「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2015」レビュー

悲しき「部族Tribe」(『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2015』)


清水 穣

3回目を迎えたKYOTOGRAPHIEのテーマは「部族」。出展作品のなかでも出色は、マルティン・グシンデがパタゴニア、フエゴ島の先住民族を撮影した写真と、人類学者でもあったフォスコ・マライーニが能登舳倉島の海女を撮影した写真である。それが目新しいからではなく(*1)、「写真の本質は記録にあり、作家性が前面に出た芸術写真より被写体の真正性が勝る」からでもない。両者が人類学・民俗学的な写真、さらには二つの文化の狭間で生じる写真に必ずつきまとうコロニアルなフレーム(撮影者と被写体の関係、眼差し)を超えているからである。

会場写真:『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2015』
マルティン・グシンデ「フエゴ諸島諸先住民の魂 ―セルクナム族、ヤマナ族、カウェスカー族」
(京都市役所前広場)Photo by Takuya Oshima © Takuya Oshima 


会場写真:『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2015』
フォスコ・マライーニ「海女の島:ルガノ文化博物館コレクション」(祇園新橋伝統的建造物)
Photo by Takuya Oshima © Takuya Oshima 



人類学は、西洋の白人が非西洋圏の「未開」部族を「研究対象」とする学問として、つまり徹頭徹尾コロニアルな学問として成立した。そうした部族は、白人入植者や宣教師によって植民地化された土地の部族であり、とりわけパタゴニアでは害獣のように駆逐され殺戮されて(*2) 遅くとも20世紀の半ばには全滅する。20世紀初頭の人類学者が、写真機や録音機を携えて世界各地へ赴き、滅びゆく部族を記録して回ったのは、人類学がジェノサイドの裏面であったから、彼らが良心的な共犯者であったからに他ならない。

その記録写真には、被写体を「標本」にするスタイル(正対し、画面中央に単体ないし複数一列の被写体を据える)と、その「自然態」をスナップするスタイルがあった。コロニアルなフレームは、この二つのスタイルに支えられている。その目的は一種の分離主義にあり、対象を、撮影者と決して交わらない存在として純粋にアイデンティファイすることである。被写体(見られる者)と撮影者(見る者)を分割し、距離を保全するのだ。

さて、フエゴ島のインディオも日本の海女も、グシンデやマライーニが初めて見出した被写体ではない。むしろ二人は遅れて来た者であり、その写真は幾人もの先行者(*3)の仕事を前提としている。

例えば、グシンデに先だって、フエゴ島のインディオを撮影したチャールズ・ファーロングは「自然態」スナップのスタイルを採用していた(*4)。その10年後、グシンデの写真に見られる多くのインディオはスペイン名のファーストネームをもち洋服を身にまとっている。「自然態」はもはやありえなかった。彼の写真は、インディオが彼の頼みに応じて昔の成人通過儀礼を再演して見せてくれた、その記録なのである。だからグシンデは、「再演」を「自然態」にみせる代わりに、標本スタイルを選択する。と同時に、通過儀礼の写真では精霊の名を、日常写真では個人名を記すことによって、「標本」を否定した。「標本」は一つ一つ名指されて一種の「遺影」と化す。それはグシンデの「家族」の —彼自身が顔面に同じペイント(家系を表す)を施されて写っている写真がある— 遺影であり墓碑銘なのである。

マルティン・グシンデ《シエクサウス》1918–1924年
(シエクサウスの小屋の番人 アウグスト・バルフール ヤマナ領)
© Martin Gusinde / Anthropos Institut / Éditions Xavier Barral


マルティン・グシンデ《頑固もののウレン》1923年
(セルクナム族の通過儀礼ハインにて、道化師ウレン役)
© Martin Gusinde / Anthropos Institut / Éditions Xavier Barral



