう。演出した本人は、ベケットに「あなたのゴドーは私たちのゴドーになりました」という手紙を送り、ベケットも非常に喜んで、返事を送りました。

その後、1957年にはサンフランシスコのサン・クエンティン刑務所でこの作品が上演されます。この刑務所は、死刑や終身刑を宣告された重犯罪人が入っているところですが、そんな猛者たち1400人以上の前で、サンフランシスコ・アクターズ・ワークショップという劇団が慰問公演として『ゴドー』を上演しました。1400人強の囚人を前にして、さすがに演出家もビビったのでしょう、「ジャズの音楽みたいなもので、意味はわからなくていいから、無理しないで聞いていてくれれば」という言い訳めいた口上を述べています。ところが、2時間以上、会場は静まり返り、皆ものすごい集中力で観ていたそうです。終わった後は、すごい拍手だったと言います。大都市の観客もよくわからないような芝居を、こんなところに持ってきて大丈夫かな、と不安だった役者たちにも、予想外の反響でした。その後で、刑務所の官吏のひとりが残した文章によると、囚人たちは何の苦労もなく芝居に付いていったようです。

『ゴドー』はいまでも相変わらず刑務所で演じられています。例えばイタリアでは、刑務所演劇が盛んで、全国刑務所演劇協議会という組織まであります。刑務所の中の囚人たちがやる場合が中心ですが、いまでも囚人たちは、この作品をものすごくリアルに感じます。それはなぜかというと、まずは、この劇が、「待つこと」を芝居にしているからです。刑務所内の囚人の生活は、様々な「待つこと」で成り立っています。食事時間、中庭に出る自由時間、家族との面会時間、釈放の日、あるいは処刑の日、とありとあらゆることを「待ちながら」暮らしていますから、彼らは「待つこと」の本質を身をもって知っているのです。一方、外にいるブルジョワは、そういうことを厳しく認識しないでいい状態にいるので、舞台で観てもピンと来ない。娑婆の平和な劇場でみんながわからなかったものが刑務所の中でなぜこんなにも簡単に理解されたかという理由は、そこにあるのだと思います。
 「待つ」というのは実は能動的な行為ではなく、「待たされている」状態です。自分では何かを決められないで、他人が決めている世界の中で生かされている、そういう時間です。つまり、一切主体的に行動できない囚人と同じ状況ですが、ベケットが「待つこと」を主題にした理由はそこにあるのです。

サン・クエンティンでこの芝居を観て、感動し、その後恩赦を受けて演劇人になったリック・クルーシーは、『ゴドーを待ちながら』を観るまで、自分が「待っていた」ことに気付かなかったと言っています。ずっと「待つこと」という見えない檻の中に閉じ込められていたことに自分が気づかず、それを『ゴドー』によって教えられたと。実は、ベケットは、この後も、一種監獄仕立ての芝居をずっと書いていきます。監獄そのものを描くのではないのですが、ある意味で囚われているのにそのことに気付かない人間をずっと描き続けます。人類の本質的条件をそこに見ていたわけです。

 
「荒れ地」としての世界で

『勝負の終わり』演出:カルロ・チェッキ/Endgame, photo by Tommaso Le Pera



(スライドを見て)これは、『勝負の終わり』という芝居です。密室の中で黒眼鏡をかけて車椅子に座った、主人(ハム)がいて、クロヴという若い男(息子か下僕か)が仕えています。このハムという人物は、密室によって外部から隔離され、目も見えず、いわば二重の監獄に囚われています。その次の『しあわせな日々』という作品では、ウィニーという中年の女性が、第1幕では、砂漠みたいなところで腰まで大地に飲み込まれています。非常にきつい拘束状態です。第2幕になると彼女は首まで呑み込まれますが、その第2幕をそのまま芝居にしたのが、(スライドを見て)この『芝居』という作品で、男女3人が首までが壷に呑み込まれています。真ん中が夫で、左右に奥さんと愛人。3人がそれぞれ自分たちの思いをものすごいスピードで 交互に喋ります。喋る人だけが照らされ、どんどん変わる照明とともに、3人の短い台詞が切れ目なく続いて、ひとつの叫びのようなものになっていきます。

『芝居』演出:多木陽介/Play, photo by Luca Chessa, 1997



そういう恐ろしい芝居ですが、『芝居』でも、さっきの『しあわせな日々』でも、人物たちは、みな捕まっているなんて意識は(わずかな瞬間を除いて)ほとんどありません。(画面を見て)これは『しあわせな日々』の素晴らしい映画版ですので、少しご覧下さい。

