プロフィール

小崎 哲哉(おざき・てつや)
1955年、東京生まれ。
ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。
写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。
あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。

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中国の検閲に加担した広島市現代美術館(転載・再録)

2018年03月26日
ニューズウィーク日本版(以下「NWJ」)の連載が一本にまとまった。『現代アートとは何か』というタイトルで、3月26日に河出書房新社から刊行される。リアル書店のほか、下記のオンライン書店で購入できる。

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書籍刊行を機に、NWJの記事は非公開になった。第1回「ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(1):水の都に集まる紳士と淑女」第2回「ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(2):『資本論』とロールス・ロイス」だけはウェブ上でお読みいただける。購入するかどうか迷っている方は、まずはこちらをご覧下さい。

書籍化に当たっては加筆修正を施し、構成を若干変えた。「中国の検閲に加担した広島市現代美術館」と題する章は丸ごと外した。表題通りの醜悪な行いについてのレポートだが書籍全体の流れからは浮くと考えた次第である。とはいえ、NWJの連載が非公開になると記事はどこにも存在しなくなる。それは忍びないしウェブ上に残しておくことに意義があると考え、NWJ編集部にもご了承いただき、このブログに転載することにした。

広島市現代美術館に限らず、昨今はこうした事例が目に余る。東京都現代美術館や国際交流基金を含む各国の圧力や規制については『現代アートとは何か』に記した。また、こうした事件をほとんど報じない「へたれ」な日本のジャーナリズムについても論じている。関心のある方はぜひお読みいただきたい。



中国の検閲に加担した広島市現代美術館 ※初出:2016年4月12日付
 ニューズウィーク日本版『現代アートのプレイヤーたち』「危うし、美術館!(6)」

美術館をめぐる論考は前項「(5)テート・モダンの迷走」でおしまいにする予定だった。自己規制や検閲に関わる話は「(2)スペインと韓国と日本の『規制』」ですでに終えていたつもりだった。ところが不幸にして、新しい実例を——しかも単純だがこの国に根深い実例を——目の当たりにしてしまった。予定を変更して、それについて綴る次第である。

広島市現代美術館『ふぞろいなハーモニー』展(2015年12月19日~2016年3月6日)


2016年3月6日、僕は広島に赴いた。韓国、中国、台湾、日本という(米国生まれ・在住のウー・ツァンを除く)東アジア4ヶ国のアーティスト計16名が出展する『ふぞろいなハーモニー』展を広島市現代美術館に観に行くためである。同展はゲーテ・インスティトゥート東アジア部門の発案で、ソウルから巡回してきている。最終日の日曜日だったが、小雨が降っていたこともあり、館内は案外空いていた。

『ふぞろいなハーモニー』展展示風景


1階の会場入口を入ると、目の前にク・ジョンアの立体があり、その左手奥に問題の作品があった。写真とおぼしき四角いフレームがふたつと、床置きで斜めに傾いだ小さなモニターがひとつ。予備知識なしで行ったので横にあったキャプションを読むと「刘鼎(リュー・ディン)《2013年のカール・マルクス》(2014)」と題名が書いてあり、内容についても記されていた。短い文章だったが、いまとなってはうろ覚えなので、広島市現美のウェブサイトから「作家・作品紹介」を転載しよう。たぶんこれと同じだったと思う。

刘鼎(リュー・ディン) Liu Ding 1976-
中国江蘇省常州生まれ、中国北京在住。《2013年のカール・マルクス》では、リュー・ディンがロンドン郊外にあるカール・マルクスの墓を訪れる途中の中国共産党員たちに偶然出会い、次第に激しく対立するまでが携帯電話で撮影されている。同作は、多くの『イズム』や概念が、中国にやってきた当初から疎外され、手段として用いられてきた現実を映し出す。マルクスの名のもとに実施される社会的・政治的慣習は、今や元々の意味がほとんど失われているのである。


Liu Ding Karl Marx in 2013 (2015) 広島市美での展示(撮影:ART iT)


