見立てと想像力——千利休とマルセル・デュシャンへのオマージュ展
トークイベント 2:宮永愛子×八木良太



 
トーク:宮永愛子×八木良太
司会:小崎哲哉

小崎 今回の日本人参加作家は、全員が京都にゆかりのある方々です。宮永さんは京都生まれで、大学は京都造形芸術大学。美術工芸学科で彫刻を専攻され、その後、東京藝術大学の先端芸術表現科修士課程に進まれました。八木さんは愛媛出身ですけれども、大学は宮永さんと同じく京都造形の空間演出デザイン学科。京都市立芸術大学の博士課程に進まれて、いまはお二方とも、母校の京都造形芸術大学で教鞭を取っています。

それでは、最初に八木さんから、簡単に作品について説明して下さい。

八木 僕は(展覧会場である淳風小学校の)理科準備室に置いてある実験道具を一式全部借りて、アトリエに持って帰って、家で遊んでばっかりいたんですよ(笑)。サーモグラフィのメーターとか、骨格標本とか、プラネタリウムとか……。その中で特に面白かったものを組み合わせて、作品をつくりました。

展示場所は音楽室なので、理科のものを置くというのも変な話なんですけど、学校にあるものを展示するんだったら、そのままではちょっと作品として見れない。アトリエにある展示台を引っ張り出してきて、その上に全部乗せちゃおうと思ったんです。だから全部元々あったもので、レディメイドと言えばレディメイド。いかにつくらないか、っていうのを目的として制作を進めたような変な状況でした。

八木良太「確認するためのオブジェ」/元淳風小学校 2階 音楽室での展示



小崎 八木さんは、ほかの作家さんがほかの教室を選んだから、最後に残った音楽室を選ばれたわけですけれども、そもそも八木さんには音楽的な作品が結構ありますよね。今回も、レコードやソノシート、それにヘッドホンを着けて音を聞く作品とかがあって、本当に場所に合った作品をつくって下さったと思います。それでは、宮永さん、お願いします。

宮永 私は理科準備室を会場に「せかいのはかりかた」というタイトルの作品をつくりました。理科準備室には、「月の見方」とか「地層がどういうふうになっている」みたいなことを教えてくれるものがたくさんありました。それで、あぁ、そういえば子供のころ、こういうものを使って距離の測り方を学んだなぁと思い出したんです。でも、そのおかげで失ってしまったものもたくさんあるような気がして、そこから解き放たれるような作品を展開したいというのが、あのタイトルを付けた理由です。

私はナフタリンという素材をよく使うんですが、常温の中で昇華する物質なので、ナフタリンで出来た彫刻を置いておくと形が失われていくんですね。でも、ガラスケースの中に置いておく場合には、形は失われても、ガラスケースの中にたくさんの結晶が付いていくということが起こるんです。ケースの中で再結晶しているだけなんですけれども、消える彫刻が出来るというのはすごく面白いと思って、最初は消えていくことに興味がありました。でも、よく考えると世界というのは変わりながらあり続けているわけで、ケースの中がひとつの世界だと考えると、形は変わっていくけれども、いま必要な安定した形でものがあり続けているんだなと思うようになりました。私たちがいるこの世界でも、よその星から取ってきたものはまるでなくて、いろんなものを組み替えながら自分たちが生きている。それと似ていて、明日はどうなっているかわからない世界だけれども、ここにものの関係性があるっていう安定している状態なんだなって思うと、作品のコンセプトといつも自分が考えていることが合ってきて。そういう「世界の測り方」という私の見方も入れたいなと思って、いくつかの「せかいのはかりかた」をあのケースの中に入れています。

