プロフィール

成実 弘至(なるみ・ひろし)
京都女子大学教授。
文化社会学。
著書に『20世紀ファッ ションの文化史』(河出書房新社)、編著書に『コスプレする社会』(せりか書房)、『空間監視社会』(新曜社)など、共著に『Japan Fashion Now』(Yale 
University Press)ほか。
展覧会『感じる服 考える服』(2011年、東京オペラシティギャラリー)にキュレーターとして参加。

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「ニュイブランシュ京都 2015」をふりかえって

2015年12月20日

●ニュイブランシュとは

アート・イベント「ニュイブランシュ京都 2015」について書いてみたい。

「ニュイブランシュ」は、10月初めの土日にパリ市内で夜通し行われるアート・フェスティバルのこと。パリ市と姉妹都市である京都市でも、数年前(2011年)から開催されている。今年の公式HPを見ると、京都市とアンスティチュ・フランセ関西が共同主催、日仏の文化施設が共催に加わり、市内のアートギャラリーが参加する体制になっている。フランス発文化イベントの京都ヴァージョンである。今年は10月3日夜に開催され、人びとが市内各所でアート、音楽、パフォーマンスなどのイベントを楽しんだ。

なぜわたしが「ニュイブランシュ京都 2015」のことを振り返っているかというと、今回一部の展示企画に参加した縁による。アンスティチュ・フランセ関西でニュイブランシュをディレクションしたイザベル・オリヴィエ氏から、今年のテーマを「ファッション」にするので協力してほしいと依頼されたのだ(昨年のテーマは「現代アート×伝統工芸」)。ファッションをテーマにしたアートイベントということで、京都服飾文化研究財団キュレーター石関亮氏と京都精華大学講師の蘆田裕史氏とともに、3人でかかわることとなった。

わたしたちが手がけたのは、3つの展覧会と関連シンポジウムの企画立案である。ファッションをめぐって活動をするアーティストをニュイブランシュに招聘すること、日仏クリエイターによるシンポジウムを司会することが具体的な仕事となった。仕事といってもノーギャラ、ボランタリーなお手伝いである。

企画協力者とはいえ、担当以外の経緯や事情は知らないし、利害もしがらみもない。そういう立場から体験したことを記録し、このイベントについて個人的な印象を記してみようと思う。

●3つのテーマのファッション展

ART ZONE会場



石関・蘆田両氏と話しあい作家の選定をおこなううちに、「新しい時代のファッション」「衣服と身体のあいだで」「京都の新しいものづくり」の3つのテーマが浮かびあがってきた。主催側からの要求や指示はなく、ほぼフリーハンドだったが、予算がミニマムと予想して、今後期待の若手を中心に人選。通常のファッションではなく、アートに近接するクリエーションをおこなっていることが選定基準となる。予算や時間があれば東京のデザイナーやブランドも考えられたが、事前準備の時間がほとんどないうえに時期的なタイミングも悪く(10月初頭は来年春夏コレクションの直前にあたり、東京のコレクションブランドは多忙をきわめる)、すでに発表作品のあるシアタープロダクツに声をかけた。

テーマ1「新しい時代のファッション」は、新しい服づくりの可能性を探っているクリエイターに目を向けて、日本のファッションブランド、シアタープロダクツによるプロジェクト、Theatre yoursと、衣服をテーマにしたアート作品で知られる西尾美也のプロジェクト、Form on Wordsから、それぞれ映像作品を出品してもらった。会場は京都市立美術大学のギャラリー@KCUAに決まる。このギャラリーにはフランスからアイデンティティをテーマにしたポートレイトの写真家リラ・ヌートゥル、ジュエリー作家のアンバー・カーディナルによる映像作品と、エスモード・ジャポン校の学生作品も展示された。会場で開催されたシンポジウムには出品作家とともに鷲田清一がコメンテーターとして登板。わたしは未見だが、3日夜にはクリエイターチーム、アンドレア・クルーズによるファッションショーも開かれた。

テーマ2「衣服と身体のあいだで」では、身体をめぐる作品づくりをしている若手女性アーティストで構成。テキスタイルによるソフトスカルプチャーの皮膚や肉体を造形する塩見友梨菜、アニメーションやパフォーマンスによって少女性ある空想世界を作りだす深谷莉沙、目がヘッドライトのように光る若者たちに独自のファッションをまとわせたイラストを描く寺本愛の3人が参加し、会場はギャラリーのARTZONEに決まった。隣接ギャラリーMEDIA SHOP Galleryでは衣装デザイナーのコレット・ウシャールによる劇団・地点のための舞台コスチュームが展示されていた。アーティストトークでは塩見、深谷、ウシャールが参加して、身体をどう意識して作品をつくってきたか、舞台衣装と美術作品はどう違うかなどについて話しあわれた。

ザ・ターミナルキョートの野村春花の作品



テーマ3「京都の新しいものづくり」では、若い染色作家の野村春花に依頼することにした。野村は草木染めで染めた布をつかってカバンや作品の制作をおこなう若手クリエイターである。時間の経過とともに作品=商品が「育つ」、持ち主が「育てる」という視点からものづくりを再考している。今回のために新作の柿渋染めカバンシリーズを制作・出品してくれた。作品はザ・ターミナルキョートという町屋を改装したスペースに展示された。この場所ではモード造形作家ミシャ・デリダーの作品展示、京都の工芸工房とフランス人デザイナーがコラボレーションする商品開発プロジェクト「Kyoto Contemporary × Ateliers de Paris」の成果発表もおこなわれた。テーマ3のトークはわたしが司会したが、アーティスト、染色作家、京都コンテンポラリー参加者の立ち位置がバラバラすぎて、ほとんど話がかみ合わなかった。