面白そうだと思ったが、写真もモニターも全面ブルーで、それ以外には何も見えない。しばらく待ってみたけれど、映像が始まる気配もない。機材の故障など技術的な問題だろうかと監視スタッフに訊いてみると、耳を疑うような返事が戻ってきた。
「いえ、故障ではございません。中国政府が作品を見せるなと言ってきて、日本政府もそれを呑み、美術館も承諾したんです。作家さんは抗議の意味を込めて画面を青一色にしたと聞いています」

「輸出許可が出なかった」
驚いた僕はカタログを購入してページを繰ってみた。「2013年のカール・マルクス」はソウル展における展示風景の写真が掲載されているものの、青一色になった理由はどこにも記されていない。美術館のウェブサイトにも説明は見当たらない。そこで、京都に戻ってから広島市現美の広報担当者にメールで問い合わせてみた。(1)どのような経緯でこうなったのか。(2)中国政府のどのセクションから抗議が来たのか。(3)主催者と作家の間ではどのような話し合いがなされたのか。(4)キャプションにもカタログにもウェブサイトにも説明が一切ないのはなぜか、などなど。

結論を先に言えば、日本政府は関与していなかった。だが、大筋で監視スタッフの説明は正しかった。美術館広報担当者の返信原文から抜き書きする。 

 (1)出品を予定していた2点の写真作品がSMAC(Shanghai Municipal Administration of Culture)によって日本への輸出許可が下りませんでした。
 (2)「抗議があった」のではなく「輸出許可が出なかった」のです。正当な手続きで輸送されていたら(こちらは輸送のための申請をしていますので)何の問題もなく展示は行われていたはずです。

 (3)映像作品は上映できる状況にあり、館からは映像のみの上映を提案しましたが、作家は写真作品を含めてひとつの作品であるということで、その提案を拒否し、すべてを青色にすることを逆に提案し、それを館としては受け入れ実現させました。

 (4)作家に作品変更のステートメントを作品と同時に掲示するよう再三提案しましたが、説明なし、また作品のタイトルも変更しないことを作家自身が決めました。


(1)にある「SMAC」とは上海市文化広播影視管理局および上海市文物局のことである。中国政府や中国の自治体がアート作品の海外搬出や国内搬入を認めないことはよくあると言われている。年間に何件くらいあるのか具体的な数字は把握していないが、知り合いのアーティストやキュレーターから何度かぼやかれたことがあるので事実だろう。今回もそのケースのひとつということのようだ。

だが、不自然に思われることもあった。アーティストの気持ちを察するに、(3)は理解できるとしても、(4)、つまり事情説明を何もしないなどということはありうるのだろうか。なぜ、誰に対して抗議しているのか、これでは観客に伝わらない。釈然としなかったので、作家の刘鼎にも訊いてみることにした。

「許可がなければ展示はできない」
上に引いた「作家・作品紹介」にあるように、刘鼎は北京在住のアーティストである。絵画、写真、インスタレーションなど様々な作品を発表し、雑誌、テレビ、ネットなどのメディアも手がける。キュレーションを行うこともあり、2009年の第53回ヴェネツィア・ビエンナーレでは中国を代表する作家のひとりに選ばれ、中国パビリオンでのグループ展に参加している。『ふぞろいなハーモニー』展の4人のキュレーターのひとり、キャロル・インハ=ルーは公私にわたるパートナー。そこでメールをふたり宛に出してみたところ、すぐにインハ=ルーから返信が来た。「刘鼎も私も、この問題についてメディアが関心を示さないことに唖然としていたところでした」という前書きの後に、こちらが唖然とするようなことが書かれていた。

