高橋悠治 with 波多野睦美


浅田 彰

神戸の松方ホールで、2011年2月17日に高橋悠治と波多野睦美がハンガリー音楽を軸とする興味深いコンサートを開催したことは前にレポートしたが、2012年6月17日にも同じメンバーでドビュッシー生誕150周年を記念するコンサートが開催された。例によって、一曲ずつ解説をはさみながら演奏していく、レクチャー・コンサート形式。近年発掘されたものも含むドビュッシーの晩年の作品群から出発し、後半、サティから現代にいたる非常に面白い構成で、独特の軽みを帯びた演奏も素晴らしく、高橋悠治自身の late work としても注目に値するだろう。ドビュッシー・イヤーの今年、世界で行われているさまざまなイヴェントでも、これほど知的でセンスのいい試みはちょっとないのではないか。

プログラムは以下の通り(*は日本初演)。

(ドビュッシー晩年のピアノ曲)
「ハイドンを讃えて」(1909)

ハイドン没後100周年企画への参加作品で、「Haydn」の音名が織り込まれている。それにしても、1809-1909年(ハイドン–ドビュッシー)の距離に比べると、1909年から現代までの距離はずいぶん近いように感じないだろうか。

「象のトゥーマイ」*(1913:ロバート・オーリッジ補筆)

1913年に作曲され、前奏曲集第2巻第11曲になるはずが、「交替する3度」と差し替えられ、バレー音楽「玩具箱」(1913)に利用されたあと、放置された。象が好きだった娘シューシューのため、キップリングの「ジャングル・ブック」に出てくる象使いの少年トゥーマイを描く。

「負傷者の衣服のための小品」(1915)

第一次世界大戦下の1915年に慈善団体「負傷者の衣服」のためのチャリティ作品として作曲された。不思議な軽みを帯びたワルツ。

「エレジー」(1915)

ガンを病んだ作曲家が手術の直後に書いた小品で、文字通り悲しみに満ちている。

「小さなワルツ」*(1915:ロバート・オーリッジ補筆)

1915年に書かれたスケッチで、2004年にオークションに出た。

「燃える石炭に照らされた夕べ」(1917)

1917年に書かれたドビュッシーの最後の作品(CD150)。戦時下の窮乏の中、燃料の調達もままならかった冬の日々に、石炭商への謝礼として書かれ、2001年にオークションに出た。タイトルは、かつて「ボードレールの5つの詩」(1888)で作曲した「バルコン」から取られており、やはりボードレールの詩句をタイトルとする前奏曲集第1巻第5曲「音と香りは夕暮れの大気に漂う」が冒頭で引用される一方、中盤、懐かしい感じもするあたたかなメロディ——「白と黒で」(1915)第2曲を思わせる——がひととき現れる。小さな、しかし忘れがたい雰囲気を湛えた音楽。

(ドビュッシーの歌曲)
『死の悲劇』のための「子守唄」*(1899:ロバート・オーリッジ編)

ピエール・ルイスの友人だったルネ・ペテルの戯曲による。オペラにはならず、子守歌のメロディだけが残った。それが無伴奏で歌われる。清潔な歌唱が素晴らしい。

「ビリティスの3つの歌」(1897-98:ピエール・ルイス詩)

かつてキャシー・バーベリアンがこの名曲を歌ったときの高橋悠治の伴奏は忘れがたいが、今回も小ぶしの効いた洒脱なピアノを聴くことができた。フランス語のデクラマシオンは明確、歌にも力があり、第3曲「ナイアード」の最後の高揚でやや無理が感じられたりはしたものの、総じて見事だった。ちなみに、シチリアの夏を舞台とする「牧神(半獣神)の午後のための前奏曲」(1894)を思い起こせば、ここで、厳しい冬のためナイアードもニンフも死んでしまった、と歌っているのは興味深い。やがて、第一次世界大戦の勃発と物資の欠乏のなかで、早すぎる晩年のドビュッシーは厳しい冬に苦しむことになるだろう。

