プロフィール

福永 信(ふくなが・しん)
1972年生まれ。
著書に、『アクロバット前夜』(2001/新装版『アクロバット前夜90°』2009)、『あっぷあっぷ』(2004/共著)『コップとコッペパンとペン』(2007)、『星座から見た地球』(2010)、『一一一一一』(2011)、『こんにちは美術』(2012/編著)、『三姉妹とその友達』(2013)、『星座と文学』(2014)。

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『文學界』新人小説月評

2014年09月06日

『文學界』には「新人小説月評」という欄が巻末近くにあって、今年は俺が担当しているのだがこれを執筆するのはなかなか興味深い体験だった(あと3回分残っているが)。「新人小説月評」というのは、文芸誌を読んだことがある人にしかわからないから説明したいのだがどう説明したらいいんだろうか適切な言葉が見つからないけれどもたとえば『美術手帖』では椹木野衣と清水穣の二人が、それぞれ、月評を書いているがああいう感じだ。二人のタイプの異なる物書きが、同じ月に発表された作品について批評を書く。もっとも『美術手帖』の月評では椹木野衣と清水穣でとりあげる作品がかぶることはない。でも、『文學界』の「新人小説月評」は、二人が、同じ作品を、読み、同じ作品を、とりあげる。だから評価が分かれる作品が出てくることがある。今年の「新人小説月評」は俺のほかのもう一人は阿部公彦が担当している。『文學界』の担当編集者としては、書き手のタイプの違いは意識して選択しているようである(もっとも、『美術手帖』の場合は、東京/椹木、関西/清水という執筆者の在住地域が考慮に入っている)。「新人小説月評」がとりあげるのは、毎月の文芸作品全般ではなくて、「新人」とあるように、「新人」の小説に限る。これが「新人小説月評」の独特なところである。しかもこの「新人」は特異な存在であってこの欄において「新人」というのは「芥川賞候補になりうる小説作品の執筆者」ということなのである。つまり、逆にいえば、この欄にとりあげた作品の中にはかならず芥川賞受賞作がある。また、別のいいかたをすれば、いくらデビューしたてのフレッシュな作家でも、芥川賞を受賞していれば(あるいは候補になることを断っていれば)、この「新人小説月評」欄をいくら読んでもその作家は登場しない。巷で「新人小説月評」は芥川賞候補作の下読み作業と呼ばれるゆえんである。「新人小説月評」の執筆者は派遣アルバイト的に任期は一年間で更新はない(一昨年までは半年の任期だった。また、数年を経て再任する執筆者もいる)。

とはいえ、そもそも、俺に芥川賞候補の下読み作業などできるわけがないのだから単に編集部から指定された各誌の掲載作品をよろこんで読みそれについてしみじみと書くということだけを毎月くりかえしているだけである。でも、読者に面白く読んでもらいたい。そういう工夫はしているつもりだ。「新人小説月評」を読んで、読者が気になる作品があれば、明日にでも自転車に乗って図書館へ行って、その作品が掲載された文芸誌のバックナンバーを手にしてもらいたいのである(月評で扱った時点ですべて掲載作品は先月号になっているから書店にはない)。読者による検証可能性があるのが、『美術手帖』の月評よりすごいところだ。「新人小説月評」に書いてあることが、ほんとなのかどうか、読者は、自分の目で、見て、考えることができる。

執筆のプロセスを書いておく。毎月の文芸誌の発売日前後に、「新人小説月評」担当編集者から「編集部指定作品リスト」がメールで送られてくる。『群像』『新潮』『すばる』『文學界』(『en-taxi』『文藝』『三田文學』は季刊なので年4回。『早稲田文学』は不定期刊行だったがこの夏から季刊)などの各誌に掲載された「新人」の作品がリストアップされてくるのである。この「編集部指定作品リスト」に挙げられた各誌の掲載作品を、福永が読み出すのは、7日あたりからである。文芸各誌の発売日がだいたいそのへんだからだ。そして、締切は、22日くらいである。15日間ほどしかない。連載初回(2月号/1月7日発売号)の「新人」の小説は3作品だけで、しかも短編であったから、それほど大変ではなかったが(年末進行で締切が早かったが)、そういうのは初回だけだった。7月号(6月7日発売号)に書いた回が今のところ最多で、21作品が「指定作品」だった。したがって6月号の文芸誌には21作品の「新人小説」があったことになる。毎月の掲載作品数にバラツキはあるがだいたい平均で13作品はとりあげることになっているといえる。短編や中編だけではない。一挙掲載みたいな長編作品も混じってくる。こうなると、ほんとに読むだけ大変だ。締切の前日までかかる。明日出る10月号に書いた原稿は、締切当日の朝に全部読み終わるということになってしまった(今までいちばんヒヤヒヤした)。一日ずっと読んできて締切ギリギリというのは、俺は読むのが遅いうえ、「できるだけゆっくり読みたい」とも思っているからだ。しかも「読み終わる」というのが、いったいどういう状態なのかすらじつはよくわかっていないというのが正直なところだ。

