プロフィール

福永 信(ふくなが・しん)
1972年生まれ。
著書に、『アクロバット前夜』(2001/新装版『アクロバット前夜90°』2009)、『あっぷあっぷ』(2004/共著)『コップとコッペパンとペン』(2007)、『星座から見た地球』(2010)、『一一一一一』(2011)、『こんにちは美術』(2012/編著)、『三姉妹とその友達』(2013)、『星座と文学』(2014)。

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岡﨑乾二郎による企画展 墓は語るか

2013年06月11日

動物園で動物を見るとき、どうしても複雑な気持ちになる。私はレッサーパンダが好きだが、黒いハイソックスを履いたような足と、太いしましまのしっぽに心を奪われながらも、それほど広いとはいえない敷地のなかを、行ったり来たり、うろうろしているレッサー達を見ていると、「自然はこうではあるまい」と暗い気分になる。したがって、このたび、新たに京都市動物園にやってきたばかりの2頭にも、「野に帰れ」などと、無責任なことを思ってしまうのだが、当然のことながら歓迎もしているのである。110周年おめでとう。さて、ところで、博物館で、過去の遺物、発掘品を見るときも、私は、動物園で動物を見るときのような複雑な気持ちになる者である。「本当はここにあるべきものではあるまい。野に帰れ」と思うのである。だからといって、その発掘現場、その現地へ赴くことは、なかなかできることではない。博物館に展示されることによって、広く、これまで自分が知らなかった知識を、目の前の現物、遺物、発掘品によって、手に入れることができるのである。でも、しかし、もともとはここにあったのではないんだよな、とか、もとあった場所から引きはがされてきたんだよなぁ、とか、そんなふうな方面へと考えが向かってしまうと、もう、テンションが急降下してしまうのである。それに、正直にいってしまえば博物館の展示もダサ……控え目な場合が多いじゃないですか、「わかりやすさ」を優先しようとして。そうすると、せっかくの現物、遺物、発掘品に、目がいかないで、展示ケースに残された指紋とか、照明のフシギな当たり方とか、タイルとか、そんなところばかり見てしまうわけである。観客としての私の心が油断してしまうのである。何の話をしているのかというと、あくまで私個人の見解であるが、個々の現物(動物)は、よくても、全体として、博物館(動物園)の展示構成には感銘を受けることが少なく、「図鑑でいいや」と思ってしまう次第ということなのだが、このたびムサビで見た「墓は語るか」で展示されているエトルリアの納骨容器などの現物は、博物館に展示されていておかしくない、一見オーソドックスな展示であるにもかかわらず、まったくそんな、上の私のような感想は出てこなかった。「墓は語るか」というコンセプト展示全体が、じつのところ、最高に鬼かっこいい構成になっているのである。