宮永愛子「せかいのはかりかた」2017年 ミクストメディアインスタレーション
元淳風小学校 1階 理科準備室での展示



デュシャンに引っかけるような展示

八木 僕は理化学機器の持つ独特の「たたずまい」っていうのが面白いと思って。理科室にあるものって何か役に立つものではないんですよね。機能を持ったものではなくて、生徒がそれを使って確認するだけ、それ以上のものでもそれ以下のものでもないんです。そういうところにすごく魅力を感じたので、全部並べてみたりしました。あと、今回はデュシャンに引っかけるような展示になっています。作品の数が多いので、1個ずつ説明するとちょっと長くなるんですけど、鏡を並べた作品は、デュシャンの「フレッシュ・ウィドウ」ですね。

八木良太「確認するためのオブジェ」より



小崎 デュシャンという人はダジャレの王者で、しかもけっこう下ネタが多くて、「French window」と「fresh widow」をかけているんです。「fresh widow」って、「とれたてピチピチ未亡人」みたいな意味でしょう。とんでもないですよね(笑)。

今年は「泉」100年で、京都国立近代美術館でデュシャンのコレクション作品を使って様々な展示が行われているんですが、藤本由紀夫さんがまさに「鏡」というところに着目して、新しい「泉」の解釈を示していましたよね。それもちょっと連想しました。

八木 入口を入ってすぐの所にあるルービックキューブはだいぶ昔の作品で、9文字の英単語が6つの面すべてに1つずつ入っているというものだったんです。でも、僕自身がキューブをいじっている内に元に戻せなくなっちゃって、なおかつ何を刷ったかということも忘れてしまって(笑)。

実は、デュシャンに「秘められた音に」(With Hidden Noise)というタイトルの作品があるんです。デュシャンのパトロンのアレンズバーグが中に何か入れて、それをデュシャンが知らない状態で封をしてもらって、振ったら何かの音がする。作者自身が何が入っているのかわからない謎めいたものを作品にしているっていう意味では、何となくピタッとくるかなと思って出しました。

色覚検査の検査表も出しました。普通の色覚検査表は、健常者は見えて色覚異常のある人は見えないというものですよね。でも、この作品のパターンは、普通の人は見えなくて異常がある人が見えるという種類のものなんです。数字の2が大きく書いてあるらしいんですけど、僕自身を含め大多数の人がこれは見えないんですよ。でも、以前行った個展の最終日に1人だけ、ギャラリーに入ってくるなり「あ、2」って言った人がいたという話を聞きました。それを聞いて、ちょっとその人とつながったような気がするというか、作品が成立したような気がしてうれしかったですね。

八木良太「確認するためのオブジェ」より



小崎 丸い形もデュシャンの「ロトレリーフ」とかを連想させますよね。

八木 そう、パターンとしても綺麗なんですよね。そもそも、デュシャンは美しいという感覚を否定していると思うんですけど、今回展示してる作品は、自分がアトリエにこもってやっていて、感覚的な喜びを覚えたものばっかりを集めてるような気がするんです。

もうひとつは、回転する女性のシルエットですね。インターネット上に2003年くらいに広まったやつで、右回転にも左回転にも見える。茅原伸幸さんというウェブデザイナーがつくったんですけど、その茅原さんに連絡して、これで立体物をつくってみたいと相談したらご快諾いただいたので、3Dで起こしました。本当は、可視光の99.965パーセントを吸収してしまって、ブラックホールが開いたように見えて一切立体的に見えない、そういう塗料を使いたかったんですけど、アニッシュ・カプーアというアーティストが使用権を独占していた。仕方ないので、代わりにブラック2.0っていう塗料を塗ってます。3Dにしたものをいったん(塗料を塗って)平面的なものに落として、それで脳を騙してやった上で、今度は角度を変えて見下ろすように像を見ると四次元が見える(笑)。これは僕が発見したことなんですけど、でも実はデュシャンも同じようなことをやっていて。

八木良太「確認するためのオブジェ」より



小崎 デュシャンは四次元にものすごく関心があった。そのことは本人が残した膨大なメモに記されていますよね。

八木 デュシャンには、その関心がよくわかる作品があります。「回転ガラス板」というもので、要は立体的なものが平面に見えるという作品なんですね。モーターによって回転する5枚のガラス板があって、奥行きを持って重なり合ってるんですけど、すごくべたっとした平面に見える。いったん二次元に落とした上で四次元を観察するという方法は面白いなと思って、ちょっとデュシャンとつながれたような気がしました。

