「ドクメンタ」は、美術展ではない。

「ドクメンタ14」レビュー


撮影:深沢秀一



藤幡正樹

カッセルにドクメンタを観に行った。思った以上に楽しかったので、ここに報告させて貰うことにした。実際、今年のドクメンタは全体的に不評のようで、友人によればドイツ中の新聞や雑誌が軒並みこき下ろしているらしい。「自己正当化の神殿」(Zeit紙)、「要するに、難しく見せるということが重要なのだ」(Der Spiegel誌)、「まごうことなき大失敗」(Die Welt紙)、「今回のドクメンタはとても難しい」(focus誌)、「もしかしたらアートの役割は終わったのか? メディアが伝えるドクメンタ」(HNA)、南ドイツ新聞は「観客に指図するドクメンタ—アーティストもキュレーターも啓蒙せずに単純なメッセージに走り、政治ショーと化している」。今年を「スーパー・アートイヤー」と題して特集を打っているFAZ誌は好意的ではあるが、「今年のドクメンタは何から何まで違う」「ドクメンタではなくモニュメンタ——外部プロジェクトで街と生活を変えようとしている?」などといった具合だという。フランスの文化的アイデンティティーが映画、オランダが油絵という中では、ドイツのアイデンティティーはダントツに現代芸術なので、この国のアートについての意識は、すでにハイコンテクストの中にある。なので、これらの酷評も、見方によっては大成功だと言えなくもない。

他人の意見はひとまず横に置くとして、僕自身は何が楽しかったのかというと、この困難な時代に他人はいったい何を考えていて、自分にはいったい何ができるのかについて考える時間が持てたからである。以前、日本の文化状況についてフランスの友人に話していた時に、突然「アートが無かったら、考える時間が無くなってしまうじゃないか!」とその友人は怒ったもんだが、まったくその通りだと思う。今回のドクメンタにいわゆる「美術」を見つけることはほぼ不可能だが、もしかするとドクメンタ自体の意味が書き換わるかもしれない。このことばは造語だが、当然ドキュメントと関係がある。記録あるいはそれにともなった閲覧。研究資料の開示と調査。知識と学習。これらは、歴史の忘却と記憶、歴史の見直しと関係してくる問題系だ。1955年にアーノルド・ボーデがドクメンタを発案した背景には、第2次世界大戦によって失墜したドイツ文化の地位の奪回という動機があったようだ。当時の西側諸国とドイツの当時の美術を一覧できるものであり、作家たちを鼓舞する意図もあっただろう。未来へ向けた地図の作成、その共有、そして市民の教育という意図があったことが、第1回目の展示の記録を見てゆくと読み取れる。その後、1972年から芸術監督を立て、全権を委任する形での開催に変わってゆくが、通底している姿勢は、戦中と対比的に「表現することの自由について考える」ということだろう。

最近頻繁に聞こえてくる「表現の自由」ということばは、英語の「Freedom of Speech」の翻訳である。そのまま訳せば「言論の自由」であり、スピーチと表現では微妙に角度が違う。西欧圏の会話が他者との違いを確認するために行われているのに対して、日本語での会話が他者と共有できる点を探るために行われているように、日本での発言(スピーチ)は他者の説得のためにではなく、忖度してもらうためのシグナルとして行われている。表現は直接的なメッセージではなく「僕の気持ちを汲みとって」もらうためにあると読める。これでは「表現の自由」という言葉に、ありとあらゆる活動や行為が含まれてしまうことになる。そもそも、表現者という存在は社会にとって重要なはずだが、その立場は常に弱い。つまり、みんなにはこう見えるらしいがわたしにはこう見えるということは、その人はすでに少数者であるということであり、つまり弱者なので、これらを公けにするには相応の勇気がいる。こうした弱者、少数者が集まって来れば、実はおもしろいことが起こるだろう。既存の価値観がひっくり返ってしまうかもしれない。ドクメンタの背後には、こうした自由を保証することへの強い意志があることがみえてくる。この5年に一度のイベントは、いわゆる名作・名品展ではない。作品を美術として鑑賞する、教養として楽しむ美術展ではないのである。価値の定まった名品展であれば、批評する必要性はまったくない。