『しあわせな日々』/ Happy days, film by Patricia Rozema, 2000



楽しそうでしょ? すべてこういう感じで、ベケットの描く人物たちはみな、一種の非常事態に捕まっているのですが、その意識がない。また、非常事態というのは、自分もその経験がないと、なかなかそれを認識する想像力が働かないものです。例えば、刑務所の囚人たちは自分たちが同質の環境に置かれていましたから、『ゴドー』を観てすぐピンと来ましたが、平和な都市で生活し、安穏と劇場に座っていた観客にはそれが何を意味するのかまったくわからなかった。『ゴドー』のいちばん最初のト書きは、「田舎道、木が1本、夕暮れ時」というたった3行ですが、これを読んで、皆さんの脳裏に何が浮かぶでしょうか。牧歌的な田園風景かもしれないし、ミニマムな言葉なので、演出家によっては(スライドを見て *上から4つ目の写真)こんな抽象的情景を思うかもしれない。

でも、実は『ゴドー』の言葉は、ヨーロッパの大戦の瓦礫から生を受けています。彼自身、戦直後ノルマンディーに赴任し、サン・ローという街で壮絶な瓦礫を見ています。(スライドを見て)この瓦礫の中で、戦争の破壊力を思い知って、その後彼の作風自体がガラッと変わっていくわけです。

サン・ローの瓦礫風景



長いことベケットの芝居については、歴史的な要素や地理的な要素を特定するべきではないと言われてきましたが、明らかにヨーロッパの戦争がその根底にあります。あのごく単純なト書きの中には、この瓦礫の風景が隠れていたのです。ところが、そのことを想像するには、戦争という非常事態の記憶をありありと持っているか、戦場で『ゴドー』を観るしかないのです。だから平和な西欧世界ではなかなか理解されなかった。

ところが、ベケットの死後、90年代以降になると、演出家たちも徐々にそのことに気付いてきます。その良い例が、このマイケル・リンゼイ=ホッグが撮った映画版の『ゴドー』です。ここでは、明らかに一種の「荒地=破壊された歴史」として舞台がつくられ、その中で『ゴドー』が演じられました。すごくリアリティのある素晴らしい映画だったと思いますが、現在で言うとどんなところに『ゴドー』的な「荒地」があるか? 内戦続くシリアでしょうか。

内戦下のコバーネ(シリア)の風景/photo by Yasin Akgul, 2015



(写真を見て)ここでは、文明が完全に壊されて草木の一本も生えていません。子供たちが遊んでいますが、あの子たちにヴラジーミルとエストラゴンという名前を付ければまさに『ゴドー』になる。実はそういう状況で、『ゴドー』の台詞はものすごいリアリティを発揮するのです。でも、この非常事態を生み出したのは、我々の技術文明です。彼の演劇は一見人間の生の深さを描いているし、もちろんそういう部分もありますが、見方をちょっと変えると、実は人間や生を抑圧し、その中にどんどん侵入してくる技術文明との戦いという非常に大きいテーマを持っているのです。

 
技術文明と生との葛藤

技術文明と生の間の葛藤という主題は、後年、だんだん明らかになります。例えば、舞台の上で音響や照明などの機材を使うとき、なるべく機材の存在感を消して、ただ音や明かりの効果を生むように使うのが普通ですが、ベケットは、舞台効果の機材や映像の場合のカメラを、技術文明の寓意として、一種の人物のように扱うようになります。
 例えば(スライドを見て)右手の、老人がテープレコーダーを抱えている『クラップの最後のテープ』という芝居ですが、この人物は、毎年自分の誕生日に一年を振り返った談話を吹き込むのですが、69歳の誕生日を迎えた今日は、30年前のテープを引きだして聞いてみます。

『クラップの最後のテープ』演出:多木陽介、出演:ジャンロレンツォ・ブランビッラ
Krapp’s last tape, photo by Yosuke Taki, 2002