小崎 デュシャンが言うには、二次元が三次元の影であるなら、我々が存在する三次元は四次元の図形の射影であるだろうと。先ほど触れた藤本さんの展示も、この見方に刺激されたものでした。

八木 ほかに、加湿器と除湿機を台座に乗せて置いてあるだけのものがあります。両方とも動かしていて、除湿機が取った水を1日毎に加湿器に入れる作業をスタッフの人にしてもらってます。水分が延々と加湿器から除湿機へ移る。それってデュシャンがガラスの容器にパリの空気を閉じ込めた「パリの空気50cc」っていう作品にも通じるというか、目に見えない現象が推移していく様を作品として出せないかなと思ってつくったものです。

あとはオイラーズ・ディスク(Euler’s Disk)という円盤。これを鏡みたいな面の上で回して、音を立てていくのをヘッドホンで聴くという作品ですね。あれ自体は単に現象を観察するためのサイエンストイだと思うんですけど、僕は音がすごく気になって、ギターのピックアップという、音を電気信号に変えるデバイスを裏に付けたんです。それをヘッドホンで聴くと、頭の中でだんだん音がブワーンと回っていって、最後ズバッといって終わる。

八木良太「確認するためのオブジェ」より



小崎 あれは快感ですね。それから、「ニュートンズ・クレードル」も面白かった。

八木 ああ、そうですね! カチカチ鳴る「ニュートンのゆりかご」っていうもので、「衝突球」とも呼びますね。金属の球を縦横マトリックス状に並べちゃう、それを端からぶつけると全然予想できない動きになって、核分裂反応みたいなふうにも見えるんです。僕はやっていてすごい楽しいんですけど、あれをやっている人を見ると本当に面白いのかなと、不安になるんですよね。

小崎 いや、面白かったですよ。僕もじっと見続けていました。

八木良太「確認するためのオブジェ」より



「跡」ではなくて「その瞬間」を見る

小崎 宮永さんと八木さんって、たぶん全然違うことに関心を抱いてると思うんですが、今回の展示に限っては、共通したものもつくってくれたような気がします。デュシャンは、1メートルの紐を1メートルの高さから3回地面に落として、紐だから当然真っ直ぐではなくてふわーんとした不定形になるんですが、その形をそのまま起こした定規をつくっています。その「3本の停止原基」という定規で引いたラインを自作の中に取り込んだりしていますが、あれはまさに「世界の測り方」をやっているわけで、その点で宮永さんの作品タイトルにも直結している。八木さんの計測機器への関心とも重なっていると思います。

宮永さん、もう少し自作の解説をして下さい。入ってすぐの左手に、焼き物の器がいくつか重なっていますね。「そらみみみそら」というシリーズ作品ですが……。

宮永 あれはサウンドインスタレーションで、器の中にあるひび模様が生まれる音を聴くという作品なんです。ただ、そのひび模様は自然に生まれるものなので、例えば1分待ったら聞こえるとか、30分待ったら絶対聞こえるというものではなくて、いつかわからないけれども聞こえる、という音なんです。私が使っている釉薬はひびが入りやすい不安定な調合にしてあって、そこにある空気の温度とか湿度の差異で、器の中の膨張率が変わって引っ張り合いが起こってピンと音がする。皆で耳を澄ましていると、聴こえたときに「いま、聴いた?」ってお互いをふと見合わせてしまう瞬間があるんですね。音や空気の変化って形がないですけど、そのときには「場所を持つ」という体験があるような気がします。「耳を澄ます」ということ自体、形はないのに場所をつくっているような印象があって、それも私にとってのひとつの世界の測り方だなというような思いがしていたので、あそこに飾るのはちょうどいいなと思ってつくりました。