撮影:深沢秀一



 
アートは「生きていることの確認」

会場に到着すると、顔、マスク、裸、身体、それらの軌跡、さらに死の表象などがガンガン並んでいる。ま、絵画自体が作家の過去のパフォーマンスの軌跡でもあるわけだから、身体やその死と深く関係しているわけだが、写真も映像もそうした過去の記録という地点から離れることはできない。どれもこれも過去であり、死の表象であるということができる。作品一点一点の質の問題を問う以前に、一日にこれだけの量の異った顔、その視線と面と向かうという経験をすることはそうそうないだろう。これらの作品のどれもが作り手の内的自発性に基づいたものであり、表象への切実な欲求がある。描くこと、作ること、撮ることによってしか、今の自分を伝えることができない、未来の他者に向けられた視線と出会うことは、それなりに疲れることであった。カッセルには国立葬儀史博物館という施設があり、ここでもドクメンタの展示が行われている。常設展は如何に北方ドイツ人たちが死者を扱って来たのかを見せるものだが、その展示の横で、プリンツ・ゴーラム(ヴォルフガング・プリンツとマイケル・ゴーラム)のパフォーマンス・ピースを見ることには、やはり独特の感慨がある。こうした組み合わせを提案する企画側の発想とそれを受け止めるミュージアム側の「自由」を、僕自身は感じざるをえないのである。

当然だが、回顧的な展示企画も随所にあった。例えば、ダグラス・ゴードンが作った97分の「I Had Nowhere To Go」は、ジョナス・メカスが1991年に出版した同名の本を下敷きにしたポートレートになっている(本は2017年にドイツ語版、日本では「メカスの難民日記」として2011年に出版)。おもしろいのは、主催者側の意図だと思うのだが、ジョナス・メカス自身の作品「Reminiszenzen aus Deutschland(ドイツからの追憶)」(1971/1993, edited 2012)が、別の映画館(BALi-Kinos)で上映されており、同じ日記からの朗読がここに含まれていること。ダグラス・ゴードンの映像には黒味のままのシーケンスが大量に含まれており、つまりその間非常口のサイン以外に観るものがない、朗読を含む音響作品だと思った方が良いのに対して、こちらの作品にはメカス本人がにじみ出ておりはるかに見る価値があった。どうしてダグラス・ゴードンがジョナス・メカスで映画を作ることになったのかは不明だが、予算をかければいいものができるというわけでもないだろう。そもそもメカスご本人はどう思っているのだろうか。ついでながら同じプログラムの続きで35, 6年ぶりに「リトアニアへの旅の追憶」を観ることができたのは僥倖であった。当時はコマ取りを駆使した実験映画という触れ込みだった気がするのだが、要するにリュミエール兄弟から続く、素晴らしい「ホームムービー」なのである。おかげで、細部までゆっくり見られたのだが、弟のアドルファスがボレックスを持っているのが写っているところを見ると、この旅にメカスは2台のボレックスを持って行ったことがわかる。途中みんなの歌を録音しているシーンがあり、そこにはナグラのレコーダーらしき機材が使われている。これらの機材はいってみれば、ホームムービー用の機材ではない。どうでもいいようなことだけれども、彼は確信犯であったということであり、その生き様そのものがすっぽりと伝わって来たのは嬉しかった。

ミュージアムでの展示や映画館でのフィルム上映に加え、テレビ放送やFM放送を用いたインタビューやディスカッションのプログラムもあった。こうしたメディアをまたいだところでも「生きていることの確認」が進行している。まあ、ジョナス・メカスの場合には、彼自身のリトアニアからの亡命という経験が、今回のドクメンタの主眼である移民問題とも深く通底しているわけで、ドクメンタではこれを単純に映画として観ることは不可能である。そこに「日記」が取り上げられた意図もあるのだろう。まったく、しぶとい企画者たちである。