ところが、聞いている間に、自分がこの30年間、人生を完全に誤ったことに気がついてしまい、聞き終わったときには、彼の内面はもう完全に崩壊しています。その後、本当は今年の思いも録音するはずで、話し始めますが続けられない。結局、新しいテープを捨てて、30年前のテープをもう一度かけて聞きながら終わる。恐ろしい「時の法廷」に裁かれて崩壊する個人の話ですが、別の見方もできます。芝居の前半、彼はずっと喋らず、喋るのは録音機という機械です。後半になって、一瞬喋ろうとしますが、結局また機械の発する言葉が舞台に響き渡る。つまり、機械あるいは技術が人間から歴史の主役の座(声)を奪い、声を失った人間が歴史の舞台から追い払われて行く寓意劇としても読めるわけです。

『FILM』の撮影現場

 

それから、(スライドを見て)左上の写真は、ベケット唯一の映画作品『FILM』の撮影現場です。これは、カメラが主役のバスター・キートンをずっと後ろから追いかけていく、という映画です。この場合、機械の眼が人間をずっと追いかけます。キートンは人間の代表で、ずっと追いかけられるわけですが、最後に初めてカメラとキートンが向き合います。すると、キートンは片目に眼帯しているのですが、実は、人間自身が、単眼のカメラと同じ機械の視線を持つようになっていることが暗示されるわけです。19世紀に写真が生まれ、人間起源ではない機械の視線というものが社会の中に広がりましたが、ベケットは結局人間自身もこの視線に吸収されてしまうという、予言的な映画をつくったわけです。

このように、人間や生を技術がだんだん脅かしていく世界の最終的な姿を『クワッド』という、1981年のビデオ作品で描いているので、それをご覧下さい。

『クワッド』演出:多木陽介/ Quad, photo by Yosuke Taki, 1997



これはよく、数学的なバレエだと言われますが、抽象的な分、多様な解釈が可能です。ベケット自身は、これは刑務所の中庭で歩いている男たちの姿だと言いますし、4つに分裂した自己の破片が、なんとか再統合しようとするが、なかなか上手くいかない様子と解釈する人もいるし、私には、東京のような都市の中でひたすらルーティーンを生き続けるしかない人間の姿にも見えます。

これは題名が示す通り、正方形の場所で演じられるパフォーマンスで、各自色違い(白、青、赤、黄)の衣装を纏った4人のパフォーマーが組み合わせを変えつつ正方形の辺と対角線の上をひたすら早足で歩きます。ひとりで始めて、2人、3人、4人と増えたかと思うと、まただんだん減って、と4人の順列組み合わせを全部やり尽くしたところで終わる作品です。パフォーマンスと同時に、もうひとつ大事なのは、カメラの位置です。我々がつくったときは(スライドを見て)これくらいの位置から撮りましたが、もっと高くても良かったですね。

非常に高いところから距離を持って眺めている、神様か天使のようなポジションですから。この視線には抽象芸術に通じる究極の距離感があります。抽象芸術と言うとよく平面構成の問題かと思われますが、実は問題は、主体と対象の間の途方もない距離なのです。誰かの顔を近くで見れば細部まで見えますが、ちょっと離れると人は1本の線になってしまい、もっと離れると点になります。20世紀になってから物理学者と同時に抽象芸術家が発見したのは、人間の文明が生命や、人間性という現実からずいぶん離れてしまったという状況でした。そんな世界で芸術は、抽象化することで自由を獲得しようとしましたが、それ自体が一層生から遠ざかる非常に危険な行為でした。『クワッド』は美しい作品ですが、ベケット自身はそこに潜む危険性をものすごく意識していたと思います。どんどん文明が進んでいくと、人類は大地から遠ざかり過ぎて取り返しがつかなくなるぞ、という危機の意識が疼いていたはずです。

『ゴドー』など初期の作品には、まだ等身大の人間が登場します。観客はある意味でまだ近距離にいたわけですが、その後どんどん遠ざかり、『クワッド』では、はるかに高い視点から、全身布に包まれ個人としてのディテールを失ったパフォーマーを眺めることになります。そこまで行ったところでベケット自身は世を去りますが、彼の死後、この高いところから現実の中に飛び降りて、芝居や芸術をすることを選ぶ人たちが出てきます。それが89年以降のベケットをめぐる大きな変化なのですが、実は同じ時期に、まったく同じことを映画で語った人がいました。

ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(’87)という映画があります。ブルーノ・ガンツ演じる主役のダミエルという天使は、ベルリンの高層ビルのてっぺんから人々を見ていて、すべてがわかっているし、ときどき人々に寄りそって内面の声を聞くこともできる。でも、天使ですから、人間からは見えないし、人間らしい生き方や、愛情の面倒臭さや、血のしょっぱさというものに触れることもできない。この「距離」にいたたまれなくなった天使が、サーカスのブランコ乗りの女性に恋をして、彼女を探しに行くために、天使を辞めて人間の世界に飛び降ります。映画の最後で、ディスコのバーで出会った彼女に、ダミエルが、「本当に見るということは上から見るのではなくて、目の高さで見ることだ。歴史の流れの中に降りていこう」と言う台詞がありますが、これ以上行ったら危険な状況に至ることを察知した、歴史の漏らす微かな危惧の声を聞き取った敏感な芸術家が生み出した見事な作品だったと思います。

『ベルリン・天使の詩』


 
スーザン・ソンタグとポール・チャンの『ゴドー』

これとまったく同じ「飛び降り」行為を1990年以降に、『ゴドー』とともにやった芸術家が何人かいます。その筆頭がスーザン・ソンタグでした。93年に彼女はセルビアの狙撃兵に包囲されたサラエボの街に文字通り飛び降りていきます。多様な民族が住む街で、その多民族の俳優たちと一緒に『ゴドー』を上演する。彼女が行ったときのサラエボは、完全に破壊されていて、物資はおろか、政治も制度もほとんど不在で、有名な図書館も爆撃されて、民族の記憶までが抹殺されていました。また市民の身体も精神も、極度の緊張と恐れの中でかなりのトラウマを負っていたので、歴史の原動力である自然と精神と技術の3つが、サラエボでは完全に衰弱していました。さっきお話しした『ゴドー』的な「荒地」とは、まさにこういう状況のことです。だから、ソンタグがここで『ゴドー』をやろうと思ったのも非常によく理解できます。

サラエボのスーザン・ソンタグ



彼女は、先進国が戦争に介入しないことを批判すると同時に、昔のスペイン内戦のときと違って世界の文化人がこの状況に対して「文化的な距離を取っている」ことを痛烈に批判しました。彼女が言う「文化的な距離」というのは、『クワッド』のカメラの視線や、天使が高いところから都市を見る視線の中に描かれていたのと同じものですが、この「距離」をゼロ化すべく彼女はサラエボの瓦礫の中に飛び降り、地元の俳優たちと『ゴドー』をやることになります。彼女にとって『ゴドー』は、 サラエボについてサラエボのために書かれたとしか思えない、非常にリアルな芝居でした。ただ、戦下の稽古ですから、ろうそくを立てて、非常に不便な状態で行なわれました。暗いから台本もよく見えない。みんなちゃんと食が摂れていないので、体力がなく、記憶力も弱って、なかなか台詞も入らない。長時間稽古したくてもすぐに疲れてしまう。そういう状態でやっていたわけです。

彼女の演出は、ちょっと特殊な演出でした。普通『ゴドー』の主役は、ヴラジーミルとエストラゴンという男のペア1組ですが、ソンタグは男女を交じえたヴラジーミルとエストラゴンを3組出しました。戯曲を読めば、いろんな人物を使いたくなるのはわかるし、戦争という状況で失業していた役者たちを少しでも救えるかなという思いもあったようです。

ソンタグ演出の『ゴドーを待ちながら』より/Godot – Sarajevo, film by Pjer Zalica, 1993



(スライドを見て)右上は男のペア、左上はけんかの絶えない老夫婦、左下はお母さんと不安で揺れる娘、という3つのペアが出来たわけですが、戦下で生きる彼らの精神状態も反映してかなり不安と暴力に満ち、重苦しい舞台だったようです。戦争で「ずぶ濡れ」の『ゴドー』だったと言えるでしょう。

芝居が戦争で「ずぶ濡れ」になる一方で、どの街角もベケットの芝居の風景に見えてきました。「誰もいない、誰も来ない、ひどいもんだ。」という有名な台詞も、破壊された建物の間で誰かが呟くと、妙にリアルに聞こえました。街の風景の彼方に『ゴドー』の世界が透けて見えるようでした。都市そのものが一種の比喩と化したわけです。比喩とそれが指す対象とは、重なっているようで同時にその間に距離がありますが、その裂け目から、何年もの間、戦下で抑圧されていたエネルギーが吹き出し、それが街の人々にとっては、戦争のトラウマに対する一種のセラピーになったと言われています。
 心理学で言うサイコドラマは、わだかまりの残るある状況を、個人あるいは集団でほぼ即興で演じると思いがけない形で隠れていた人間関係の本質が露呈され、それが治療につながるというセラピーですが、言ってみれば、ソンタグは『ゴドー』とともにサラエボに対するサイコドラマを実践したわけです。そして、これとまったく同じことが、ほかにも世界中のいくつかの都市で行なわれました。

