プロフィール

小崎 哲哉(おざき・てつや)
1955年、東京生まれ。
ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。
写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。
あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。

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角が取れて丸くなる

2013年12月29日

11月に観たもの・聴いたもの・参加したもの。

某日:トーマス・シュルツ展『白亜の響き』@アートスペース虹
英仏海峡トンネルのパイプラインの打撃音、エトナ山の蝉の鳴き声、欧州議会の音……。議会と言えばシュトックハウゼンだろうか。


某日:サウンドアート・シンポジウム「場所と音響」トーマス・シュルツ、フィリップ・ゾルマン、ニシジマ・アツシ、中川真(司会)@ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
『平安京 音の宇宙』の著者・中川真さんに会えてうれしかった。名著の主旨に則った、音楽と時間と権力の関係について、もっと聞きたかった気も。

某日:『RESPONSE—アートをめぐる12の建築—』展@イムラアートギャラリー
京都大学竹山研究室の学生12名が、小谷元彦、塩保朋子、名和晃平、花田洋道、日高理恵子、舟越桂、町田久美、松井冬子、三瀬夏之介、宮永愛子、山本基、横山裕一の個人美術館をそれぞれ設計。よい試みではあるけれど、いずれも優等生的で現実的。実現性を度外視した、もっと無茶苦茶な設計も観てみたいと思った。ジャンルは違うけれど、例えば書籍『本本堂未刊行図書目録』とかが参考になったかも。

某日:Diamond Version (Byetone & Alva Noto)@クラブメトロ
カールステン、Cooooooooooooooool!

某日:『ONE DAY, MAYBEいつか、きっと』@高知県立美術館
REALTOKYO『Out of Tokyo 254』参照。

某日:『無何有郷-ユートピア-』展@四国村
広大な敷地内に移築された古民家や古い灯台の中で、藤本由紀夫らの作品を堪能。前の月に訪ねた愛岐トンネル群『荒野ノヒカリ』展では、トンネルを行き交うおばちゃんたちのおしゃべりがうるさくて、サウンドアートがよく聞こえなかったけれど、今回はばっちり! 企画意図と内容は『アネモメトリ』の林洋子さんによる記事に詳しい。

ブルーノ・ムナーリの竹をイメージした照明器具を竹敷きの古民家に展示。ディレクションは藤本由紀夫。



某日:『高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.03 DAYDREAMS/夢のゆくえ』@高松市美術館
スプツニ子!、高木正勝、高松明日香、トーチカ、依田洋一朗。新作はなかったけれど、スプツニ子!と高木の映像をゆっくり観ることができた。

某日:『ザ・スーツ』@パルコ劇場
90歳になんなんとするピーター・ブルックの底力。簡にして要を得、しかも深い。日本のレビューは、アパルトヘイトの時代が背景ということにあまり触れないが、もっと強調すべきだろう。巨悪と呼ぶべき構造的な、信じがたいほど理不尽な差別があるからこそ、不倫をきっかけにあれだけサディスティックないじめが始まる。これは、どこにでも起こりうる(小さな)悲劇ではない。不満だったのは字幕。なぜあんなに簡略化するのか?

某日:森村泰昌『レンブラントの部屋、再び』@原美術館/森村泰昌展『ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る』@資生堂ギャラリー
特に後者は傑作。これを観て、正月にプラドを再訪することを決意する。『Velázquez and the Family of Philip IV』展

某日:池田亮司『systematics』@ギャラリー小柳
膨大な量のデータは聖性を帯びる(量は質に転ずる)ということを考える。

某日:新内志賀の会『語りの系譜Ⅱ ―江戸と上方、江戸と明治―』@京都芸術センター
岡本文弥作(もちろん原作は泉鏡花)の「滝の白糸」に痺れる。新内志賀は、当然ながら文弥とはまったく違うが、艶っぽいし迫力もある。「にごりえ」で篠笛や〆太鼓を奏した滝本ひろ子もよかった。

某日:『セシル・テイラーの世界:構造と即興』@京都コンサートホール
細川周平による行き届いた紹介・解説の後、田中泯のダンスとの即興(自身も踊る)。途中、情熱的な演奏も入るが、柔らかく優しい演奏が多くて驚いた。月並みな表現だけれど「円熟」というか、角の立った荒々しい新酒が、樽の中で年を経て、円くなるとともに香りを増した感じ。帰宅して、往年の名盤『コンキスタドール』を聴く。

某日:『ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展』@名古屋市美術館
資料性の高い展覧会。図録を予約する。