ノイエ・ギャラリーは昨年改修工事が終わった、いわば新しい展示場所である。ディレクターのアダム・シムジックは、2012年にミュンヘンのコルネリウス・グルリットのアパートメントから見つかった、ナチによってユダヤ人から不当に略奪された西洋絵画の名作、モネ、ルノワール、マチス、シャガールなど1500点を、ここで一堂に展示する予定だったが、ベルンのミュージアムがドイツへの貸出しを拒否したことで計画の変更を余儀なくされたという。もしこれらが展示されていたら、作品ではなく企画のドラマ性がドクメンタそのものまでも凌駕してしまっていたかもしれず、展示はもっと混乱したものとなっていただろうと、僕には思える。その喪失感への反撃だろうか、ここでの展示の質の高さに僕は驚いた。それはさまざまな資料から必要な情報を漁ってくるその手腕によるものである。例えば、アーノルド・ボーデの絵画の展示がされている部屋には、友人である画家、カール・ライハウゼンの絵があり、彼の描いた絵のモデルとなった女性がサミュエル・ベケットの最初の恋人(ペギー・シンクレア)であり、彼女は22才でカッセルで死亡するとある。しかも、丁寧にその横にはベケットのノートが開いておかれている。こんな話は僕は今まで聞いたことがなかったが、どうもカッセルにベケットの親戚がいたということらしい。その事実は彼の死後に発見された詳細な日記によって知られることになったという。これが資料の持つすごさなのだ。何気ないのでみんな見過ごしてしまうかもしれないが、例えば、ドイツで使われたマーシャル・プランのPRポスターなんてものまでが、近くの部屋の一角にまとめて貼ってあったりする。戦後のドイツの復興に、マーシャル・プランはどれほど貢献したのか、それはそのデザインとともに考える材料として提供されている。

マーシャル・プランのPRポスター/撮影:藤幡正樹



誰もがギョッとした作品は、ナチス高官の顔写真を7×29=203点展示した「Real Nazis」という作品だろう。作家のピョートル・ウクランスキーが、ポーランドの出身であることは重要なポイントだ。今年のディレクターアダム・シムジックが、そもそもポーランド出身であることも考慮しないわけにはいかない。(ところで、7も29も素数なんだが、なにか意味があるのだろうか。単に中心にヒトラーを置きたかっただけかもしれないが……)。よく見ると、複製元にはいくつかの種類があるようであるし、それぞれの来歴について質問すれば、おもしろい話を聞くことができるだろう。誰をどこに配置するかについても、いろいろ考えたであろうことが窺える。さらに、おもしろいのはこれを観ている人たちを観ることである。ドイツでは、高校時代にナチスについて徹底したディベートをさせられることになっている。ここに来ている観客の多くも学生時代に、そのヘビーな授業を経験しているのだろう。鑑賞者どうしで、ポートレートになっている高官の名前当てがはじまっていた。この時点で作品は作品の枠を超えて、コミュニケーション・メディアとして機能しているわけで、時代と自分の関係確認のための素材として、そこに提供されていることになる。

