ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours
世界の細部、場違いなEncouragement


ミヤギフトシ

18歳の頃に専門学校に通うため沖縄から大阪に引っ越し、ひとり暮らしを始め、じきに自分だけのパソコンを持ち、ネットに繋ぎ、不必要な若い罪悪感を覚えながら、掲示板でゲイの友だち探しを始め、次第に数は少ないながらネット上での交流も生まれた。ネット外の世界ではカムアウトすることもなく、毎晩部屋に帰り、メールやチャットでゲイの人たちと他愛のない会話をしていた。世界が分割された感じがしたけど、心地よかった。ネットの向こうの友人たちの間ではウェブ日記が流行り始め、感度の高い人たちは、LOMO LC-Aで撮ったスナップをホームページにアップしていた。それに感化された僕は、バイトで貯めたお金で(大阪ドームの観戦レストランでバイトをしていて、ちょうど近鉄がリーグ優勝を果たした年だった)LOMOを買い、夜な夜な住んでいた谷町四丁目周辺を歩いて、フィルム代も現像代も気にすることなく写真を撮り続けていた。それが初めて手にしたカメラで、写真との、ひいては美術との出会いだった。現像された写真はどれもブレブレで使い物にならかった。絞りやシャッタースピードについても知らず、ただ楽しくて写真を撮っていた。ウェブ上で知り合った人々と実際に会う機会も増え、これまでと変わらない日常世界のなかで、彼らと自分がいる密やかな場が浮かび上がった。あの、体が軽くなるようなセンセーショナルな感覚は今でも覚えている。

そしてある夜、30代半ばの男(今の僕ぐらいの年齢だ)に、難波で開催されたクラブイベントにも連れて行ってもらった。リップシンクでパフォーマンスをするドラッグクイーンとフロアで踊る男たちを見ていた。隣で踊る男の汗ばんだ腕と、気後れして踊れずにぼんやりと突っ立っていた僕の腕が触れた。たしか2001年のことで、僕は20歳だった。カムアウトなど考えられない時期だった。沢山のゲイの人たちに圧倒されながら、住んでいた大阪という都市、普段気に留めることもなかった場所に存在した地下のクラブで、ミラーボールが放つ綺麗な光の粒を眺めていた。いつか踊れるようになるのかな、などと思いながら。世界はどんどん細分化されてゆき、それでもいいのだと思えるような、不思議な場だった。

そんな思い出に浸りながら、「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」の展示室を進む。ほの暗いクラブで人々が踊っているイメージがあり、いつかの難波のクラブを思い出す。自分は今大阪にいてこの写真を見ているのだ、という奇妙な感慨を覚える。ティルマンスは初日に開催されたトークにおいて、クラブで踊ることについて、バーバラ・クルーガーの「Your body is a battleground」という言葉を引用しながら、このように言う。踊ることは直接的なメッセージではない。それはある種のEncouragement(=励まし・勇気づけ)であり、規範やもっともらしく語られる美しさに対する意義ある行為…なぜなら、そのように人々が集まり踊ることは全く意味をなさないことであるからだ、と。無意味であるからこそ、美しいのだ、と。

トークで展覧会タイトルについてティルマンスが語ったように、身体はそれが属する個人によってコントロールできる領域でありながら、時には何らかの外的要因や暴力によってその自由が制限されることも可能性として存在する。自分の身体を自分のものとし続けるには、どうすればいいのか。そんな風に考えながら展示室を回っていると、そこかしこに展示された、世界の細部のイメージが目に入ってくる。例えば、脱ぎすてられた衣服や窓辺の風景。エクスタシーでハイになった人々の顔。雑誌BUTTに掲載された、有名人たちの極めて親密なポートレイト。2ちゃんねるからの断片的な引用。そして、展示の数日前に大阪で開催されたSEALDsのデモの様子を、ごく近い距離から撮影した写真がある。デモやパレードに参加する人々は、クラブなどで遊ぶ人々とともに彼が撮り続けてきたモチーフで、本展でもいくつか展示されている。しばらく前に国会前で、自分より一回りも若い人たちが肩を並べて「This is what democracy looks like」と英語で声を上げていたことを思い出す。熱気に気後れして一歩後ろでそれを見ながら、新鮮な驚きを覚えていた。それは、いつかの難波のクラブで感じた感覚と近いものだったのかもしれないと気づき、デモで声を上げる人々とクラブで踊る人々、それらの生に満ちたイメージが重なる。