刘鼎 courtesy of the artist


まず、広島に輸送されるべき2点の写真は、作家ではなく上海在住のコレクターが所有するものだった。許可が下りなかったためにプリントを日本に送ることはできないが、当然ながらオリジナルデータは作家が保有している。そこで、これも当然ながら、刘鼎は美術館に「デジタルファイルを送信するから、2枚の写真を広島でプリントアウトし、額装して展示してほしい」と申し出た。モニターの映像はすでに作家がデータを渡していて、和文字幕を入れる作業も終了している。だからこの方法はきわめて妥当かつ現実的なものだと言えるだろう。ところが驚いたことに、美術館は即座にこの提案を拒否。「SMACが日本への輸出を許可しないのであれば、館として展示はできない」と言い張ったという。つまり、美術館の説明(3)からは最も重要な経緯が省かれている。

次に、(4)の経緯説明について。原文(英語)をそのまま訳してみよう。

 刘鼎は美術館に、2点の写真がなければ作品は不完全であると説明し、この作品が本来の形で展示されえなかったのはなぜかについて、彼ら自身の説明を彼ら自身が書くべきだと述べました。最終的に作品の展示を不可能にしたのは、まさに美術館であるからです。作家がデジタルファイルを送ることを提案したときでさえ、美術館は2点の画像のプリントを拒否しました。だからステートメントの形で説明を提示すべきは美術館であり、アーティストではありません。
憤りがPCの画面から漏れ出してきそうな文面である。

中国による検閲
広島市現美と作家側の説明には著しい食い違いがある。そこで、もう一度美術館広報に質してみたが、(4)の経緯説明についてはほとんど正反対の異なる見解だった。 

 リュー・ディンから美術館として説明を書くべきではと告げられた事実はありません。作家が来館した際、彼から青の作品(展示していたとおり)への変更案が出され、我々はそれを承諾し、両者合意したと理解しています。そしてそれにあたり観覧者へ向け作家自身のステートメントをぜひ出してほしいと要請しましたが、提出はありませんでした。この事実を我々は残念に思っています。


水掛け論になるからこの件は措く。説明(3)の肝要な部分が当初なかったことについては「今回の件は、輸出許可がおりなかったために展示できなかったという事案であり、途中経緯の細々としたことをメールで説明しきれるものではないと判断しました」という回答だった。展示を実現させたいと願う作家の現実的な提案を「細々としたこと」と切って捨てる姿勢に再び唖然としたが、メールにはほかにも興味深いことが記されていた。

 今回の展覧会では、ゲーテ・インスティトゥートが指名したキュレーターに作品の選択及び作家との交渉の権利があり、ゲーテの責任において用意された作品を当館が展示する、という役割が決められていました。当館はその役割の中で、本作を展示するためにギリギリまで可能性を探り行動しました。作品輸出の申請後、中国大使館から展覧会の内容についての質問が寄せられましたが、それにも誠実に回答しております。にもかかわらず、輸出許可はおりず、その時点で作家には現状を伝え、ゲーテ・インスティトゥートにも上海文化局に働きかけるよう呼びかけました。

 (小崎注:文中「上海文化局」は原文のママ)

 さらに作家に対しては、輸送業者の輸出通関ではない方法、例えば個人の手荷物として来広時に本人が持参すれば展示できるとも伝え、なんとか本作を展示する可能性を模索しました。が、これらに対し、作家及びゲーテ・インスティトゥート共にアクションを起こすことはありませんでした。作家からは「データを送るので広島でプリントしてほしい」という申し出がありましたが、私どもからは、公式に輸出許可が出ていない作品を複製することはできないと申し上げました。


細かい点についてさらに問い合わせると、中国大使館の質問は会期や内容など基本情報についてのもので、電話だったので口頭で答えた上でチラシなどの資料をメールで送付したという。それにもかかわらず(というより、そうしたやり取りがあろうとなかろうと)輸出許可が下りなかったというのは実質的な検閲にほかならない。許可しなかったのはSMACだが、問い合わせは大使館から来ている。まぎれもなく国家による検閲である。ちなみにこの作品は、まず上海で発表され、ソウルのほかにロンドンでも展示されている。