ピョートル・ウクランスキー「Real Nazis」/撮影:藤幡正樹



もう一点、興味深かったのはセルヒオ・セバヨスという作家の「A War Machine」であった。このプロジェクトは骨相学を背景にして、現代の政治家の本性を暴くという意図であるらしい。骨相学は19世紀に流行った典型的な偽科学である。顔の部品どうしの比率を元にしたもので、ナチス・ドイツの優生学思想が思い起こされる。ヒラリー・クリントンも対象に上がっていておもしろい。と同時に、もしも自分がこうして分類されたらと思うと恐怖が襲ってくる。この作品に限らないことだが、まったくもってどれもこれも、ハイコンテクストな作品群である。日本で展示しようとしたら「わからないので説明してください」か、あるいは政治的な匂いがするので展示できません、となるだろう。言ってみれば、これが可能なのは企画者側が、観客に絶大の信頼を置いているからであると考えることができる。その信頼はこの60年間、ドクメンタが続けてきた教育の成果でもあるだろう。説明してもらうのではなく、自分自身で考え、このハイコンテクストを読み解くことの喜びを観客が知っているということを企画者側が知っているということだ。過大評価しているように聞こえるかもしれないが、これはヨーロッパ全体に言えることだ。こうした読み取りリテラシーの背後には、キリスト教が展開してきた、いわば言い訳の歴史、複雑なレトリックを用いた読み替えの歴史があったことなども考えられる。例えば教会絵画を見ればわかるように、どの場面を取り上げるか、それをどのように描くかが画家の技量であり、さらにそれを読み解いてゆく喜びが信徒に与えられている。宗教なき時代においても、そのリテラシーは継続的に生きていて、美術における展示と鑑賞の基本的姿勢として残っているのだ。

セルヒオ・セバヨス「A War Machine」/撮影:藤幡正樹



 
アテネと「生きづらさ」

僕自身は、アテネのドクメンタには残念ながら行っていない。そもそも、ドイツとギリシアの関係は複雑で深くねじれている。EUがギリシアを加盟させたかった理由のひとつは、アテネが民主主義のシンボルであるからだ。しかし、現在アテネに住んでいる人の大半はオスマン・トルコ時代の移民の人たちだろう。だから、実際ギリシアの夢は今でもコンスタンティノープル奪還なのである。ギリシア支援のための大きな基金が、EUからギリシアへ流れ込んでいるが、それらの公共事業を受けているのはドイツなどのハイテク企業だろう。ギリシア国債を売りまくったのもドイツだろう。そもそも、ギリシア国債の問題とは、実はそれに保険をかけている人たちがいるということであり、要するに保険会社がギリシアのEU離脱を拒否しているのである。ギリシアとまったく関係の無い所でギリシアが売り買いされているのである。こう考えてくると、今回のドクメンタのタイトル「アテネに学ぶ」の本心はいったいどこにあるんだろうか。このアテネ・ドクメンタもドイツによる文化的な支援の一貫であることは間違いない。ドイツ人が、ギリシア人の友人に晩御飯を奢った時、ギリシア人は喜んで奢られるんだろうか? それはドイツのギリシア・レストランなのか、それともギリシアのドイツ・レストランなのか?

カッセルで観ることのできるアテネは、主にフリデリツィアヌムを使った展示である。そもそもここがドクメンタの発祥の場所であり、第一回目の展示が開かれた場所だ。ファサードの上には本来「Museum Fridericianum」とあるが、今回はそれが「Being Safe is Scary」となっている。ここでも、今ここで自由を謳歌し、楽しく作品を見て回っている観客へ警鐘をならし、同時にここではない外部で現在起こっている事件への意識を持つことを促しているのだろうと思う。ま、それがアテネを思うことなんだろうか。実際には内部でアテネ国立現代美術館の所蔵品展が開かれている。どのような経緯で作品が選ばれたのかは、あまり興味がないので調べていないが、つまり、ここではギリシアのコレクションは何かということがわかる。何に価値をみているかということだ。今まで意識していなかった国際的な作家がギリシア人であったことがわかったなどの収穫はあったが、申し訳ないがコレクションそのものはそれほど興味深いものではない。だいたい、ギリシアに限らず国立博物館等の主体の見えない組織がコレクションしているものが、そもそもおもしろいはずがない。結果全体的にはどこかで見たことのあるような現代美術展でしかないのである。これはどうにもやりづらい展示であったであろうと思う。やった方も乗らなかったんじゃないだろうか。でもそれは意図されたものであるとも考えられる。このフリデリツィアヌムのディレクターが、今年のベニス・ビエンナーレのドイツ・パビリオンのディレクターである。僕は今年のドイツ館のファウストをテーマにした、アンネ・イムホフのパフォーマンスにいたく感動した。そこには「生きづらさ」という意味での共通項がある。企画も大胆だが、これをこのタイミングで実現できるシステム構築能力と、期間中継続的にパフォーマンスを維持しようとする意志には本当に驚かされた。