その古代エトルリアの展示は、岡﨑乾二郎企画によるコンセプト展示の一部分で、その内訳は、3つの納骨容器(とは思えないほど、とても可愛らしく人物が彫られている)のほかに、「男性頭部半面像」(イケメンなのに顔が半分しかない)や、「ヘラクレス像」(強そうなのに手のひらに乗るほど小さい)、などであるが、薄暗い、まさに、彼らが独自に発展させた、死者の都市ネクロポリスをも思わせる、小部屋である。だから、この「小部屋」だけ取りあげるならば、まるで博物館のひとつのフロア、片隅のようでもある。でも、コンセプト展示全体から見れば、ちょっと違う。というのは、このコンセプト展示の会場に入るとき、私達の前に、アルベルト・ジャコメッティ「横たわる女」(1929)が、とうせんぼしているからである。この「横たわる女」の隣に、エトルリアの小部屋がある。だから、私達は、直進せずに(できずに)、まわれ左、というふうに左折し、エトルリア←ジャコメッティの順番で、見ることになるのだが、すると、エトルリアの納骨容器がジャコメッティに似ている、と直感的に思う。むろん「ジャコメッティに」似ているというのは、おかしい。ジャコメッティが「エトルリアの納骨容器に」似ている、というのが、正しいだろう。だから、このエトルリアの小部屋から、出て、もういちど、ジャコメッティを見ると、正しい順序になる。事実、エトルリアの彫刻群に、ジャコメッティは深い影響を受けている。これが、時間的にも正しい、博物館的な理解というものであろう。しかしながら、この展覧会は、そのように始まらなかった。まずジャコメッティを見てから、エトルリアの彫刻群を見る、という順番が、用意されていた(その逆はできない)。現実の影響関係に反して、「ジャコメッティに」似ているものとして、エトルリアの彫刻を見ることが要請されていた。一歩ひいてみるとわかるのだが、エトルリア納骨容器3点と、ジャコッメッティの1点「横たわる女」は、壁ひとつを隔て、横一列に仲良く並んでいるのである。紀元前の古代エトルリアと、現代のジャコメッティをつなぐ、その見えない線を、私達の目線はたどり、行ったり来たり、するだろう。私達の目線は、壁に貼られた解説(長文だが読みごたえあり)をなぞり、しばし空中をさまよい、奥の展示をうかがったり、またもどったり、ちっとも動きをやめない。うずうずしっぱなしだろう。その落ち着きのなさは、展示スペースを想像的に動き回る、私達のクリエイティブな準備体操のようなものだ。岡﨑乾二郎の展示配置の「コンセプト」は、まず、こんなかたちで現われる。

準備運動を終えた私達を迎えるのは、イサム・ノグチと白井晟一である。そのメインとして、ツートップのように出品されているのは、二人がどちらも、「LEON」などの表紙を飾れそうな年頃に制作した作品である。そして、どちらも、建築模型である。さて、ところで、その「建築模型」なんだけれども、私は、建築模型を見るとき、告白するけれども、つい、上から目線になってしまう者である。縮尺されているのだから誰もが見下ろすという話ではない。私は自分を振り返ってへんくつだとは思わないが、これは模型であって本物ではないという思いを捨てられない。動物園の動物を、「野に返したら、良いだろうに」と手前勝手に思うのと同じく、「実際の現実の場所にあってこそ建築」などと、知った顔をする自分がいるのをどうしようもない。だから建築の展覧会を見るときは、格別な緊張感が自分を襲って心臓に悪いのだけれども、まさか、ここで、建築模型を見ることになるとは思わなかった。イサム・ノグチ「広島の原爆慰霊碑 Memorial to the Dead,Hiroshima」(1952)は、現在の広島平和記念公園内に設置されるはずだった。地下に犠牲者の名簿を収める場所を、まるで母親のおなかのなかのように優しく、しかも厳粛に、設けた。というか、計画を立てていた。その幻の計画の全貌を、地下構造も含めて、精密に、写真等の記録を分析することによって、今回、1/30の模型として、制作したものがこの模型だ。イサム・ノグチ作品ではほかに「クロノス」(1947)が展示されているが、それは、そのアーチ型が、「広島の原爆慰霊碑」の地上に突き出たアーチ部分ときわめてよく似ているから、という形態の類似だけではなく、「クロノス」(=サトゥルヌス)と名付けられたこの彫刻が宿す、作者の思い、子と親の複雑な関係の反映が、巨大な公共建築物である「広島の原爆慰霊碑」にも、見られることを力強く示すからにほかならない。イサム・ノグチは、公共建築を実現させることには、生前から、苦労の連続だったという。アメリカにおいては日本人としてハブられ、日本では、アメリカの血が、と、うとまれ、公共での仕事が、なかなか実現しない不幸にあったというのだが、岡﨑が指摘していることで、もっとも印象に残ったのは、もしこれが実現していたとしても、日本からだけでなく、アメリカからもまた、非難されるだろうということである。どっちに転んでも、実現可能な場所を持ちえないプラン。

