プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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蔡国強からChim↑Pomまで

2012年10月23日

高松宮殿下記念世界文化賞受賞を記念して東京で開催された「蔡国強アートフォーラム」にコメンテーターとして参加した(絵画部門での受賞だが、翌日には彫刻部門で受賞したチェッコ・ボナノッテと千住博の対談が開催された)。以下は私の冒頭と末尾の発言を編集し加筆したものである。


このたび蔡国強さんが高松宮殿下記念世界文化賞を受賞されたことを心から嬉しく思います。

1957年に中国の福建省泉州市で生まれた蔡さんは、文化大革命のあと海外留学が可能になった、その最初の世代の一人として、1986年に来日し、天安門事件をはさんで、1995年まで日本に滞在、筑波大学の河口龍夫らに現代美術を学び、火薬を使った独自の表現方法を確立した。そして、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の奨学金を得て、日本からアメリカに渡った。その後の活躍は誰もが知る通りです。こうして振り返ってみると、中国に生まれ、ニューヨークを足場に世界を股にかけて活躍しているアーティスト Cai Guo-Qiang は、日本のアーティスト蔡国強でもある、と言いたくなります。これはナショナリズムではない。むしろ、馬鹿げたナショナリズムゆえに日中関係が時ならぬ緊張状態にあるいま、そんな蔡さんが世界文化賞を受賞することには、とくに大きな意味があると思うのです。

もちろん、蔡さんの活動はもともと日本などという狭い枠におさまるものではなかった。そのことは蔡さんの国際的な活動の軌跡を一瞥すれば明らかです。1999年のヴェネツィア・ビエンナーレでは金獅子賞に輝き、2008年の北京オリンピック開会式・閉会式の花火のスペクタクルは世界中の人々に忘れがたい印象を与えた(北京の会場へと近づいてくる巨人の足跡を表現する花火の映像は、TV中継ではあらかじめ用意されたCG映像で補完されたようですが、人民解放軍まで動員して花火を打ち上げたのは事実だということです)。ちなみに、その年にはグッゲンハイム美術館の大規模な個展が世界を巡回していたし、ヒロシマ賞受賞(それ自体は2007年)を記念して広島市現代美術館でも個展が開かれ、原爆ドームの上に「黒い花火」を打ち上げるパフォーマンスも行われた。実はそのときも私が対談の相手を務めたので、あのパフォーマンスのことはよく覚えています。真昼、パンパンという乾いた音とともに原爆ドームの上に黒い点がいくつも現れ、だんだん広がる途中にキノコ雲を思わせる形になったかと思うと、風に吹かれて水墨画のように拡散していく……。一瞬、時空の位相が変わったかのようなただならぬ印象を受ける、そのくせ美しいとしか言いようのない余韻を残す、いかにも蔡さんらしいパフォーマンスでした。

しかし、考えてみると、原爆に焼かれ、放射性の強い黒い雨に打たれた広島で、「黒い花火」と称してこのようなパフォーマンスをやってのけるというのは、危険な賭けでもあります。外国から突然やってきた有名なアーティストがそれだけやって帰って行ったとしたら、拒否反応を示す広島市民も多かったでしょう。しかし、蔡さんは1994年のアジア競技会のときも広島で火薬を使った大規模なパフォーマンスをやったことがあり(そして、1995年に渡米して最初につくった作品は、アメリカ各地で自分の手にした筒から爆発によるキノコ雲を発生させる連作「キノコ雲のある世紀」[1996年]だった)、その時から相互理解の回路ができていた。また、そこでの蔡さんの説明が実にうまいんですね。「広島というのはアーティストにとって難しい町だ。そこでは反核と平和が絶対の正解であり、自分もその正解を疑わない。しかし、正解を言うだけではアートにならないんだ」と。つまり、際どい両義性をはらんだことをやるかもしれないけれど、だからといって広島の「正解」を否定するわけではないということを、独特の味のある日本語でユーモアたっぷりに説明するわけです。それもあって、蔡さんの「黒い花火」に拒否反応を示す広島市民は少なかったのではないでしょうか。

実は、その少し前、対照的な事件がありました。日本の若いアーティストの集団 Chim↑Pom が、かつてオノ・ヨーコが飛行機から白い煙を出して空に「SKY」と書いたのと同じスタイルで、広島の空に「ピカ」と書いたところ、市民からの苦情ゆえに謝罪会見と展覧会中止に追い込まれたのです。確かに悪ふざけのように見えたかもしれない、しかし、そういう意味では蔡さんの「黒い花火」も相当なものでしょう。違いは、蔡さんが自分の確信するアートを実現するために現地の人たちと粘り強いコミュニケーションを積み重ねてゆく、その周到な手続きにあるのだと思います。
(アートフォーラムの現場では話さなかったことですが、この件について私は事情をよく知らぬまま伝聞に基づいて「Chim↑Pom が蔡国強のアドヴァイスも受けて謝罪した」と話したことがあった、これは誤りでした。あらためて蔡国強に聞いたところ、「謝罪したら自分たちの作品を否定することになるのだから、絶対に謝罪すべきではない、ただ、市民の理解を求めるコミュニケーションが不十分だったとすれば、その点は素直に謝っておけばいい」という趣旨のアドヴァイスをした、ということです。多少とも誤解を広めたことに関し、私は明らかに謝罪しなければなりません。なお、Chim↑Pom について、私自身は、ゲリラ的な活動に徹するならバンクシーのように匿名性を貫いたほうがよく、謝罪会見はするべきでなかった、しかし、いったん表に出てしまった以上、全面突破しかない、という立場だった。2012年に Watarium で開催された「ひっくりかえる展」、とくに、あやうく Watarium を火事にしかねなかった破天荒なパフォーマンスは、まさにそのような方向でChim↑Pom が踏み出した大きな一歩として評価できるものです——フクシマ関連の作品などについてはいろいろ問題もあるとはいえ)