「眠れない夜」(1899-1902:ドビュッシー詩)
1:終わらない夜 2:彼女が入ってくると

自作の詩による歌曲集「抒情的散文」(1893、4曲)に続いて5曲の歌曲集が計画されるが、2曲しか作曲されなかった。男性の嫉妬を歌う第2曲は「ペレアスとメリザンド」のゴローの嫉妬を想起させる。

「パリ女のバラード」(『フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード』(1910)より)

パンチのきいた歌で前半をしめくくる。

(休憩)

エリック・サティ:「冷たい小品」(3つの逃げ出したくなる歌、3つのゆがんだ踊り)

モビールを連ねるような形式。3曲ずつがそれぞれ似通っているので、「ゆがんだ踊り」の3曲目でややあやしい部分があったけれど、総じて高橋悠治の十八番という感じ。

クリストファー・ホッブス:『見栄みえ消費者』*(1997:『サンセット・マガジン』の記事を歌詞とする11の歌曲)

ホッブスはコーネリアス・カーデューの弟子。”Conspicuous Consumer”というタイトルは、「見せびらかしのための(衒示的)消費」というソースタイン・ヴェブレン『有閑階級の理論』の用語からくる。米国西部の生活情報誌の記事をサンプリングして作曲しているが、サティを思わせるところもあり、音楽としても芸が細かく魅力的だ(たとえば、1曲目は「これは剥き出しのコントロールできないパワーではない。賢く敏感なパワーだ」。どういう商品のことを言っているのかわからないが、別の文脈ではブッシュJr.に対するオバマのようでもあり、原子力発電に対する新時代のエネルギーのようでもある)。高橋悠治が一曲ごとに日本語の詩を朗読してから演奏される。その演奏もシャープで生き生きしている。

高橋悠治:家具連句(2011)

36の断片が連句のようにつながる。ここでの家具とはピアノのことだが、サティの「家具の音楽」も意識している。枯れてしかも自由な味わいが素晴らしい。

同   :レーズンとアーモンド(2011)

デイヴィッド・グッドマンの追悼式典のために書かれた。アブラハム・ゴルトファーデンのイディッシュ語の子守歌による。

[アンコール]

エリック・サティ:帽子屋(ルイス・キャロル詩)

高橋悠治:結びの歌(長谷川四郎詩)

最後に日本語の歌が歌われるが、波多野睦美は日本語の扱いも軽やかで見事。

ドビュッシーが早すぎた晩年に残した断片的な late work (後期作品)は、メランコリックな気分が支配的だが、ポピュラー音楽的な要素(小唄のようなメロディ、軽いワルツ、広義のジャズのようなリズム、etc.)が織り込まれてもいて、高橋悠治のような演奏で聴くとたいへん味わい深い音楽であることに気づかされる。そこからサティをへて、ホッブスや高橋のアクチュアルでしかも魅力的な音楽へと続く。非常に面白いプログラムだけれど、普通のミュージシャンでは散漫な落穂ひろいのようになってしまいかねない、それを実に生き生きした魅力的な音楽として聴かせる、素晴らしいコンサートだった。

高橋悠治も言うように、ドビュッシーは死後およそ半世紀のあいだ世紀末の象徴主義的な薄明にとらわれたデカダンとみなされ、1950年代後半にバラケやブーレーズが「遊戯」のような作品に前衛音楽につながる要素を見出すことで新たに再発見された(そしてブーレーズ自身のクリアかつダイナミックな演奏によって新鮮な姿に甦った)と見てよい。それからさらに半世紀が経ち、前衛音楽が退潮していったいま、ドビュッシーはまた新たな姿を現わそうとしているのかもしれない。生誕150年の時点で、断片的にではあれそのような新しいドビュッシー像の可能性を示唆する、これはきわめて興味深いイヴェントだった。



後記

このコンサートのあと、ドビュッシー・イヤーを記念して、珍しい遺作を収録したCDがいくつか届いた。たとえばミヒャエル・コルスティックによるドビュッシー・ピアノ曲集の1枚目(haenssler calssic CD 93.290)。演奏は十分に洗練されているとは言い難いのだが、「前奏曲集」第1巻に加え、ロバート・オーリッジが補筆したものを含む珍しい作品がいくつか収録されており、オーリッジ自身がライナー・ノートを寄せている。

高橋悠治のコンサートとも重なるが、さらに;