上海での展示風景 courtesy of the artist


ソウルでの展示風景 courtesy of the artist


Liu Ding Karl Marx in 2013 (2015) ロンドンでの展示 courtesy of the artist


Liu Ding Karl Marx in 2013 (2015) ソウルでの展示 courtesy of the artist


ゲーテ・インスティトゥートとの違い
展覧会企画を発案したゲーテ・インスティトゥートがアクションを起こさなかったというのは本当だろうか。これもメールで尋ねてみた。問い合わせ先は、ゲーテ・インスティトゥート韓国所長にして東アジア地域代表のシュテファン・ドライアー博士。誠実に、そして詳細に回答してくれた。なお、『Discordant Harmony』展は韓日中台を巡回する予定であり、公式ウェブサイトはゲーテ・インスティトゥートが作成している。

 事件について把握した後ただちに、ゲーテ・インスティトゥート(小崎注:以下「ゲーテ」)は刘鼎の立場を支持すると述べ、広島市現代美術館がアーティストの要請を受け入れ、提案された形で作品が展示されると請け合ってくれれば深く感謝すると表明しました。すると美術館は、彼らはSMACが輸出に必要な書類を発行しない作品をプリントする立場にはない、と知らせてきました。美術館は、ゲーテが展覧会の共同企画者としてSMACに働きかけてくれないかとも提案してきました。SMACと(美術館と)のやり取りに関して、ゲーテは詳細を知らされていません。

 ゲーテは美術館に追伸を送り、何よりも日本とドイツは表現の自由を有し、アートにきわめて高い価値を認め、多元的な社会の資産であると見なしているのだから、成り行きについて憂慮していると伝えました。(中略)さらに、アーティストとキュレーター自身が展示に必要な要素をすべて供給し、したがって美術館が彼らに代わって2点の写真をプリントする必要がないのであれば、美術館は作品を展示すべき立場にあるとも説きました。

 ゲーテはSMACとのやり取りについての詳細を受け取っていなかったので、我々は美術館に、彼らの交渉相手となったSMAC全担当者の連絡先と通信記録を求めました。そうすれば、直接交渉が適当かどうか判断できるからですが、返信は来ませんでした。その後、我々は美術館がアーティストと協議し、新しい形、すなわち3つの青い画面で作品を展示すると決定していたことを知ったのです。


企画の発案者であるのだから当然かもしれないが、広島市現美とまったく異なる、前向きにして筋の通った姿勢であると思う。書き添えれば、ソウル展は2015年2月7日〜3月29日までアート・ソンジェ・センターで開催されたが、同展4人のキュレーターのひとりで、光州アジア文化複合施設内アジア文化情報局芸術監督のキム・ソンジョンによれば、ソウルに搬入する際、上海通関時には何の問題も生じなかったという。

「自己規制ではない」
2通目の返信でもうひとつ注目されるのは、僕の「どなたが、なぜ、このような結論を下されたのでしょうか」という質問に対する回答である。広報担当者は「館長の判断であり、館としての決定です」と明言した。そしてこの返信は、当の館長にもCc.されていた。僕が現代アート雑誌の編集長を務めていたときに、館長は国立新美術館に学芸課長〜副館長として在籍していて面識はある。海外で開かれた会合に一緒に出席したこともあり、穏やかな人柄であることも承知している。直接メールを書いてみることにした。

福永治館長は地元・広島県の出身。呉市立美術館、広島市現代美術館、東京都現代美術館、国立新美術館勤務を経て、2013年からもう一度(館長として)広島市現美と、一貫して国公立の美術館に勤務してきた。メールを出したのは年度替わりの忙しい時期だったが、問い合わせの翌日に返信を頂戴した。記して感謝したい。

