プロフィール

小崎 哲哉(おざき・てつや)
1955年、東京生まれ。
ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。
写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。
あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。

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杉本博司、I・ギュンター、F・ベーコン

2013年03月13日

某月某日

お台場『HOUSE VISION』、科学未来館『つながり』、東京国立近代美術館『フランシス・ベーコン』という3つの展覧会を観る。『HOUSE VISION』では杉本博司+住友林業の「数寄の家」、『つながり』ではインゴ・ギュンターの作品がお目当てだった。

「数寄の家」は、すでに道楽三昧の余生に入った(失礼!)杉本の余裕(あそび)というか、数寄心が爆発。特に、かの待庵を模し、かの水澤工務店に造らせたという茶室は、「数寄というのは金持ちが貧乏人の真似をする遊びだから、現代でいちばん貧乏な素材を使った」とかで、路地囲いの塀は1本150円の竹箒を束ねたもの、屋根は小田原のみかん小屋のトタンで葺いてある。それでいて敷石は古墳時代の石棺の蓋やら京都の鞍馬石やらで、沓脱石には護王神社で使った光学ガラスを用いるなど、巨匠の趣味、美学、洒落心に満ちていた。案内して下さった企画者の土谷貞雄さんに多謝!

「数寄の家」のにじり口。手前に光学ガラスの沓脱石が、右手奥に竹箒の塀が見える。



インゴは20年以上の付き合いで、互いに歴代のガールフレンドをほぼ全員知っているという仲。そんなことはどうでもいいけれど、未来館6階分の吹き抜けに浮かぶ巨大地球儀「GEO-COSMOS」を使った映像コンテンツは迫力があった。インゴの代表作と言えるシリーズ『World Processor』を拡張した作品。『World Processor』は、政治・経済・社会・科学等々のデータを視覚化し、直径30cmほどの球体に文字どおりマッピングする。それだけのアイディアだが、綿密な調査と美しいビジュアルで、知性と感性に訴えかける作品群だ。すべて手製の小さな地球儀で表現していたものが、いまや100万個のLEDで構成される直径6.5mもの巨大な地球儀上に現れる。作者は感無量かもしれない。

「交通渋滞」を表現したGEO-COSMOS上のインゴ・ギュンター作品。世界中の自動車を赤道上に並べると、72周分になるという。



ダ・ヴィンチの自転車でもいいし、ニエプスやダゲールやタルボットの写真でもいい。ややショボイが、シュヴィッタースから木村恒久に至るコラージュでもかまわない。先駆者の独創的な発想と、発想を具現化させたいという欲望こそが、ボールベアリングや空気タイヤ、カメラやフィルム、そしてコンピューターやグラフィックソフトなどの新技術を発達させた。GEO-COSMOSの誕生にも、インゴの先駆性・独創性が与っているだろう。一方で、カメラやコンピューターやGEO-COSMOSは、それ自体は作品/コンテンツではなく媒体/ツールである。作品の唯一性/固有性と、媒体の汎用性/普遍性。このふたつが相俟って、我々の表現世界が広がってきた。そのように見ることも可能だと思う。

さて、『フランシス・ベーコン』展。日本での大規模回顧展は30年ぶりとあって、非常に賑わっていた。1983年、東京都庭園美術館の回顧展を僕は観ている。当時、一緒に仕事をしていた劇作家の故・如月小春さんと入館しようとしたら、中から浅田彰さんが出てきて、3人で立ち話をしたことを覚えている。ベーコン作品をまとめて観るのは如月さんも僕も初めてで、異形の絵画群に圧倒され、観終わった後はしばらく言葉が出なかった。

没後20年とあって(ベーコンは1909年生まれ、92年没)、『フランシス・ベーコン』展は昨年から世界各地で開かれている。2008年から09年にかけては、代表作を「これでもか」というくらい集めた大回顧展が欧米3都市を巡回した。僕はロンドンのテート・ブリテンで観たけれど、ベーコンが参照していたという新聞・雑誌の切り抜きや書籍などの資料や、プライベートな写真まで見せるという網羅的な展示方針に、感心すると同時に辟易もした。重要作品70点ほどを集めた展覧会にはもちろん感動したとはいえ、むりやり大部の教科書を読まされた後のような疲労感・疲弊感が残ったのだ。

それに比べると、総作品数30数点という今回のベーコン展は小規模である。昨年12月に観たニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(シドニー)のベーコン展では50点あまりが展示されていたので、それよりも少ないし、重要と言われる大作も、実はかなり抜け落ちている。それでも満足感が残ったのは、構成の妙によるものだろう。とりわけ、展示のいちばん最後に置かれた3チャンネルのビデオインスタレーションが素晴らしかった。ドイツ人アーティストのペーター・ヴェルツと、米国人振付家/ダンサーのウィリアム・フォーサイスの協働作品「重訳|絶筆、未完の肖像(フランシス・ベーコン)|人物像を描きこむ人物像(テイク2)」である。

自作の前に立つペーター・ヴェルツ(Peter Welz)。東京国立近代美術館の『フランシス・ベーコン』展は5/26まで。その後、豊田市美術館に巡回する(6/8-9/1)。あいちトリエンナーレは8/10-10/27。



黒いフレームに縁取られた5m×3mのスクリーンが3面。背景は真っ白で、黒っぽい服装のフォーサイスが、ベーコンの絶筆絵画を参照しつつひとりで踊るのを捉えた、白と黒だけで構成される作品だ。グラファイトを付けた手袋と靴を装着しているそうで、動きの痕跡が真っ白な床に残されてゆく。カメラは正面・横・真上に置かれ、したがって観客はフォーサイスの鋭い動きを3次元的に捉えることができる。3面のスクリーンには、ベーコンが得意としたトリプティックへのオマージュという含意ももちろんあるにちがいない。

ベーコンのような巨匠の展覧会には、このような外部参照という視点がほしい。2009年には、ローマのボルゲーゼ美術館で『カラヴァッジオ ベーコン』という展覧会が開かれて話題となった。僕は図録を買っただけだが、フィレンツェのストロッツィ財団現代文化センターで開催された『Francis Bacon and the Existential Condition in Contemporary Art』(フランシス・ベーコンと現代アートにおける実存的条件)展なら今年の1月に観ている。ベーコン作品は半分だけで、残りは、ナタリー・ユールベリや塩田千春ら、キュレーターが「ベーコンと関連する」と見なした現役現代アーティストの作品が占めていた。現代作家の選択には異論もあるだろうが、それも含め、意欲的な試みと言えるだろう。

以下は宣伝。ヴェルツは、僕がパフォーミングアーツ部門を統括しているあいちトリエンナーレ2013にも参加する予定だ。同じくフォーサイスとの協働作品で、こちらは5チャンネルのビデオインスタレーション。サミュエル・ベケットの散文作品『いざ最悪の方へ』に触発されたもので、上述の作品とは姉妹関係にあるという。偶然か必然か、ベーコンもベケットもアイルランド出身で、ベケットは1906年に生まれて89年に没したから、ほぼ同時代人でもある。今年は、演劇のみならず、20世紀以降の芸術ほとんどに影響を与えたという『ゴドーを待ちながら』の初演から60年。ぜひ多くの人に観てほしい。