今日は、その後、蔡さんが世界各地で展開してきたさまざまな仕事をご本人から説明してもらい、大いに刺激を受けましたが、そこでもいま見たような態度が貫かれていることに感銘を受けました。たとえば2011年に蔡さんはカタールのドーハで大規模な展覧会を開催した。そのこと自体は驚くべきことではない。たとえば日本のアーティスト村上隆も、その後にドーハで大規模な展覧会を開催している。その場合、村上隆は自分の作品をドーハに持っていくんですね。それはきわめてノーマルなことです。ただ、蔡さんのアプローチは違う。まず、かつてアラビアまで続く「海のシルクロード」の起点だった故郷の泉州に、昔のイスラム教徒の墓碑がたくさん残っていることを想起し、アラビア語の銘文に刻まれた故郷への思慕をかなえるかのように、それらをドーハに「帰郷」させることから始める。さらに、自分自身が現地に約50日も滞在して、住民たちと共同で制作を行う。最終的に、アラビア人の女性たちが手仕事でつくったセラミックもテクスタイルも、蔡さんお得意の火薬で焼かれたりもするわけで、普通なら心ない破壊行為と映るかもしれない、決してそうならないような下地を注意深くつくっていくわけです。かといって、蔡さんならではの爆発のインパクトが弱まるわけではない。それどころか、自動車を使った自爆テロを何倍もの規模でシミュレートするかのような石油の爆発にいたるまで、蔡さんのパフォーマンスの破壊力はますます高まっている。それが、しかし、たんなる破壊ではなく、破壊をシミュレートすることで相転移させ、逆に鎮魂のシンボルとするアーティスティックな行為であることを、ドーハの人々も蔡さんとの付き合いの中で直感的に理解したのだと思います。

先の「ヒロシマの黒い花火」も同じことでしょう。外からやって来た有名アーティストではなく、日本の、いや広島のアーティストである蔡国強だからこそ、あれほど際どいことができたのです。実を言うと、日本にはもうひとつ、蔡さんにとって重要な場所がある。来日した蔡さんが最初に拠点とした福島県いわき市です。そこの人々と蔡さんの結びつきは、今に至るまで続いている。とくに、いわきで堀り起こした廃船を使うインスタレーションが展示されるときは、世界のどこにでもいわきの仲間たちが出かけて行って手伝うんですね。そういう関係ですから、東北大震災が起こったとき、蔡さんはオークションで作品を売っていわきの人々に義捐金を送った。生活再建に使ってもらうためです。ところが、いわきの人々は、それを桜の植樹に使うことにした——自分たちの世代が台無しにした環境を後の世代に少しでも美しい形で手渡すために。それに感動した蔡さんは、宇宙からも見えるような99000本の桜の植樹計画に参加し、明日もそのためにいわき市を訪れるのだそうです。今日、ここ東京の会場で、私は蔡さんを日本のアーティストと呼びましたが、いわきの人々は「冗談じゃない、蔡国強はいわきのアーティストなのだ」と言うのではないでしょうか。

そういう意味で、蔡さんは、故郷である中国のアーティストでも、アートを学んだ日本のアーティストでも、居住地であるアメリカのアーティストでもなく、世界のアーティストである——ただし、根なし草のコスモポリタン(世界市民)ではなく、同時に泉州やいわきやドーハに根を下ろしたアーティストである、と言うべきでしょう。蔡さんは、行く先々で悪戯っ子のようにそこの共同体の規範を疑い、最初は住民たちを当惑させもする。しかし、蔡さんを見守り、時にはその活動に巻き込まれる中で、住民は自分たちもローカルな規範から何ほどか自由になり、コスモポリタンというよりコスミック(宇宙的)な次元へと開かれていくのです。

もちろん、蔡さんが悪戯っ子のようだとからといって、それだけで蔡さんがイノセントだということにはなりません。実のところ、蔡さんは老練なアーティストとして、意図的に悪戯っ子を演じてもいるのです。それでも、蔡さんが「国家のアーティスト」でないことだけは断言しておいていいでしょう。