二重の否定(自然の否定と標本の否定)を経て撮影されたグシンデの遺影写真に比べて、マライーニの海女の写真は肯定的な幸福感に満ちている。ドイツの人類学者が抱えた疚しい良心を、マライーニはもたなかった。そもそも彼は、アフリカや北南米の研究者と異なり対象民族(彼の場合はアイヌ)の滅亡の原因が白人社会にはない地域の人類学者として来日したのだった。しかし、その後マライーニの関心は、消えゆく民族の記録から、戦争の激動を経てもなお地域で生き延びていた民俗の記録へ、消滅から持続へと移行したように思われる。

すでに述べたように、「自然態」スナップはコロニアルである。「無垢」な被写体に対して、「民俗の記録」「エロス」「神話的世界」といった多義的な意味を一方的に投射すること、それが(白人男性の)コロニアルな眼差しというものだ。が、そんな多義性を捨てて、マライーニは海女とともに海に飛び込んでしまう。水中写真こそ、このシリーズの頂点である。被写体と同じメディウム(海水)に身を浸すことで、撮影者と対象の位置関係は不安定になり、画像は激しく流動し、それとともにコロニアルなフレームが溶け去っていく。エロスと神話は、マライーニがそれに与って初めて生きてくる。

(上下2点とも)フォスコ・マライーニ《海女の島》より、日本 1954年
© 2015 MCL – Vieusseux – Alinari



所与の「Tribe」をアイデンティファイして尊重し合うだけならば、それはフレンドリーな分離主義にすぎない。「Tribe」をすべて「人間」という大集合に溶かし込むなら「Tribe」は消える。「Tribe」とは、アイデンティティによる共同性(主語「われら」)ではなく、顔面を塗り海に潜るといった行為による共同性(動詞「〜する人々」)に与って主語のアイデンティティがゆらぐときに出現するものだろう。グシンデとマライーニの写真は、特定の部族のアイデンティティを記録したからではなく、彼らのアイデンティティのゆらぎを記録したからこそ「Tribe」の写真なのである。


〈注〉

*1 前者は数年前から「ケムール人(ウルトラマンシリーズに登場する宇宙人)の原型はここにあった!」などとYouTubeやまとめサイトで話題であった。後者の『海女の島』はすでに2013年に未來社から再版されていた。

*2 白人が持ち込んだ伝染病に対して免疫がなかったため絶滅したというまことしやかな説もあるが、パタゴニアでの金採掘と羊放牧場開拓に乗り出したアルゼンチンとチリの植民者が、狩猟ノマドであったセルクナムを積極的に排除したことは言うまでもない。なかでも悪名高いJulius Popperという男は「オナ(=セルクナム族の別名)ハンター」を自称していた(Marisol Palma Behnke論文参照。Begegnungen auf Feuerland. Fotografien von Martin Gusinde 1918-1924 (Ostfildern: Hatje Cantz, 2015) p.26)。

写真左:Popperの「狩」。手前はインディオの死体。こんな過去を持ちながら、セルクナムのボディペインティングが有名になるとそれを観光キャラクターにする恥知らず。
写真右:「Bienvenidos a Tolhuin」—フエゴ島の寒村の入口に立てられたセルクナムのフィギュア(Google Mapより)。


*3 グシンデにとってのEdward CurtisやCharles W. Furlong、マライーニにとっての岩瀬禎之、あるいは海辺の「自然」で「素朴」な住人にギリシア神話の世界を重ねる点において、Wilhelm von Gloedenのシチリア、タオルミナの漁師の少年たちなど。

*4
Charles Wellington Furlong, “The Vanishing People of Land of Fire”, in: Harper’s Magazine, January 1910. http://harpers.org/archive/1910/01/the-vanishing-people-of-the-land-of-fire/



しみず・みのる
同志社大学教授。著書に『日々是写真』『プルラモン―単数にして複数の存在』など。

(2015年5月13日公開)


 
『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2015』2015年4月18日−5月10日