プロフィール

石谷 治寛(いしたに・はるひろ)
京都大学人間・環境学研究科博士後期課程修了。
博士(人間・環境学)。
現在、甲南大学人間科学研究所博士研究員。
京都造形芸術大学他講師。
美術史、アート・メディエーター。
著書に、『幻視とレアリスム――クールベからピサロへ 近代フランス絵画の再考』(人文書院、二〇一一)。
共著に、『見る、撮る、魅せる、アジア・アフリカ!』(新宿書房、二〇〇六)、『ジョルジョ・モランディの手紙』(みすず書房、二〇一一)、『アートセラピー再考――芸術学と臨床の現場から』(平凡社、二〇一三)。共訳書に、クレーリー『知覚の宙吊り』(平凡社、二〇〇五)など。
論文に、「アートとセラピーの書きかえられた記憶――マイク・ケリー《エデュケーショナル・コンプレックス》と偽りの記憶症候群」(甲南大学人間科学研究所紀要、二〇一二年)。「理性の眠りは怪物を生みだすか?――インカ・ショニバレの船と布地」『表象05』(月曜社、二〇一一)など。

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パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら

2015年03月17日

PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭」をひと通りまわるのに、結局3日かかってしまった。それでも展覧会構成の全体像を理解すると、芸術祭でお馴染みの芸術家たちの作品の星座がおぼろげながら浮かびあがってきた。私の場合、おおむね昼過ぎから歩きはじめたということも時間のかかった理由のひとつであるが、それでもまだ十分に見ることができていない作品がある。20-30分ほどの映像作品が展示の大半を占めるというのがその理由である。また京都市内に点在する会場間の移動も、電車やバスの待ち時間や徒歩を含めれば3, 40分は要する。昼食やカフェの時間も取りたい。それゆえ、のんびり過ごしていると途方に暮れたまま1日は終わってしまうだろう。忙しい観光客ならば、花見や寺や城など、文化遺産もまわりたいだろうし、そのほうがSNSの投稿ネタになるかもしれない。

「パラソフィア」はストイックなまでに、そうした誘いからは距離を保っているようだ。伝統的な意味での日本画や油画がほとんど見られないというのも本芸術祭が観客の期待を裏切る理由かもしれない。むしろ自由に出入りできる映像祭と考えた方がいいだろう。観客には、映像作品に集中し、それについて語りあうよう要求されているように思える。展示室の壁やスクリーンは学校の黒板である(映像の教育学、セルジュ・ダネー『不屈の精神』梅本洋一訳を参照)。しかし展示構成の頑固なスタンスにじっくり付き合いさえすれば、ディレクターに敬服の思いも湧く。答えを出すよりも、粘り強く問い、疑問を持ちつづけること。実際京都に住んだことのある者なら誰もが経験しているように、いわゆる観光地におもむく機会は、他所から来訪者がある場合に限られてくる。むしろ、喫茶店や飲み屋で音楽を聞きながら駄弁って過ごすというのが京都民の作法である。

ジャン=リュック・ヴィルムート《カフェ・リトル・ボーイ》2002/2015 ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館/産業創造センター蔵、京都市美術館内部の会場入り口に展示。ヴルムートの作品は、京都での再展示になるようだ。爆心地のあとに残された外壁周辺の救護所に置かれた、メッセージボードが作品の着想になっている。廃墟のためのサヴァイヴァルの後に何重にも上書きされるメッセージのイメージは今回のPARASOPHIAの基本的なコンセプトを表しているように見える。リトル・ボーイと呼ばれた原爆の投下という主題とともに、京都と広島のつながりについて黙想したい。



でも、多くの観光客にとっては効率的に展覧会の見所を押さえ、残りの時間で京の文化を堪能したいと考えるだろう。本パラソフィア非公式ガイドでは、展覧会の主題の布置を意識しながら、会場を2日でまわるプランを提案したい。( )内には映像鑑賞を全てした場合のおおよその目安を示す。本芸術祭の本当の目玉であるレクチャーや関連企画に立ち寄ると、計画通りにはならないので、そのうえで参考にしていただきたい。

まず通常の1800円のチケットでは有料の会場二ヶ所が別々の日に見られる。1日目のコースとしては、京都文化博物館(有料)を中心に、中心から南へ、そして北へ、京都文化博物館(45分)、大垣書店(20分)、京都芸術センター(20分)、崇仁地区(25分)、鴨川デルタ(30分)、堀川団地(45分)を横断することを目指し、2日目を京都市美術館(有料)の鑑賞に充てたい。1日で全会場をまわろうとすると、いくつかのサテライト会場を断念するか、映像作品をほとんど鑑賞しないという決断をせざるを得ない。しかしそうなるとパラソフィアを体験し損なうだろう。また、1日目のコースは10時から19時まで開館しているが、京都市美術館は通常9時から17時までで、ハイシーズンのみ19時まで開いている。

さてつづくエントリーでは、駆け足ながら、個々の会場をまわってみたい。[公式サイト地図]

1日目 「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる

A. 「鏡とガラスの王宮劇場」京都文化博物館 別館(45分)

B.「最後の皇帝を最後の司祭のはらわたで絞殺せよ」大垣書店(20分)、京都芸術センター(20分)