私としては、そんなに頻繁に鳴らなくてもいいと思っていて、それがいつか鳴るんだなと思うだけで豊かな気持ちになれる……。まぁ「想像力」というのかな、それが素敵だな、この中にそういう世界があるんだなっていうのが好きで。

宮永愛子「せかいのはかりかた」より



小崎 器が並べられた棚の右手、つまり理科準備室に入って正面に置かれた標本用の箱にも、ガラス越しに作品が設置されています。

宮永 さっきナフタリンの話をしましたけれども、ナフタリンの鍵が左側にあって、右側はそのナフタリンが樹脂の中に封入された作品を展示しています。右側には「昆虫採集」というラベルが最初から貼ってあって、中に黄色の捕虫網を入れました。

網の中には樹脂に封入されたパズルピースを入れていて、それは実は、2012年に国立国際美術館で個展をしたときに展示していたものなんです。つまり、もう変化が止まっている状態のものを置いていて、よく見るとそのときの日付が入っています。

宮永愛子「せかいのはかりかた」より


裏側に行くと、左側はガラスの作品で、「化石」というラベルが貼られたガラス棚の中に入っています。ガラスの分厚い塊の中に気泡がたくさん入っていて、よく見ると、その気泡のあたりにシュッシュッて細かい線が付いているんです。最初ガラスを焼くときに、ゴロゴロっとした小石のようなガラスを容器の中に入れて焼くんですけど、隙間にある空気が焼くことによって1回下に降りて、だんだん冷めていくときに上に上がっていくんですね。そのときの動いている瞬間があそこに封入されていて、それは「生痕化石」といって、生きているものの足跡が痕跡として残っているという話と重なる気がして。あれは足跡の「跡」ではなくて「そのとき」「その瞬間」という気がしています。時間の切り取り方ってたくさんあると思うんですけど、私たちは「跡」を見ているんじゃなくて「その瞬間」をいま見ている。そんな感じがして、それがあのガラスの仕事のすごく好きなところです。

宮永愛子「せかいのはかりかた」より



自分の中に利休もデュシャンも入っている

小崎 オープニングの日にささやかなレセプションをやったんですけど、そのときに宮永さんがとてもいいスピーチをされました。正確な言葉は忘れましたけれど「利休とデュシャンというお題はありましたが、先人たちのそういったものは、つくり手である私たちの中に間接的であるにせよ絶対に入っているから、そこはあえて意識しなくてもいいんじゃないかなと思った」というようなことでした。

宮永 よくよく心の中で考えてみると、潜在的には自分の中に、利休もデュシャンもたぶんあるような感じがして。日本に育ってアートの勉強をしているわけですから、どちらの足跡もたぶん踏んでいる。それは知らない内に自分の中で合わさっていて、私の前を歩いている人もそれを踏んでいるし、その人を見て勉強している私も自然に踏みしめているんじゃないかと思います。脈々と続いている流れを素敵だなと感じています。

 

小崎 利休から続く流れと言えば、「そらみみみそら」は音に耳を傾ける作品ですが、茶の湯には「松風」と呼ばれる重要な要素がありますよね。茶事のときに茶釜の湯がたぎる音を聴いて……。

宮永 はい。水を汲む柄杓を置くときのカタッという音も、すごいいいですよ。

小崎 八木さんはどうですか。例えば今回やってくれたことは、まさにデュシャンへのオマージュですけれども、デュシャンのことをそんなに知らなくても別の方向に想像力を働かせられる作品ですよね。

八木 「無意識の内に」というのは僕にもあると思います。宮永さんの作品だったら、例えば釉薬をゆるくするというようなことは陶芸的には失敗ですよね。あるいはガラスを封入するときに中に気泡が入るというのも、ある意味で失敗でしょう。普通の職人的な感覚では「そうはしない」ということを、美術的な見立てとして行うというのは、やっぱりどこかしら利休の視点みたいなものもあるのかなぁ、という気がしています。