瓦礫と化したサラエボの町



ニューオーリンズでは、ハリケーン「カトリーナ」の2年後の2007年に、ポール・チャンという香港系アメリカ人のアーティストが中心になって『ゴドー』が上演されました。チャン自身は演出家ではないので、ハーレムの黒人劇団に協力を要請し、ニューオーリンズの廃墟になったロケーションを2ヶ所選んで上演しました。ただ、彼らのプロジェクトの素晴らしいところは、住民に対する非常にデリケートなアプローチにありました。前年にチャンがはじめて行ったときに、彼はまず何も復興が進んでいないことに驚愕します。皆さんご存じのように、当時はブッシュ政権で、復興の公的資金のほぼすべてが政府に近い私企業数社にばらまかれたわけですが、その企業たちは、やるべき作業をろくに果たさず、富裕層の市民は別の街に移り住んだりもできましたが、ここは貧困層も多く、そういった人たちは1、2年何も進まない「荒地」の中に取り残されていたわけです。その場を見てチャンはここで『ゴドー』をやらなくてはと思ったわけです。

ニューオリンズの被災地跡で上演された『ゴドーを待ちながら』



ただ『ゴドー』をやるのに格好のロケーションだからそれを使うために押し掛けるのでは、住人に対して、すごく失礼なことで、受け入れてももらえなかったでしょう。それを彼らもわかっていたので、ただそこで『ゴドー』をやるのではなく、街の復興の資金集めや社会的な教育プログラムをつくって、実際にこの街を助けるプロジェクトを実践しながら、全体の象徴として『ゴドー』を上演しました。芸術家のエゴな都合ではなく、非常に社会的な動機がそこにはあったのです。20世紀の間は、現実の世界と芸術をやる世界が どんどん離れていったわけですが、そのふたつがここでもう一度同じ平面に織り合わさった新しい経験でした。

災害と『ゴドー』と言えば、ちょうど東日本大震災のときに、森新太郎さんという演出家が新国立劇場で『ゴドー』を稽古していました。彼の場合は、『ゴドー』の風景と東日本の風景(例えば奇跡の一本松の風景等)があまりにも重なるので、逆に少し距離を取ろうとしたようですが、演出家と俳優たちの意図に反して、観客は震災の状況をこの舞台から強く感じたということです。それから、かもめマシーンという若い人たちの劇団が、2011年の8月に、0.4μSvの放射能の残る福島第一原発から20.5kmの場所で『ゴドー』のいちばん大事な台詞とも言える、「もう行こうか」「ダメだよ」「何で」「ゴドーを待たなきゃ」という台詞を30分ぐらい言いながらずっとそこにいるというビデオを撮りました。彼らの場合、慰問活動として演劇をするのでも、その場所にお客を呼ぼうというのでもなく、演劇を使ってあの瞬間を歴史に書き留めたかった、と演出家の萩原さんは言っていました。その瞬間に観てもらわなくても良いから後世の人に観てもらえるように、演劇を通して、時代を、歴史を語りたい、考えたいと言っていました。

ご静聴ありがとうございました。

カモメマシーン版『ゴドーを待ちながら』



(2017年9月8日、京都造形芸術大学/2018年3月23日公開)


 
 

たき・ようすけ
1962年、東京生まれ。ローマ在住。演出家、アーティスト、批評家。舞台演出、芸術文化的主題の展覧会の企画構成、講演、執筆、翻訳を行うかたわら、エコロジーに関わる 人々についての研究を進める。2013年にローマ市立演劇記念館で、「(不)可視の監獄―サミュエル ・ベケットの演劇と現代世界」展をキュレーションし、2016年には 『(不)可視の監獄 サミュエル・ベケットの芸術と歴史』(水声社)を刊行した。

 
 

【公演】サミュエル・ベケット作『ゴドーを待ちながら』
    2017年9月9日・10日、京都芸術劇場春秋座
(関連企画)展示(9/8-11)+レクチャー(9/8)「サミュエル・ベケットを〈読む〉」
      展示会場構成:多木陽介+小崎哲哉+原田祐馬(UMA / design farm)
      レクチャー:多木陽介+小崎哲哉

 

▶▶レクチャー2:小崎哲哉