プロフィール

小崎 哲哉(おざき・てつや)
1955年、東京生まれ。
ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。
写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。
あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。

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たったひとりの国際展

2015年05月15日

PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭 2015が閉幕した。内容についても運営に関しても様々な意見が出ているが、帝冠様式の主会場・京都市美術館を主題的な核に据えたことは評価される。だが、真剣に考えるべきは浅田彰氏の指摘についてではないか。曰く「国際芸術祭なるものをこれ以上増やしても仕方がない、やるならばこれまでにないような形式を発明しなければ意味がない」。1990年代後半以降、数百と言われるビエンナーレやトリエンナーレが世界中に乱立するという現況において、これはまったくの正論である。だが「これまでにないような形式を発明」することなど、はたしてできるのだろうか。

PARASOPHIA主会場の京都市美術館。ファサードのチケット売り場は名和晃平&SANDWICHが設計した



以前からいろいろな場所で話しているが、筆者は新しい形の国際展はありうると考えている。参加作家数を絞り込むのである。それも、100人を40人前後にするなどという中途半端な絞り込みではない。ただひとりのアーティストを選び、全予算を彼/彼女に集中させる。世界中の美術館や、近年ではグラン・パレ(*1)やヴェルサイユ(*2)などで単独作家の巨大個展が行われているが、それらの規模を格段に大きくし、新作を中心としたものと考えてもらえばいい。作家によっては1作のみの展示となるかもしれない。絵画であれ、彫刻であれ、映像であれ、インスタレーションであれ、なんであれ、必ずや人々の記憶に残るものとなるだろう。

ただひとりの作家による「個展」のどこが「国際」的なのか、という疑問の声が上がるかもしれないが杞憂である。作家はひとりだが、彼/彼女の作品やコンセプトに関連するシンポジウムなどの副次的な企画を会期中に開催すればよい。他のアーティストや、異ジャンルの表現者との協働もありうる。いずれにせよ、国内外からゲストを呼ぶことは必須。作家の選択が適切で、きちんとしたキュレーションが行われ、よい作品が出来れば、海外からアートファンも押し寄せる。「KYOTO」の名はアート史に残るに違いない。

芸術祭がどうあるべきかについては様々な議論がある。「お祭なのだから、一般に広く門戸を開く好機」という意見はもっともに聞こえるが、問題はどのように門戸を開くかだ。京都市立芸術大学の前学長で、第1回横浜トリエンナーレや第1回あいちトリエンナーレの芸術監督を務めた建畠晢氏は「アートフェスティバルは現代アートファンを増やさない」と述べている。35万人動員しようが(横浜)、57万人動員しようが(あいち)、国際展終了後に美術館を訪れるのは、開幕前と同じく1万人程度に過ぎないというのである。普通のやり方では、いったん開かれた門戸は芸術祭終了後に再び閉じられてしまう。

今回のPARASOPHIAも、現代アートファンを大幅に増やしたとは言いがたいだろう。明快な主題が提示されず、作品の背景説明が少なく、展示会場の場所がわかりにくかったことからも、それは窺い知ることができる(尺八演奏家の小山菁山氏は京都新聞に「もっと一般向けの解説や創作意図の説明があれば、と感じた」と書いている。とはいえ、解説を増やしたからといってアートファンが増える保証はない)。おそらくアーティスティックディレクターの河本信治氏は、一般に迎合するような姿勢が、企画意図の誤解・誤読を生じさせ、専門家たちの眉をひそめさせ、結果的にPARASOPHIAの評価の低下につながりかねないことを危惧したのではないか。だが「わかる人にしかわからない」という諦念は、「わかる人にだけわかればいい」という開き直りと表裏一体の関係にある。大衆化が大衆迎合に結び付く可能性は排除できないが、迎合ではない形の大衆化はありうる。それを目指すことこそが現代芸術文化の真の発展を促すと筆者は確信している。