C.「0番地の歴史と記憶のバンク」崇仁地区(25分)

D.「親密圏の時間」鴨川デルタ(30分)、堀川団地(45分)、

*A. B. C. D.は入れ替え可能、D. A. B. C. あるいはC. B. A. D.と進むのが最短ルートになるが、著者の視点で京都文化博物館を出発点とした。

2日目 「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉

パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉

E.「(反)帝国主義のミュージアム」京都市美術館(1日コース)

a. 「デジタル・メディア時代の見ることと読むこと」(1階南側、1時間)

b.  「歴史をめぐる対話と共鳴」(1階北側、2時間30分)

c.  「地図作成術から参加/動員をめぐって」(2階南側、1時間30分)

d.  「喪失への祈りとガスの記憶」(2階北側、1時間30分)

ところで、昨年プレイベントのケントリッジ《時間の抵抗》を元・立誠小学校(現在はART GRID KYOTOによる芸術祭ミーティング・ポイントになっている)で鑑賞した際に、たまたまディレクターの河本信治氏自らが、学校の課外授業での参加を呼びかける地元の教師向けの会合に出くわした。そのとき河本氏から、ケントリッジ作品と芸術祭の趣旨について説明を聞くことができた。1時間半にわたるそのやりとりを傍聴しながら浮かびあがってきたのは、地元の教師たちからの期待との芸術祭運営との齟齬である。河本氏は、地図や写真をPCで見せながら熱心に、ケントリッジのユダヤ人としての来歴と歴史や地図とのつながりについてカタログでは書ききれないほどの内容を語ってくれた(かなり複雑な話題に広がったので、字数制限のある拙《時間の抵抗》レビューには彼の見解を十分に反映できていない)。また河本氏は、特に科学好きの少年に来てもらいたいという夢も話していた。

しかし、そうした熱心なディレクターの思いとは裏腹に、協力はしたい、でも、びっしりと詰まったカリキュラムをこなさないとならない中で、授業時間を芸術祭鑑賞に充てるのは難しい、という躊躇する教師たちの声も多く聞こえた。大学講師のはしくれとして、私自身、切実な教育現場の声に共感するところが多いが、この「でも、」という葛藤のなかに、今回の「PARASOHIPA」というタイトルに掲げられた「PARA=側に、準、以外に」という接頭語は集約されるのではないだろうか。つまり、美術館と教育という知の制度のあいだの葛藤の場に寄り添ってみること。たしかに忙しい時間に追われるなかで、教科書や旅行ガイドブックから脇にそれたオルタナティブな世界の過去と未来を夢想する暇はない。「でも、」世界の切実な場に立ちあって、その声に耳を傾け考えてみたい気もある。この「でも、」のフラストレーションを煽ること。それがパラソフィアのコンセプトだとするならば、円滑な運営やわかりやすいアート・イベントとは程遠い、はじめから失敗を見据えたきわめて挑戦的な国際展であろうとするものであると言えるかもしれない。

2000年代の国際芸術祭は展示よりも教育プログラムの充実(ドクメンタ)や批評家の育成(イスタンブール・ビエンナーレ)、メディエーターの動員(マニフェスタ)への意識の高まりがあり、私自身もそれらに訪問者として足を運ぶなかで、教育普及の成果に立ち会えないことに歯がゆさを感じていた。今回は、地元に馴染みのあるアート・ファンあるいは美術史教師、批評家として参加できることに素直に喜びを感じている。京都国際芸術祭は、ほぼすべてのアーティストの京都への招集を目指し、レクチャーを充実させていることが特記できる。それでも、教育、批評、メディエーションの人材育成に関しては他の国際展と比べて立ち遅れていると言わざるを得ない(エデュケーターないしメディエーターの人材の軽視は日本の美術館や芸術組織の大きな問題であると個人的には考えている)。私自身もレクチャー企画に足を運ぶ時間がなかったのだが、いずれにせよ、良い刺激として波及していくだろう。京都ではじめてのワーク・イン・プログレスの国際芸術祭と考えれば、こうした経験から、批判や反省を含めてさまざまな反応や動きが促進されることを期待している。6000円のパスポートを購入したので、機会があればまた足を運び、通りざまに一瞥しただけの映像作品に腰を落ちつけて向き合うことは、まだ今後の私の課題として残されている。

イスタンブール・ビエンナーレ(2013年)。アートの公共性が主題の国際芸術祭。ひとつの展示会場には旧学校が使われ、会期中1階ではドローイング、音楽、ダンスなどのワークショップが行われていた。最上階には芸術祭のスポンサーシップが図表化された展示もあり、再開発、教育、経済が鋭く考察された国際芸術祭だった。全会場、入場無料は英断であり、そのかわり有料で学生からなるメディエーターの解説を頼むことができた。



パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」につづく

 


【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)

Interview:
河本信治
(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)

Review:
▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」

Blog:
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1
href=”http://realkyoto.jp/blog/thomasson_sophiagraphie-parakyoto-part-2/”>▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2

外部リンク:
Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
 ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎哲哉)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川

 

▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