それは、隣の白井晟一「原爆堂(TEMPLE ATOMIC CATASTROPHES)」(1954/1955)の計画も同様だろう。丸木位里・俊「原爆の図」の恒久展示場所として考えられたというが、それはどこかのお役所、公共の場から依頼があったわけではなかった。建築家自身が、自発的にこしらえたプランだった。現実に建築可能だが、現実の時間のなかで、つまりは、依頼があり、計画があり、着工があり、竣工があり、と、数年のうちに建てられて(消費されて)しまうのではない、もっと別の時間、ずっと長い時間にまたがる「計画」なのかもしれなかった。それは、岡﨑が緻密に分析しているように、この「原爆堂」がどうみても「原爆の図」という固有名にはおさまる建築ではなく、核兵器、またはその「平和利用」(=原子力発電)を強く意識したものだからである。もはや人間の時間感覚があてはまらない、そのような建築の宿命としてなのか、この「計画」は実現しなかった(現在、していない)。

これらは、このように、模型として、実現するほかなかったのかもしれない。模型であれば、人間のスケールを超えることができる。そこに現実の人間は足を踏み込むことができず(誰も入ることができず)、しかし、目線だけは、人間以上に、自由に、飛び回ることができるのだから。上からだけでなく、下からも横からも。

そもそも、この展覧会「ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか 彫刻と呼ばれる、隠された場所」のコンセプト展示の会場が、夢の美術館、未来の博物館の「模型」のような場所だった。会場は、それほど広くはない。しかし、この場所は、さまざまな時間を呼び集める、そんな「容器」になっていた。(最後に、若林奮の作品「雨-労働の残念」[1971]が設置されているが、もちろんこれでいいのだが、私は、彼が晩年、東京は日の出町のゴミ処分場開発計画で、森が潰れることに反対して、ゴミの墓場にならぬよう、その森に、庭/公園として成立する「彫刻作品」を作った「緑の森の一角獣座」[1995]、そのドローイング一枚でもいいから、あれば、なお、いっそう、この企画に相応しいのだが、と思った。現在から見れば、90年代半ばのそのときよりなお一層、「汚染を伴うゴミの処理問題」の視点は、エトルリアと現在をつなぐ数千年ではまったく足らないほどの長期的な問題になっているからだ)

 

 

ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか 彫刻と呼ばれる、隠された場所

 

会期 2013年5月20日-8月10日

休館日 日曜日(7月15日は特別開館日)

開館時間 10時-18時(土曜、特別開館日は17時閉館)

会場 武蔵野美術大学美術館 展示室1、2、アトリウム

監修 田中正之

企画コンセプト 岡﨑乾二郎

料金 無料

 

本ブログでは、岡﨑の企画によるコンセプト・パートのみにしぼったが(触れなかったが、白井晟一の模型は、原爆堂計画のほか、現実の東京に実在する「ノアビル」のこれまたリアルな模型も展示されている。彼が所蔵していた東方イコン「キリストの変容」もあわせて見ることができる)、本展覧会は、それのみだけでなく、岡﨑の実作をはじめ、戸谷成雄、遠藤利克、黒川弘毅、伊藤誠、三沢厚彦、髙柳恵里の展示もあり、若手の出る幕などないという声が聞こえてきそうな、先生達のガンコな作品群を見ることができる。なお、ウェブサイトによれば、会期中、トーク、シンポジウムが複数回、開催される予定だという。

展覧会カタログ『ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか 彫刻と呼ばれる、隠された場所 彫刻論集』(2000円税込)も、充実しており、とくに岡﨑の論考「墓は語るか」は読み応えがある。上のブログで、私が、さも自分の手柄のように語っている部分は、全部、岡﨑のこの評論からの抜粋にすぎない。また、私見では、岡﨑がここまで、自身の研究成果を展覧会として示し、またそのことを文章でも書いた例は、ないのではないかと思う。もし、展覧会が見られないとしても、この文章だけでも、読むといいと思う。人間はまだまだものを考えることができる、残されていると感じることのできる文章だ。