小崎 八木さんは「想像力」についてはどう思いますか。

八木 僕は基本、キャプションを付けるのがあまり好きではないので、観る人にとってはわかるものもあればわからないものもあると思います。そうしておかないと、ひとつの作品からいろんな解釈が生まれなかったりするんですよね。別の業界でそういう人っていったら、音楽の世界ではジョン・ケージがそうだと思います。ケージは、作品の有用性ということについて、他のジャンルに移したときにそれがうまく働けば音楽として成功だと言っている。美術作家が観ても面白いと思ったり、それからインスピレーションを受けて別の作品にしたりする可能性をちゃんと残しておくことが作品には必要なので、できるだけ想像力をフルに使って観てもらうというのがいいのかなという気がします。

小崎 ケージ自身、デュシャンやラウシェンバーグといった美術作家に影響を受けたり、相互影響したりして作品をつくった人ですものね。

八木 昨日、聴覚文化論の学術研究会を聞きに行ったんですよ。講演を行ったのはポール・デマリニスっていうメディアアートの作家なんですけど、僕はすごく好きで、その人が来てスピーチするからというんで行ったんです。研究者とアーティストが混ざってひとつの場をつくり上げる、こういうのも相互に影響しあうというか、すごい面白い会合だったんですね。立場が変われば全然質問も違うし、それに答えるのにも頭を使うし。違うジャンルの人たちと混ざったり、違う領域に出たりすることの面白さはやっぱりあるし、そこで想像力をフルに回転させないとなかなか楽しめないですね。

小崎 たぶんそういうことがいちばん重要ですね。ここだけで完結するのではなく、外にも広がっていくといいなと思います。

 
9番目の参加作家は淳風小学校

質問者1 八木さんの回っている作品ですが、速くなって速くなって最後シュッ! って、そのときに僕は黒い穴の中に吸い込まれたような気がして、それが皆さんが言われている「想像力」を掻き立てるような世界かなと思ったんですね。そこでお聞きしたいのが、その世界ってどういうふうなものなんでしょう。皆さんは、どういう世界に観客を導きたいと考えているんでしょうか。

八木 僕の場合は、僕が感じた面白さとかおかしさみたいなものを追体験できる装置という感じでつくっています。バシッ! となった後の余韻だとか、衝突球がカチカチ鳴って終わった後のあの無意味な余韻をすごく愛しているので、そこを味わってもらえたらいいなと思っているんです。

 

宮永 私は日常にあるものを形として使うことが多いんですけど、それは、皆が知ってるものがいいと思っていて。誰かに使われていたものを私が使えば、すでにそこに誰かのストーリーがあって、想像していくきっかけがいっぱいあるような気がするんです。ちょっと見方を変えたらこんな世界があるんですよ、っていうふうにすれば、身近に想像していける物語をつくれる気がしています。

八木 あと、作家の想像力を上回る鑑賞者の想像力ってあるんですよ。それをたまにフィードバックされるときがあって、あ、そういうふうな見方もあるんだ! というふうな納得の仕方を期待しているようなところもあります。僕自身が見えないものを見る優れた鑑賞者って結構いて、僕に教えてくれたりすることもありますね。

質問者2(感想) 質問ではなくて感想なんですけど、場所が閉校になった小学校ですよね。今回の作品にとってそれがすごく面白い。私もはるか昔は小学生だったんですけれども、淳風小学校には来たことがなかったんですが、見てるとすべてが懐かしい感じがして……。この美術展の前にはたぶん何もない状態で、終わった後もきっと空っぽになって人も来なくなってしまう。その中で皆さんの作品を観ていて、かつてこの教室で、子供たちや先生たちにこういうふうに使われていたんだなぁ、ということを想像させるような作品との対話があって、そういう意味で非常に面白いなぁと感じました。