 

以上の3つにかんしては、わたしたちアドバイザーの企画とアンスティチュ・フランセ関西の企画、それぞれ独立した展覧会が、同一会場に混在する様相となっていた。おそらく来場者は各会場を一連の展示空間として鑑賞し、異なる企画を同一地平で体験しただろう。この配置が、わたしたちの企画意図を来場者に十分伝えるものだったのかどうか、いさかか心もとない。また各会場のシンポジウムでは同じ場所に出品する日仏の参加作家が一堂に会して意見交換をおこなったが、彼らは初対面で、問題意識を共有する機会もほとんどなかった。両国の作家を対話させるのは興味深い試みだったが、準備不足により空回りした観がいなめなかった。

●いまファッションが直面しているのは

一番成功したセッションは「新しい時代のファッション」であった。

このシンポジウムには日本から西尾美也、フランスからファッションデザイナーのマルシア・レベッカ、クレモンティーヌ・サンドナー、ジュエリー作家のアンバー・カーディナルらが参加。彼らはいずれも既成のファッションの枠組みにとらわれないクリエーションを模索しているところが共通していて、活発な議論が交わされた。

西尾の「Form on Words」はさまざまな地域の人たちとともに現地で古着をリメイクして、新旧の物語を服の上に交差させていくアートプロジェクトであり、シアタープロダクツのプロジェクト「Theatre, yours」はブランドの服の型紙をオープンソースにしてだれもが服づくりに参加できる仕組みの提案である。それらはブランドやデザイナーが一方向的に商品を発信するシステムにたいしてオルタナティブな方法を提示する試みだった。

一方、衣服をとおして社会的なメッセージを発信するブランド、アンドレア・クルーズを率いるレベッカ、リメイクによるドレスをつくるサンドナーも古着を素材として選んでいた。フランスのクリエイターたちも現在の過剰消費社会に異議を唱えた活動をしている。

このシンポジウムが成功したのは、アーティスト(西尾)とデザイナー(レベッカ、サンドナー、カーディナル)と立ち位置は違えど、問題意識が近かったからだろう。クリエイターたちが国境を越えてファッションシステムへのアンチテーゼを打ち出しているのが、閉塞したファッションを打開しようとする若手の心情をよくあらわしている。

コメンテーター鷲田清一が「作り直す、みんなで作るという実践は、トレンドに終わるのか、時代を画する転換点なのか」と問いかけ、パネリストたちが異口同音に「どうなるのかまだわからない。しかし今するべきことはこの方向を追及していくことだ」と答えていて、オルタナティブを模索する動きが本物であることを確信した。

一方、「身体と衣服のあいだで」「京都の新しいものづくり」のセッションは、日仏のパネリストが共通点の探り合いをしているうちに終わった。アートとデザインの違い、身体への意識の違い、工芸の現状について、いくつか気づきはあったものの、司会と参加者の力量のせいか議論として一向に深まらず、歯がゆい思いがした。とくに京都コンテンポラリーのような、フランス人デザイナーの力を借りて日本の職人が商品開発をするという発想もその成果物も致命的なまでに時代錯誤に見えてしようがなかったが、司会者の立場上それには触れずにおいた。

今回のニュイブランシュで作品を見たり作り手たちと話してあらためて認識したことは、ファッションが過渡期にあり、新たな方向をめぐる試行錯誤がグローバルになされている、しかしそれはまだ見えていない、ということであった。

●ニュイブランシュの今後

ニュイブランシュの公式会場は38会場にわたっていて、ギャラリーの多くは独自企画の参加であった。わたしはその一部しか見ていないが、安楽寺で開催されたイザベル・ド・メゾヌーブ、三条スフェラ・ギャラリーでのピエール・シャルパンの個展はクラフト、プロダクトとジャンルは違えど、作家の魅力を十分に堪能できた。

ミシャ・デリダー作品(ザ・ターミナルキョート)



わたしにとって今回の収穫は、アンスティチュ・フランセ関西の特設ステージでおこなわれたモノクロームサーカスのパフォーマンスだ。京都を拠点にするダンスカンパニーがフランスのミシャ・デリダーの衣装をまとって、変化自在に動きながら、身体の多様な形を表現していて見応えがあった。デリダーの衣装はこのパフォーマンスのためのものではないはずだが、ダンサーたちがそれぞれの衣装の特性を追求しながら、その可能性を引き出していて、「身体と衣服のあいだ」のコラボレーションが見事に結実した公演である。

とはいえ、ニュイブランシュ全体から受けた印象は、やはり求心力のないイベントということになる。会場は多すぎ、相互の関連もなく、鑑賞の手がかりもない。関係者の努力や苦労は認められるが、アートイベントとして開催するのであればそれなりの内実を整えるべきであった。

一方、交流イベントとして見ると違う評価ができるかもしれない。京都には在日外国人コミュニティがあって、当日もアンスティチュ・フランセ関西やヴィラ九条山といった拠点会場では多様な人たちが混じりあって楽しく興じていた。その範囲にかぎっていうと、一定の成果をあげたのだろう。

今年、ファッションという中心テーマをつくって展覧会や関連シンポジウムを企画したことには意義はあったと思う。それはニュイブランシュという茫漠としたイベントに、それでもひとつの輪郭を与えることになったからだ。それもなければ、さらに散漫なものと見えたにちがいない。しかしファッションをテーマにしたものの、時間と予算の不足のため、内容が不完全燃焼に終わってしまった。これから芸術文化イベントとしての精度を上げるのであれば、人員、予算、運営体制など、全体を再検討する必要があるだろう。ニュイブランシュ京都がどの方向に進むのか、来年はひとりの観客として見守りたいと思う。