昨年3331でポコラートという展覧会の審査に関わった、ハンディキャップを抱えた人たちの作品もそうでない人の作品も、既存の境界を外してフラットに審査するというプラットフォームが素晴らしいと考えての参加だった。僕が魅力を感じる作品に重要なことがひとつあって、それは既存の枠組みやプラットフォームの縛りから意識するにせよ無意識にせよ逃れ得ているということに尽きる。ところが言語という最大の牢獄のなかに暮らしている今では、なかなかにその檻を破って外に出ることはままならないし、はてさて外というものが存在するのかどうかも疑わしい。以前聞いた話なのだが、サヴァン症候群の人が言語の能力を回復することと引き換えに、ビジュアルの奇想を失っていったという話も、我々アーティストにはなかなかに重いのである。
そのようなこともあり、以前からアール・ブリュットの試みや、様々なアウトサイダーアートと呼ばれる作品には興味を持っていたが、昨日訪れた「みずのき美術館」で開催されていた堀田哲明さんの作品群を見ながら交わしたキュレーターの奥山さんとの対話は大変興味深かった。彼は週に1回の絵画教室の時だけ絵を描き、それも四つ切りの画用紙にクレパスで「家」のみを1,000枚以上描いたとのことである。その過程を詳しく聞く時間は無かったが、壁一面の絵を見ながら発見したことは、彼の絵には必ずと言って良いほど東に向いた切妻の三角形だけが存在し、残余の色面を未確定の空間とするならば、彼の恐らく主体的に操作不能の規範が、時には壁に、時には大地に、時には窓に、残酷な余白を変化させ、それが嵐のように彼を翻弄しながら取り巻いていたであろうことが想起された。たった1つのモチーフを数十年にわたって書き連ねながら、我々のようにメートル原器に従えない彼、我々には認知不能の振動する定規に翻弄されながら苦闘する営為を想い、胸が締め付けられるような感覚が後頭部に残された。
加えて、それを勝手に織り込もうとする社会という枠組みの悩ましい相克がそこにあることを知る。彼を指導された日本画家の西垣氏はすでにお亡くなりになったが、彼が指導しないときに堀田氏が創作を行わなかったことを理由に、欧米の関係者の間には、それが純粋に彼の創作であるか疑わしいとの疑念があるというのである。敢えて言うなら、恥ずかしげもなく抗弁する強固なコギトの欧米中心主義がそこに垣間見れる。表現が強固な個人から現れるという天才芸術家崇拝の幻想がそこに姿を現す。すでにコンテンポラリーアートのなかですらギルバート&ジョージやAES+Fの例を待つまでもなく、個から集団や集合体やネットワークに創造の主体が移行しつつあるときに、この世界に強固な個人崇拝がまだ残っていたというのはある意味パラドキシカルな発見でもあった。京都駅からも20分そこそこで行け、実におおらかな大本花明山植物園も近くにある、ぶらりと人間の深みに触れる1日をぜひ。
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