『KUAD graduates under 30 selected』展評

母校に戻って刻む成長過程(KUAD graduates under 30 selected)


高嶋慈

本展は、京都造形芸術大学を卒業・修了した若手作家が対象の公募展であり、同大学のギャルリ・オーブで開催された。出品作家31名のうち、絵画が多くを占めるが、写真や映像、インスタレーションに加え、身体パフォーマンスも含まれるなど幅広い。

 

金光男《row-kabe #2》(撮影:早瀬道生)



特に絵画(平面)に関しては、小牟田悠介、金光男、冬木遼太郎など、ここ最近、意欲的に発表している作家が多い。例えば金光男の作品は、白く不透明なパラフィンワックス(ロウ)の上にシルクスクリーンでイメージ(写真)を刷り、熱を加えることで、支持体のロウが溶けるとともに定着したインクも流動化し、不安定で崩壊した様相を出現させるものである。熱と重力という物理的力による変形を加えることで、イメージの層を食い破って物質(ロウ/インク)が露出し、あたかも画面が爛れて波打っているかのような錯視的な効果を与える。イメージと物質、図と地、白と黒、二次元と三次元、崩壊と結晶化、偶然とコントロール、といった相反する要素がせめぎ合う密度を作り出している。

 

左より 桜井類《all/another》、坂井良太、朝日奈保子(撮影:早瀬道生)


左より 香川裕樹、神馬啓佑《Untitled(Photographer)》、前谷開、嶋春香(撮影:早瀬道生)



また、激しい色彩と身体性の強いストロークで画面を構成しつつ、斜めに組んだ木枠を見せる、画布をクリップで止めてドレープのように垂らすといった物質性や重力を作品に組み込む桜井類や、ゲシュタルトの認識、レイヤーの重なり合いと干渉、補色関係、グリッド、タイルに擬態したような下地の物質性、枠組みといった絵画の内的/外的な構成要素を一つの画面に組み込んでみせる神馬啓佑も、今後が注目される。

本展は、「公募展」「若手支援企画」という性格上、全体的なテーマは特に設けられていないが、作品同士を結ぶいくつかの補助線を引くことも可能である。以下、いくつかの視点を仮定的に設けて紹介する。

 

細川華子《beast _portrait》(撮影:早瀬道生)


池邉祥子服飾研究室《黄色いブラウス:research&collect》
《赤いウェディングドレス:research&collect》(撮影:早瀬道生)



◇女性と装うこと
写真/古い衣服の収集とリサーチというそれぞれ異なる方法を用いて、「女性と装うこと」の関係を問うているのが、細川華子と池邉祥子服飾研究室。細川の写真作品《beast _portrait》は、顔面につけまつげをびっしりと貼り付けられた女性のポートレイト。つけまつげが渦巻く真っ黒な体毛のように増殖し、もう一つの皮膚か仮面のように顔を覆うことで、獰猛な獣に変身したかのようだ。本来は美しく化粧するための道具それ自体を用いて、(男性の視線によって)消費される「美」を批評的に問うとともに、「美しくなりたい」という願望の過剰性や攻撃性も同時に感じさせる、両義的な作品だ。

一方、池邉祥子服飾研究室は、「捨てることの出来ない衣服」についてのインタビューから出発し、大量生産ではない「オーダーメイド」の衣服の存在を掘り起こすに至ったリサーチ結果を資料展示とテクストで発表している。大量生産の既製服がまだ一般的ではなかった時代、衣服は母親の「お手製」や近所の洋裁店で作ってもらうものだった。洋裁技術は女性が経済的に自立する手段の一つでもあり、また洋裁学校で教育を受けた女性たちは戦後の洋服文化の担い手でもあった。コレクションと調査のさらなる充実を通して、衣服とそれにまつわる思い出という個人的な事柄から、服飾文化における生産と消費主体としての女性のあり方を戦後日本の社会経済的視点と結び付けた考察が期待される。

 

前谷開《彼のポートレイト》(撮影:早瀬道生)


倉田翠企画《今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと 4》(撮影:早瀬道生)



◇他者との関係性
また、ともに身体を媒体としつつ、写真/身体パフォーマンスという異なるアプローチを用いて、「他者との関係性」「在と不在」を扱っているのが、前谷開と倉田翠企画。前谷の《彼のポートレイト》は、「嫌っていたからこそ、気にせずにいられなかった」という同居人の男性に、前谷自身が扮して撮影した写真と、手紙の体裁を取ったテクストからなる。「嫌いだからこそ気になる」というアンビヴァレントな感情を清算するために始められた撮影行為は、「他者を演じる」という遊戯的性質を帯びつつ、「写真それ自体には真偽を判断する根拠は宿らない」という事実を通過して、関係性構築のための媒体としての写真のあり方へと向かう。

一方、倉田翠企画《今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと 4》では、俳優やダンサーなど7名が「展示場内で展示物として存在しつつ、『そこにいないこと』をして下さい」という指示に従う。この解釈は、出演者(展示物)それぞれに任されている。ストレッチをしたり、観客に話しかけたり、音楽を聞いたり、うろうろと歩き回ったり…特に劇的なパフォーマンスが行われる訳でもなく、場に溶け込んで何気なく振る舞っている彼らを見ているうちに、「舞台でパフォーマンスする身体を凝視する」という視線の構えが焦点を失って空中分解し、散漫ですらある場の中で変質・変容していくのを感じた。

 

嶋春香《Touch #quinacridone magenta 6、4、2、1、5(左より作品番号)》(撮影:早瀬道生)


井上康子《hiding》


守屋友樹《form/pose》(撮影:早瀬道生)



◇イメージと認識
嶋春香と井上康子の作品には、油彩と染色という相違はあるものの、モノや静物の認識をペインタリーな筆触を通して構築しようという姿勢が共通していた。嶋春香の油彩では、マゼンタという単一の色彩だけを用い、タッチや濃淡の変化を加えることで、平面的に描かれた身近な日用品が明滅するような光と揺らめきを放つ。井上康子の作品は染料に滲みを加えることで、風景とも静物ともつかず、堅固な鉱物のようにも溶けかけているようにも見える不思議なイメージを描き出す。布を吊るすという展示形式が、浮遊感をより増幅する。

また、写真というメディアを通して、イメージと認識の関係を問うのが守屋友樹。形態的類似によるイメージの置換や連想(例えば植物の有機的な形態と性的なイメージとの往還)、並置されたイメージの時間的(不)連続、距離の圧縮による遠近感覚の撹乱、複写や画面の入れ子構造など、写真イメージによって可能な視覚的な仕掛けが様々に展開される。

 

見応えある展示だったが、ただ、最後に一言付け加えるとすれば、全体的に社会性(他者性、批評性、外部性)が希薄なことが気になった。感性的表現を通した同時代への批評的眼差しとしての現代美術に、意識を向ける必要があるのではないか。

 

たかしま・めぐみ
美術批評。京都大学大学院博士課程(美学美術史学)。



KUAD graduates under 30 selected
2014年7月30日(水)〜8月7日(木)
京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ

 

(2014年8月2日公開)