僕はまず「福永さんもご存じの通り、昨今、いわゆる『自己規制』的な事例が散見され、 いちアートファンとして、このままでいいのだろうかと案じていた矢先のことでした。 頂戴したお返事(小崎注:広報担当者からの返信のこと)を拝読した限り、やはり自己規制でしかないように思えました」と書いた。これに対しては「小崎さんの『自己規制である』という見解に、私は異論を持っています」という答だった。だが「が、今そのことを論議する余裕は無く、またお互いが得心するまでに至らないと想像しますので、これまでにしたいと思います」ということで、「異論」の内容も根拠も示されなかった。

僕は「展覧会は終わってしまったので、再展示はもはや不可能でしょうが、経緯を貴館として公表し、シンポジウムなどを開くことはありえないのでしょうか。可能性があるのであれば、微力ながらご協力したいと考えています。いかにも奇妙なこの状況を変え、アート界に活力を取り戻してもらうためにです」とも書いた。これに対する直接の反応はなく、代わりに以下のように記されていた。

 小崎さんは美術館現場に居られたことがないので、ご存知ないかもしれませんが、日本で開催する中国現代美術展、あるいは中国の現代作家が含まれる展覧会では、輸出不可ということは頻繁にあります。美術館では、現行のルールや措置に沿って事業を行っていかざるを得ないのです。

 そういったことに対して、異議を申し立てたり、改善を要求することは、一美術館が取り組むには荷が重く、私もそれを買って出ようとは思っていません。我々が課題に対して最大限努力するのはもちろんですが、現場を抱えている者には、外交問題にまで及ぶ制度の改変に取り組む余裕はありません。またそれを期待されても困ります。


「通関等の正式な手続きが重要」
この返信についての論評は書かずにおく。だが稿を閉じる前に、館長に書き送った質問および返答、そして、上記のコメントを読んで新たに生じた疑問と美術館からの回答を記しておこう。前者は、ゲーテ・インスティトゥートとのやりとりについてのもの。「ゲーテにはどのような要請をし、それに対してどのような返答があったのか」と尋ねると、以下の答が戻ってきた。

 本展企画者として上海文物局(輸送許可申請先)との交渉を要請。(中略)ゲーテからの返答が届く前に、作家から別作品(青い作品)への変更案が提示され、我々もそれを了承。ちなみに、その直後にゲーテから届いた返答内容は、「上海文物局との交渉ではなく、作家が写真を持ち込む等の方法を探りたい、そうすれば館は展示を認めるか」というもの。(我々は最初から一貫してその方法であれば展示できるという姿勢だった)。

 (小崎注:文中「上海文物局」は原文のママ)

新たに生じた疑問(質問)はふたつ。ひとつは「『現行のルールや措置』とはどういったものか」。もうひとつは「『作家が写真を持ち込む』ならOKで、『データを送る』のではNGというのはなぜか」。回答は「海外美術品輸送に関して定められた法律や関連部局(今回であれば上海文物局)による指示」。そして「当館にとっては、通関等の正式な手続きを経て持ち込まれていることが重要であり、後者はそれにあたらないと判断した」

広島市現美広報担当者および館長とのやり取りは以上で打ち切った。個人的見解をひとことで書くなら、「今回の事件は中国政府による検閲であり、広島市現美は自己規制することによって検閲に加担した」ということになる。なぜ日本の美術館が中国の「指示」に従わなければならないのか。なぜ事の次第を共同企画者として公にしない(したがらない)のか。以前に書いた東京都現代美術館とは違って、「館長の判断であり、館としての決定」と認め、取材に対して館長自身が自らの言葉で語ったことは評価したいが、根本的な疑問にまったく答えていないのは残念である。

アートに自粛は似合わない
広島市現美は、2014年に、前年にヒロシマ賞を受賞したドリス・サルセドの展覧会を開いている。サルセドは「自国コロンビアをはじめ、世界で横行する暴力や差別などに対して、芸術が強い抵抗の力を持ち得ることを一貫して示してきた作家」(広島市現代美術館「第9回ヒロシマ賞受賞者決定について」より)である。浅田彰氏によるレビュー(「ヒロシマのドリス・サルセド(第9回ヒロシマ賞受賞記念 ドリス・サルセド展)」。2014年7月30日付『リアルキョート』)に詳しいが、同展には、1971年にグッゲンハイム美術館でハンス・ハーケが検閲された事件へのオマージュとも呼ぶべき作品の写真が展示されていた。

