プロフィール

神里 雄大(かみさと・ゆうだい)
1982年、ぺルー生まれ。岡崎藝術座主宰。2011年〜16年まで、セゾン文化財団ジュニア・フェロー。
移民や労働者が抱える問題、個人と国民性の関係、同時代に生きる他者とのコミュニケーションなどについて思考しながら舞台作品を発表している。
『亡命球児』(「新潮」 2013 年6月号掲載)により小説家としてもデビュー。16年10月より文化庁新進芸術家海外研修制度により、アルゼンチン・ブエノスアイレスに滞在中。

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12歳の女のデビュー

2017年04月15日

Teatro Colón

Teatro Colón



翌日に本番初日を控える舞台のリハーサルを見学してきた。
会場は古倉庫を劇場用に改装したもので、灰色のレンガの壁や、倉庫らしい構造が丸見えの高い天井、薄暗い照明などが時の積み重ねを想像させた。
舞台向かって左手(しもて)の客席に近いところで、男性がピアノを弾くところから、リハーサルは始まった。すぐに客席のうしろから、人の話し声が聞こえ、演出家は大きな声でそれを注意したが、それは待機中の俳優たちの話し声ではなく、会場の外の人の声が客席まで聞こえてきたのだった。
しもての客席側から子役の女の子が登場し、ピアノの向こう側に立ち、鉛筆を口にくわえたまま、なにやらしゃべりだす。後から聞いたことだが、彼女は今回が初舞台であるという。緊張しているからなのか、恥じらいが捨てきれていないからなのか、体はこわばりセリフも耳に入ってこない。慣れていないと言えばそれまでだが、つまりうまくない。
女の子の呪文のようなセリフに早くも眠くなっていると、客席の両脇から5人くらいの他の俳優たちが、演技をしていないふうに入ってきて、だがすぐに、それが演じていないふうの演技であり、そのように演出されている、ということがわかる。
演出家は客席で立ち上がり、なにかを言いたいのだろう。進行していく舞台の隙間に、なにか気の利いたことを差し込むタイミングをねらうように立ち上がった。彼はぼくの後ろの列にすわっていて、どういうふうにリハーサルを見て、どんなコメントするのか、自分の演出する舞台をどんな表情で見つめているのか、できればその姿を観察したいのだが、演出家が後ろをとられたくないことはよく理解しているので、尊重する。
演出家は大きなくしゃみを2回した。俳優たちはそれを聞こえなかったことにする。そうこうしているうちに客席が暗くなってしまったので、このあとは覚え書き。

・しばらく暗闇と子役のなんともいえない単調なセリフまわしが続く。鉛筆を口にくわえる意味はけっきょく不明。

・静寂をぶちやぶるように、そしてそれまでの神妙っぽい雰囲気をぶち壊すように、そんな勢いでセリフをしゃべりだす母親役の俳優と父親役の俳優。

・照明を持つだけの役者がいて、自撮り棒のように、それでメインの俳優を照らしていく。メインの俳優は母親、父親、友人、子ども。

・後半気づいたら寝ていた。



翌日夜20時半、初日を見てきた。
少し早めに着いたので、会場のバーで赤ワインのグラスを飲んで、すきっ腹のせいですこし気持ち悪くなった。例の少女は緊張しているだろうか。
席に座ると、前の男の図体がでかくて舞台がちょっと見えづらい。
開演、しもてで男性がリハーサルどおりピアノを弾き出したものの、まだ全部の客は入りきらず入口はざわざわしている。すでに座っている観客たちも隣の人とのおしゃべりに夢中だ。ピアノはそういう観客の状態を集中させるための導入剤なのかもしれない。と信じて、すべての人が座りきり、客席が静まるのを待っていたら、そうなる前に、例の少女は入ってきて、そしてしゃべりだしてしまった。もともと、彼女の声は緊張のせいなのかなんなのか非常に小さい。そのうえ鉛筆をくわえてしゃべらなければいけないのに、普段通りの小ささでしゃべるので、その声は客席のおしゃべりにかき消されてしまって、誰も彼女に注目することはない。
5人の俳優が入ってきてどたばたやりはじめて、ようやく客席は静かになり、演劇が始まっていたことを知った。
リハーサルとおなじあたりで、また眠ってしまった。