「カンマ」

ダンス音楽のピアノ譜(1912年)。一部は多重録音を用いている(クライアントともめたこともあり、オーケストレーションの大半はシャルル・ケクランの手に委ねられた)。

「間奏曲」

フォン・メック夫人(チャイコフスキーの後援者かつ「プラトニックな恋人」として有名、若き日のドビュッシーは彼女のお抱えピアニストを務めた)のために書かれたピアノ三重奏曲の第2楽章スケルツォをピアノ独奏のために編曲したもの(1882年)。現存するドビュッシーの最初期の作品のひとつ。

も収録されている。資料的には価値があるかもしれない、しかし、あまりいい録音とは言い難いのが残念なところだ。

もうひとつ、ヤン・ミヒーリスが1892年のエラールのピアノを使って録音した「ドビュッシーのトンボー(墓)」(マーキュリー MFUG590)。「練習曲集」を3曲ずつ4ブロックに分け、間に、ドビュッシー自身の晩年の小曲や、ドビュッシーの死後『音楽評論 Revue Musicale』誌が付録として出した「ドビュッシーの墓」から、10人のうち5人(マリピエロ、デュカス、バルトーク、ファリャ、ストラヴィンスキー)の作品、またそれとは別にルーセルの作品をちりばめている。戦争と病気でつのる陰鬱な雰囲気のなか、「練習曲集」で簡潔にして偉大な音楽が書かれていくところは、やはり感動的だし、「負傷者の衣服のための小品」(1915)のようにあえて軽いタッチで書かれた小曲も、なかなか味わい深い。また、「牧神」を引用して悲歌に変えたデュカスの「牧神の遥かな嘆き」をはじめ、バルトーク、ファリャ、ストラヴィンスキーらがそれぞれの手法で書いた音楽も、こうしてまとめて聴くとそれぞれに興味深い。ただ、「絃を重ねて交差させず、すべて平行に張った、昔のエラールのピアノには、独特の明澄な響きがある」というのだけれど、滑らかに整えられた現代のピアノの音に慣れた耳で聴くと「シャン、シャン」と古めかしく聞こえる。ファリャの「ギターを讃えて(ドビュッシーの墓に捧ぐ)」などはむしろそれがフィットしたりもするのだけれど、それよりはアレクセイ・リュビモフがドビュッシーを弾くのに選んだ同時代のドイツのピアノの方がいい——というか、結局は現代のピアノでいいのではないかというのが、私の個人的感想である。

ドビュッシー晩年の作品を収めたCDに触れたので、初期作品を収めた1枚にも触れておけば、ナタリー・デッセーがドビュッシーの歌曲を録音した「月の光」(EMI) は、初期のサロン音楽、とくに、よく知られたヴァニエ夫人のための歌曲などのほか、新しく発見された4曲を含んでおり、とくにルコント・ド・リールの詩による「妖精たち」はかなりの大作である。ただ、総じて、19世紀末のサロン音楽の枠を大きく出るものではない(オペラ歌手デッセーの歌はそういう雰囲気を醸し出して見事ではあるのだが)。その意味で、ドビュッシーにも「ビリティスの歌」のような秀作があるにせよ、後発でありながら完成度の高いところから出発したラヴェルが「マラルメの3つの詩」のような極点に先に到達したのも無理はないと言うべきだろう(ドビュッシーも同時期にマラルメの詩に作曲しているが、比較にならない)。驚くべきことに、あのブーレーズが、このラヴェルの曲を、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」、ストラヴィンスキーの「日本の3つの抒情詩」とともに「極圏」を成すものと呼んでいるのだ。これら2曲は、1913年、シェーンベルクを聴いてからスイスにやって来たストラヴィンスキーがラヴェルと共同作業(ロシア・バレエ団のディアギレフに委嘱されたムソルグスキーの「ホヴァンシチーナ」の補作)をする中から生まれた。その前にすでに完成していた<爆弾>を、その後、ストラヴィンスキーはパリの舞台で爆発させることになる。そう、音楽の20世紀を最も高らかに告知したと言っていい「春の祭典」の100周年はもう来年に迫ってきているのだ。

 

(2012年6月17日公開)