私はここで、2008年の北京オリンピックや2009年の中国建国60周年記念式典に芸術面で協力した頃から蔡さんに寄せられてきた批判——蔡さんが共産党独裁下の中国政府に迎合しすぎているという批判のことを念頭に置いています。この点に関しては、とくにマス・メディアから質問が出て当然で、世界文化賞の授賞式や記者会見ではそういうやりとりがあったのかもしれませんが、少なくともこのアートフォーラムでそういう質問が出なかった、それはやはりよくないと思うので、あえて私が「悪魔の弁護人」を引き受けようというわけです。

まずはっきり言っておきたいのは、中国で表現の自由を求めて戦う人々——アーティストでいえば艾未未(アイ・ウェイウェイ)らの闘争を、私たちは注視し、支援しなければならない、ということです。そういう反体制の闘士たちの中には、北京オリンピック開会式・閉会式に協力した張芸謀(チャン・イーモウ)や蔡さん、あるいは、張芸謀の監督作品「赤いコーリャン」の原作者として知られ、先ごろノーベル文学賞を受賞した莫言(モー・イエン)を、体制寄りに過ぎるといって批判する声があることも、ある程度までは理解できます。たとえば、2010年に民主化運動の闘士として獄中にある劉暁波(リュウ・シャオボー)にノーベル平和賞を授与したことで中国がヒステリックな反応を示した、いわばそれをなだめるために、体制にすり寄った莫言にノーベル文学賞を授与したのだ、というわけです。しかし、莫言の作品は文化大革命後の中国の精神的空白を多面的に描いたものであって、単純な体制批判でない半面、単純な体制讃美ではさらにない、作品を少ししか読んでいない私が見る限りでもそのことは明らかだと思います。そもそも「言う莫(なか)れ」というペン・ネームを選んだこと自体、共産党独裁体制の下にあって検閲と戦いながらいわば裏声で語り続けようという意志の表れであることは明白でしょう。程度の差はあれ、張芸謀にも同じようなことが言えると思います。まして、中国でこれほど大きな存在になったいまもニューヨークに拠点を置き続ける蔡さんが、中国共産党公認の「国家のアーティスト」になってしまったとは、とうてい言えないでしょう。少なくとも、日本人である私は、蔡さんをはじめとする一部の文化人が体制寄りに過ぎるなどと安全地帯から批判する立場にはいません。私としては、艾未未に対する中国政府の弾圧に抗議し、同時に蔡さんの際どい活動に拍手を送る、ただそう言っておくばかりです。

そういう文脈においても、日中関係が尖閣諸島/釣魚島の領有権をめぐって時ならぬ緊張状態にあるいま蔡さんが世界文化賞を受賞したことには、普段以上に大きな意味があると思います。実を言うと、中国と台湾の間の緊張がいまほど緩和されていない頃から、蔡さんは台湾でも旺盛な活動を展開してきた。とくに、中国本土(それも蔡さんの故郷である泉州)の目と鼻の先にある金門島を舞台に、かつて最前線基地として築かれたトーチカ跡をアートの展示空間に変えた「金門トーチカ芸術館」(2004年)は、あえて大げさに言うなら、アートで国境を超える大胆な試みと言えるでしょう。そこから考えれば、この際、尖閣諸島/釣魚島を「芸術館」として蔡さんに預けるという案はどうでしょう? 日本側にもパートナーがいたほうがいいのであれば、Chim↑Pom をパートナーにしてもいい。あるいは、蔡さんと交流のあるビートたけし/北野武を選んでもいい——実は数日前に京都で会ったときその話をしたら面白がっていました。日本は韓国とも竹島/独島の領有権を争っているわけですが、複数の証言によると、朴正煕大統領はオフレコで「あんな島は邪魔なだけだから爆破して沈めてしまったほうがいいくらいだ」という趣旨の発言をしたらしい。尖閣諸島/釣魚島美術館でも火薬だろうが何だろうが使い放題——というのは悪い冗談で、蔡さんならきっと自然環境を生かした素晴らしい「芸術館」をつくってくれるでしょう。いや、それでもまだ悪い冗談だと非難されるでしょうか。

蔡さんという桁外れの悪戯っ子の傍にいて、こちらも悪ノリしてしまったようです。ただ、私が強調したかったのは、蔡さんの仕事が狭いアート・ワールドの枠内に収まるものではなく、国の枠に収まるものでもないということでした。蔡さんはあらゆる方向に越境を繰り返し、時には政治的な波紋を広げもする——あくまでコスミックなものに対するスピリチュアルな感性を基本としながら。そこに蔡国強ならではのコスモポリティクスが現れるのです。世界文化賞にこれほどふさわしいアーティストが他にいるでしょうか。

今日は、みなさんとともに、またとくに蔡さんが「永遠の先生」と呼ぶ河口龍夫さんも交えて、その受賞を祝うことができたことを、本当に嬉しく思います。蔡さんは今後もいっそうスケールの大きな活動を続け、大きな反響を引き起こしていくことでしょう。その過程でまた今日のような出会いの場を持てるよう期待しながら、とりあえずの締めくくりとします。