「新人小説月評」原稿の執筆は、これまでのところだいたい締切前日の夜遅くから締切当日の夜までの作業になる。つまり執筆にあてられるのは一日だけである。読みながら雑誌に書き込んでいるメモを参考にしながら、書くのだが、このメモは、人物関係、時系列などを忘れないようにするためと、作品のおもしろさを手探りするための感想の断片などである。中には、感情的な言葉も混じる。「ダメだ!」とか「いい!」とか、あるいは「笑」とか、瞬間的に読んで俺が反応したところを雑誌の余白に走り書きするのだが、太めのボールペンで大きく文章にバッテンをつけて削除しようとしていたり可愛らしい挿絵を描きこんでみたり今これを書きながらそれらを見返しているのだがなにこれ怖いだいじょうぶだろうか福永という人はというのが率直な感想だ。つまりかなり恥ずかしいがしかし意外にこれが馬鹿にできない。というのは、月評執筆時に読み返すと、読んだときの自分の感情がありありと浮かび上がってくるからである。すっかり忘れてしまっていることが、このような感情的なメモによって、よみがえってきて、作品が、今、目の前にある、そんな手ごたえが感じられる。そうでもしないと、あとかたもなく消えてしまうのが小説だということでもある。たった2週間前に読んだものなのに、その後に読んだほかの作品群のあいだに埋もれてしまい、「読んだ」ときのなまなましさなどすっかり消えうせてしまい、「あれ、この作品、読んだっけ?」とすら思うこともあるほどなのだ。誇張じゃなくてほんとにそういうことがあった。字はその場に残っているのに、自分の記憶だけが残っていないというのは、おそろしい。読書はおそろしい。

私は初回からABCの3段階評価で作品をランク付けしているがそれはその作品を読んだ直後にはわからない。読んだ直後に、これはAだと確信をもっていえるのは、これまでに数回しかなかった。「編集部指定作品」の全部を読んだ後、締切当日になって、wordの画面に著者名とタイトル、掲載誌名を書き出してから、やっと、「これはAだ」とか「これはB」「これはCだな」とかの順番が決まる(決めることができる)。月評原稿を執筆しているあいだに、Aにランクしていた作品が、Bになったり、その逆になったりということもある。すでにいったように月評の執筆はほとんど締め切りの日の1日だけだからじつに乱暴な話だと思うだろうがその通りだ。これは私に限らないことだが、そもそも「新人小説月評」という欄はソザツなものなのである。というのは、この欄が優先させているのが、発表された毎月の作品に即興的に応じること、なのであるから。すべての「新人」作品を読んで、それの感想をほんの数行書く、小学生にもできることかもしれないが、それでも、やることが大切だと思ってやっている。小学生を馬鹿にしてはいけない。そう思って私は毎月やっているのだが、すべてを読み終わって、月評を書くという段階で、平均13作品の全てがなまなましく一挙に目の前にある感じになっていないといけないがこれがほんとにむずかしい。もちろん、小説というのが時間をかけて読んでいくしかない表現である以上、一挙に目の前にあるような感じを得ようとしても無理な話なのだが、それでも、そうでないと(一挙に目の前にあるような感じがしないと)、複数の作品を並べての評価はできない。忘れてしまっては駄目なのだ。だからむずかしい。

明日、7日が、文芸誌の最新号が出そろう日である。また「読む」作業が始まるわけで、けっこう緊張しているのだが(さっき指定作品リストのメールが届いた)、半年以上、毎月の「新人」の作品を読んできて、発見が自分なりにあったと思っていることがある。作品内の人称をどう変化させるかが、ひとつの流行現象になっている。作品を規定する人称の境界線が、作品の途中で引き直されるのである。一人称がその役割を超えて三人称のようにふるまったり、三人称が一人称的にズレ込んだりする。大変な試みとは思いつつも、そのことをやっている作品は、私は、基本的にランクを一つ下げた。この人称の変化は、ギャグであると思っているからだ。破壊的なギャグは一度やればそれで十分であり、何度もやっても同じ効果が成立するギャグに育てるには相当の芸が必要である(これはベテランにならないと無理だ)。近年の文芸誌の中では岡田利規がやったのだからもうそれでいいじゃないか。もしくは自分で一度か二度ためしてみればそれでいいではないか。そのあとにやるべきことはまだたくさんあるのだから、作家は自分で勝手にどんどん進んでいくのがいい。作家達が数か月、数年をかけて大事に書いた各文芸誌掲載作品をわずか2週間程度で読みたった1日で原稿を仕上げる物書きなどよりも小説家は5千倍くらいえらいのであり「新人小説月評」を書けば書くほどそれが僕にもわかってきたのであと3回を書いた後の来年からは棚に上げた荷物を下ろしてまな板の上にぴょんとのる。