某日:中野成樹+長島確『四家の怪談』@北千住・五反野エリア(フェスティバル/トーキョー)
好天に恵まれ、街歩きを楽しんだ。とはいえ「街」という舞台の使い方は高山明には遠く及ばない。まあ、高山さんがすごすぎるんだけど。

荒川河川敷。満月。



某日:ラビア・ムルエ『雲に乗って』@東京芸術劇場シアターイースト(フェスティバル/トーキョー)
個人史とレバノン現代史が重なり合い、響き合う。ラビア・ムルエの作品としては叙情性が際立っていた。

某日:土取利行『添田唖蝉坊・知道を演歌する』@黒谷永運院
圧巻2時間半、ノンストップ! 興奮してCD購入。

某日:METライブビューイング:ショスタコーヴィチ『鼻』@なんばパークスシネマ
ウィリアム・ケントリッジが演出したオペラの完全映像化。背景映像に帝政ロシア期の新聞や百科事典がコラージュされ、物語の重層性が深まって、これぞオペラと現代アートを掛け合わせた醍醐味だと興奮。オペラ自体ものすごい企画だが、映像も半端なくすごい。最低でも4カメ、もしかしたら7カメか8カメ使っていたと思うけど、最初はネットで生中継したというからスイッチャーが天才だというほかない。3,500円が非常に安く感じた。

某日:ス・ドーホー『Home within Home within Home within Home within Home』@韓国国立近現代美術館(ソウル)
巨大で繊細で美しい。


某日:名和晃平『manifold』@アラリオ・ギャラリー(チョナン)
総重量26.5トンというとんでもない巨大野外彫刻。詳しくはイ・ハヌルさんによるレポートを読んで下さい。


某日:ヤニス・クネリス展@ウースン・ギャラリー(テグ)
アルテ・ポーヴェラの巨匠の新作展。1ヶ月の滞在制作で、3トン(!)の米を含む地元の素材だけで作ったという。巨匠畏るべし!


某日:チェ・ジョンファ展@リーアン・ギャラリー(テグ)
日用品を用いた作品が、どんどん洗練されてゆく。角が取れて丸くなる。

某日:『石のような水』@春秋座
作:松田隆正/演出・美術:松本雄吉。タルコフスキーを参照したというから、舞台上の木はもちろん『サクリファイス』からの引用だろう。だが同時に『ゴドーを待ちながら』も連想される。声によって、言葉によってイメージが作り出される。その意味では優れてベケット的だ。ラース・フォン・トリアーの『メランコリア』も想い出される。段差としての、死とランダムに隣り合わせの、俗が俗と反応し合って続々と俗が増幅される世界。

某日:リミニ・プロトコル『100% トーキョー』@東京芸術劇場(フェスティバル/トーキョー)
公募で集めた100人の市民が登場。十人十色ならぬ百人百色で、いろんな人がいて面白い。一方で、当然ながら日本社会を、東京を、F/Tをはみ出す(と見える)「規格外」の人は見当たらず、良くも悪くもNHK Eテレか朝日新聞日曜版を観ているような気もした。

某日:Port B『東京へテロトピア』(のほんの一部)@東京芸術劇場周辺、要町(フェスティバル/トーキョー)
構成・演出:高山明。東京におけるアジア移民をテーマとした探訪型の作品。移民にとって最初の困難は言語であり、この作品も自国語や異言語(この場合は日本語)との格闘が大きな主題となっている。ピーター・ブルックによれば、なにもない空間を歩いて横切る人間と、それを見つめる人間がいれば演劇は成立する。では、Port Bの作品には俳優がいないから演劇とは呼べないか? もちろんそうではない。ガイドブックとラジオを持って都市空間を歩く人間、つまり観客が、高山明の世界においては同時に俳優となる。ラジオから聞こえる声は、もちろんベケット的にイメージを生成する。


某日:『光のない。(プロローグ?)』@東京芸術劇場(フェスティバル/トーキョー)
作:エルフリーデ・イェリネク/演出:宮沢章夫
イェリネクの生硬な言葉は、シュナップスの新酒のように角が立って痛い。5人の女優が台詞を重ね、あるいは分担して角を和らげる。語尾にエコーをかけたりもする。安藤朋子は岐阜県生まれだそうだが、演技は江戸前に男前で「音羽屋!」と声をかけたくなる(もちろん「おとわやあ〜!」と上方風にではなく「とぅわやっ!」と江戸風に)。今回も、台詞の末尾を短く前のめりに発話したりして、細かな感情表現を試みていた。とぅわやっ! 楽屋を訪ねたら「やっぱりこの人(イェリネク)もベケットにすごく影響されているのよね」と言っていた。なるほど。