2017年には、やはりヒロシマ賞を受賞したモナ・ハトゥムの個展が開催された。ハトゥムは「パレスチナからの亡命という自らの複雑な境遇にもとづき、疎外された人間の苦しみや、政治的な抑圧などの様々な社会的矛盾を、身体的な感覚を呼び起こすような独自の方法で表現する」(広島市現代美術館「第 10 回ヒロシマ賞受賞者決定について」)作家であり、1970年代には(出身国のレバノンではなくロンドンで)規制や検閲に直面したと語っている。(ジャニン・アントニによるインタビュー。『BOMB』1998年春号)。

2015年には『赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現在まで』を開催している。前年に亡くなったアーティストの回顧展で、1965年から1967年にかけて行われた「千円札裁判」の記録ももちろん展示した。この裁判には、特別弁護人の瀧口修造、中原佑介、針生一郎をはじめ、証人として中西夏之、高松次郎、刀根康尚、篠原有司男、粟津潔、澁澤龍彦、秋山邦晴ら多数の芸術文化関係者が出廷し、赤瀬川作品を徹底的に擁護した。

福永館長は、すべての展覧会に主催者として関わったのはもちろん、ヒロシマ賞受賞者選考審議会委員として、サルセドとハトゥムを受賞者に選んでいる。彼女たちを交えて、今回の問題を論じるシンポジウムを広島で開けないだろうか。日本では、表現の自由を保障し、検閲を禁止した憲法21条に加え、文化芸術振興基本法が前文で「我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である」と宣言している。「文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」とはどういうことか、具体的な事例をもとに議論するのは意味あることではないだろうか。

こうした問題が相次ぎ、日本のアート界の一部には自粛的なムードが感じられる。他方、東京都現代美術館で開催された『MOTアニュアル2016 キセイノセイキ』展(2016年3月5日〜5月29日)などを見ると、規制や検閲と、政治的な交渉とを取り違えたり混乱したりしているケースがあるように思える。美術館などの制度的な組織に、展示に関する規制があるのはある意味で当然である。それが法と物理的な制約に基づくものである限り、議論の余地はない。それ以外の問題は、制作段階でアーティストと主催者が話し合って解決すべきであり、それは健全な政治的交渉と呼ぶべきものだ。言うまでもないことだが、政治的交渉には相手を説得する技術と粘り強さが必要である。若い作家やキュレーターには、自らを省みて若いから仕方がないことだとは思うが、その技術と、ときとして社会的常識が欠けている。「バカだねえ」と頭を小突いてくれるオジサンやオバサンも、絶滅してしまったのかもしれない。

アートに自粛という言葉は似合わない。全体主義国家とは違って、この国で体制批判や風刺や権力者のパロディを作品に盛り込んだとしても、死罪になることはおろか投獄されることもないだろう。いちばん重要なのは良い作品をつくることであり、コンセプトとクォリティに自信があれば理不尽な非難は無視するか、胸を張って反論すればよい。自分が不条理な目に遭ったら臆することなく抵抗し、それが仲間だったら声を上げて擁護するのが当然だ。上に名を挙げたハンス・ハーケをはじめ、まっとうな作品がまっとうな評価を受けることはアート史が証し立てている。逆もまた真であることは付け加えるまでもないけれど、萎縮することだけは避けなければならない。日常に異を唱えることにこそ、現代アートのアートたる所以、存在理由があるのだから。

(※2017年夏から秋にかけて『第10回ヒロシマ賞受賞記念 モナ・ハトゥム展』が広島市現美で開催された。小ぶりとはいえなかなか好い展覧会だったが、僕が期待し、提案したようなシンポジウムは行われなかった)