展示風景:雑誌BUTT(撮影:編集部)
Wolfgang Tillmans / Courtesy of Wako Works of Art, Tokyo


展示風景:2ちゃんねるからの引用(撮影:編集部)
《真実研究所(大阪)》2015年 より
Wolfgang Tillmans / Courtesy of Wako Works of Art, Tokyo


展示風景:大阪でのSEALDsのデモの様子(撮影:編集部)
《反「戦争法案」デモ、大阪》2015年 より
Wolfgang Tillmans / Courtesy of Wako Works of Art, Tokyo


展示風景:パレードの風景が見える印刷物(撮影:編集部)
Wolfgang Tillmans / Courtesy of Wako Works of Art, Tokyo



「Your Body is Yours」というサブタイトルが、腑に落ちた。そして、新城郁夫氏が著書『沖縄の傷という回路』において、辺野古のゲート前の座り込みで彼が感じた、場違いな、官能的とも言える他者との触れ合いの親密さについて語っていたことを思いだした。新城氏は、座り込みの現場において人々が求めることについて、こう書いている。

私たちは、断固として場違いなことを求めているのである。では、場違いな私たちは、断固として場違いな何を求めているのか。それはおそろしく単純なことである。それは場である。
新城郁夫『沖縄の傷という回路』(岩波書店、2014)


展示風景:右《放映終了IV》(End of Broadcast IV)2014年(撮影:編集部)
Wolfgang Tillmans / Courtesy of Wako Works of Art, Tokyo


ブラウン管テレビの砂嵐を撮影した《End of Broadcast》のプリント面に身体的に近づいてゆくと、光の粒のような、幾つかの色が立ち現れてくる。プリントに近づいたり離れたり、何度か繰り返す。20歳の時に感じた、大きな世界から個の場までズームするようなあの開放感が蘇る。地下のクラブで、踊る人々の熱気を感じながら、踊れずに突っ立っていた自分の身体に触れる他人の身体や、ミラーボールの光の下で覚えた、Encouragementとしか言いようのない感覚。踊れない僕が感じたそれは、ティルマンスの言うEncouragementと、そんなに違いはないのではないか。美術館でのレセプションが終わり、堂山で開催されたアフターパーティーに向かう。そういえば大阪に住んでいた頃は堂山に来たことがなかったな、と思い出す。地下の薄暗く小さなクラブで、ドラッグクイーンやティルマンス、美術館の人々、いろんな人たちが踊っている。少しだけ身体を動かしてみて、気恥ずかしくなってすぐ止める。ミラーボールの下、みんな楽しそうだった。すっかり酔っ払い、光が入り乱れるクラブのなか写真を撮りまくった。翌日確認すると、750枚撮影していた。もちろん、ほとんどがブレブレで使い物にならなかったけれど。

堂山でのアフターパーティーにて(撮影:ミヤギフトシ)



 
(みやぎ・ふとし)
1981年沖縄県生まれ、東京都在住。高校卒業後、大阪を経て渡米。ニューヨークでアート関連書籍の専門店 Printed Matter, Inc.に勤務しながら制作活動を始める。2007年に帰国後も都内のブックショップUTRECHTに勤め、「THE TOKYO ART BOOK FAIR」にも携わりつつ創作を続ける。沖縄やアメリカ、東京での自らの体験や記憶から、国籍や人種、自らのアイデンティティといった主題について、写真、映像、オブジェ、テキストなどで丁寧に紡ぎ出す。現在、国立国際美術館にて開催中の「他人の時間」に参加中( 9月23日まで)。
http://fmiyagi.com/
http://americanboyfriend.com

(2015年8月6日公開)


 
 

「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」
 2015年7月25日〜9月23日 国立国際美術館