小崎 ありがとうございます。本当にその通りで、この会場は3月末に閉校になって、つまり3月末までは現役だったんです。だからたぶん皆さんも、子供たちがいた気配を感じられたんじゃないかと思います。参加アーティストもそれは同じで、例えば1階の保健室を使っている小松千倫さんは、今年の京都芸大の修士課程の制作展にとてもいい作品を出していたんです。その作品を展示したいと言ったら「いいですよ」と言ってくれたんですが、会場を見たら「新作やります」って言ってくれて、ああいう作品が出来たんですね。だから、この展覧会には8名の作家が参加していますけれども、9番目のとても大切な参加作家……と言うと大げさですが(笑)、それはこの会場じゃないかという気がします。淳風小学校の関係者の皆さんに本当に感謝しています。

八木 「デュシャンと利休」はもちろん想像できる。それに「小学校」っていう全然違う異物が入ってきたところが、僕はすごい面白かったんじゃないかなという気がします。もちろん、僕的にもやりたかったことが、欲望のままに理科準備室のものを使い倒せたっていうので、ありがたく良かったです。

宮永 やっぱり場所ってすごく大事で、展示するとき、どういう場所でやるのか、そこにどういう空気が流れていたのか、じゃあその場合どういうふうに人が思いながら鑑賞するだろうかって想像しながらつくっていくことは、たぶん作家の醍醐味だと思います。ホワイトキューブでやるときとは全然違うので、私はそこがいちばん重要。いま倉敷でやっている個展の会場も同じように古い建物なんですけど、会場となった建物と一緒に作品を観ないとつまらないっていうか……。ここの小学校の景色の中で観ることによって、いろいろ刺激されて、想像力が働くっていうことなのかなっていうふうに思います。

小崎 そうですよね。宮永さんが有隣荘でやっている個展には、ここと同じシリーズの作品も出展されているんですけれども、全然違って感じられます。皆さんぜひご覧下さい。

今日はどうもありがとうございました。

(2017年10月15日、元淳風小学校/2018年3月5日公開)


 
 

みやなが・あいこ
1974年京都府生まれ。1999年、京都造形芸術大学美術学部彫刻コース卒業。2008年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。日用品をナフタリンでかたどったオブジェや、塩を使ったインスタレーションなど、気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品で注目を集める。主な個展に『宮永愛子:なかそら—空中空—』(国立国際美術館、2012年)、『平成29年秋の有隣荘特別公開 宮永愛子 みちかけの透き間』(大原美術館有隣荘、2017年)。主なグループ展に、あいちトリエンナーレ2010(愛知芸術文化センター)、札幌国際芸術祭2014(札幌芸術の森美術館)、古都祝奈良-時空を超えたアートの祭典-(ならまち、2016年)など。2013年、「日産アートアワード」初代グランプリ受賞。

 
やぎ・りょうた
1980年、愛媛県生まれ。2003 年、京都造形芸術大学芸術学部空間演出デザイン学科卒業。2012 年、京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻単位取得満期退学。人間の知覚をテーマに、主に既製品を用いて作品を構成。音響作品をはじめとして、オブジェ、映像、インスタレーション、インタラクティブな作品など、表現手法は多岐にわたる。主な個展に『サイエンス/フィクション』(神奈川県民ホールギャラリー、2014年)、『メタ考古学』(無人島プロダクション、2016年)。主なグループ展に『われらの時代:ポスト工業化社会の美術』(金沢21世紀美術館、2015年)、瀬戸内国際芸術祭2016など。2015年、「六甲ミーツ・アート大賞」グランプリ受賞。

 
おざき・てつや
1955年、東京都生まれ。REALKYOTO発行人兼編集長。『見立てと想像力——千利休とマルセル・デュシャンへのオマージュ』展企画者。

 
 

『見立てと想像力——千利休とマルセル・デュシャンへのオマージュ』展は、2017年10月6日〜22日まで、京都市立(元)淳風小学校で開催されました。

 
ポートレート撮影:かなもりゆうこ
作品撮影:守屋友樹
録音起こし&編集協力:かなもりゆうこ+真部優子

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