現代アートが「見る」だけでは足りず、「読み解く」ものである以上、「わかる人問題」の解決方法は教育以外には求められない。といっても、教育の場所は教育機関に限らない。「一般に広く門戸を開く好機」たる芸術祭とは、まさに教育のための絶好の場所ではないだろうか。筆者は芸術大学で教えているが、専門家の卵であるはずの学生にグループ展を見せても、企画意図を的確に把握できる者は少なく、個々の作品の印象も希薄にとどまることが多い。ところが、個展や、ひとつの作品に絞って分析させると、理解は飛躍的に高まり、かつ深まる。さらに、そのひとりのアーティストを出発点に、他の作家や、他ジャンルの作品や、アート史を含む歴史や、社会問題などへと興味・関心が広がってゆく。「読み解く」ための理想的な展開である。

だからこそ、ひとりのアーティストによる国際展の開催を提唱したい。作家数が多いと表面的な祝祭感は高まるかもしれないが、予算が細かく振り分けられるから個々の作品のインパクトは相対的に弱まる。キュレーションが拙ければ、作家の主張も、全体の主題との関連性も十分に見えない作品が、ただ並置されるだけという惨状を呈する可能性もある。その点、運営費を除いて数千万〜数億円の予算をひとりが使えることになれば、相応の冒険が可能となり、「出発点」としての質の高さも期待できる。一点豪華主義を貫けば、回を重ねる毎に、豪華な記憶が鑑賞者の財産となって増えてゆく。

「アートファンを増やさないのだとすれば、なぜアートフェスティバルを開くのか」という問いは建設的ではない。問うべきは「では、どうやったら増やせるのか」である。その答のひとつが、ただひとりのアーティストによる画期的な国際展だ。関係者には、そして一般の鑑賞者にも、真剣に考えてもらいたいと思う。


*1 グラン・パレでは2007年以来、「Monumenta」と題する個展形式の現代アート展が開催されている。出展作家は、アンゼルム・キーファー、リチャード・セラ、クリスチャン・ボルタンスキー、アニッシュ・カプーア、ダニエル・ビュレン、イリヤ&エミリア・カバコフと大御所ばかり。

*2 ヴェルサイユ宮殿でも2008年から、同じく個展形式の現代アート展が開催されている。出展作家はこれまで、ジェフ・クーンズ、グザヴィエ・ヴェイヤン、村上隆、ベルナール・ヴネ、ジョアナ・ヴァスコンセロス、ジュゼッペ・ペノーネ、李禹煥。2015年はアニッシュ・カプーアが出展する。

 


【特集】PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015(関連記事)

Interview:
河本信治
(PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015アーティスティックディレクター)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(1)
▶ 国際芸術祭のあるべき姿(2)

Review:
▶ 浅田 彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」
▶ 福永 信「第1回京都国際現代芸術祭のために」
▶ 高橋 悟「PARASOPHIA 〜 制度を使ったEngagement 」

Blog:
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド①―「でも、」を待ちながら」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド②―京都のグローカル・エコノミーをたどる」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド③―(反)帝国主義のミュージアム〈1F〉」
▶ 石谷治寛「パラソフィア非公式ガイド④―喪失への祈りとガスの記憶〈2F〉」
▶ 小崎哲哉「『私の鶯』と、なぜか鳴かないPARASOPHIA」
▶ 福永 信「パスポートを取り上げろ! パラソフィア・レヴュー補遺」
▶ 小崎哲哉「たったひとりの国際展」
▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 1
href=”http://realkyoto.jp/blog/thomasson_sophiagraphie-parakyoto-part-2/”>▶ 長澤トマソンの絵日記・Paragraphie & Sophiakyoto Part 2

外部リンク:
Parasophia Conversations 03:「美術館を超える展覧会は可能か」(2015.03.08)
(アンドレアス・バイティン、ロジャー M. ビュルゲル、高橋悟、河本信治、神谷幸江)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川
Creators@Kamogawa 座談会『PARASOPHIA クロスレビュー』(2015.03.28)
(クリス・ビアル、ミヒャエル・ハンスマイヤー、ヤン・クロップフライシュ、
 ゲジーネ・シュミット、港 千尋、原 久子/司会:小崎 哲哉)
 記録映像ハイライトはこちら▶YouTube: ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川

 

▶ 公式サイト:PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015
〈2015年3月7日(土)–5月10日(日)〉