アンネ・イムホフによるパフォーマンス(ベニス・ビエンナーレのドイツ・パビリオン)
撮影:深沢秀一



とは言え、この「生きづらさ」は、グローバライゼーション以降の世界に共通する問題であることには違いない。この現実に面と向おうという意志は十分に理解できる。しかも、2013年という、まだ現在のように難民問題が前面化していなかった時期にアテネとカッセルでの同時開催を提案したキュレーターのキレの良さには感心する。問題を意識化させるためのアイデアとしては的確であったのだが、時代がそれよりも早く進行してしまったのだ。この進行の速度は、さすがに読めなかったというわけだ。そう考えるとドクメンタ全体を通して「生きづらさ」を相対化するための仕組みがあちこちに仕込まれているように思えてくる。例えば、ギリシア時代、アテネでは民主制が布かれていたと言われているが、実は奴隷も同じ街に生活していた。当然、奴隷には参政権はない。このことに気づけばギリシアの民主制も問題だらけであることがわかる。人を人とも思わないでいられれば、生きづらさを感じることはない。現実を見つめないで済ますことを目的とするならば独裁制への移行は正しいことになるが、現実を見つめない限り次の時代はやってこない。今の時代は、何かアクションを起こすと、自分の思った方向とはまったく違った摩擦をつくりだしてしまう時代だ。調べて、調べて、知れば知るほど、そのことがわかってくる。考え抜くためには、それについての情報を一堂に並べて見比べて、他者と議論することのできる場所が必要だが、そうした場所となることもドクメンタには織り込まれているように見える。

 
自由であることと民主的であること

フリデリツィアヌムでは、「Parliament of Bodies」という公開の集会が4日間連続で開催されていた。僕が参加した4日目の中心人物ナイーム・モハイエメンは、歴史家であり、かつ「Two Meetings and a Funeral」というドキュメンタリー(Landesmuseumで上映)の監督である。この作品は、冷戦期に連合国に対抗して第3世界を中心に生まれた非同盟運動「NAM (Non-Aligned Movement) 」を扱っており、1973年にアルジェリアで第4回が開催され活発化の様相を一旦は呈したが、バングラデシュでの開催を巡って紛糾し、バングラデシュは運動から離れてしまう。もしもこれが継続的に活動を続けていたら、世界はもう少し違っていたのではないか? というのがこの作品の趣旨である。集会にはこの作品の出演者たちも招かれていた。この日のタイトルは「Rebuilding the Idea of a Global Left」である(http://www.documenta14.de/en/calendar/23812/rebuilding-the-idea-of-a-global-left)。しかし、今僕はアテネの作家ばかりではなく、アルジェリアやバングラデシュの歴史の話を、なぜカッセルで聞いているのであろうか。個人と国の関係、人種と言語の問題、人種や性的差別の話、弱者、弱い国の話もある。提案者も、参加者も何らかの形で活動に関わり、アカデミズムとも関係がある社会学者、歴史家、文化人類学者などである。彼らの発言にもあったが、研究や活動をすればするほど、映像情報が重要になり、それをまとめることの方が論文よりも意味を持ってくる。論文は学会に投稿すれば終わるが、映像は見てくれる人がいなくては意味がない。それが、こうした人たちの活動をこうした場所へ移行させているのだろう。それは、彼ら側だけの問題でもなく、アートの現場から言っても、現在を見つめなおすための新たな視点を探すと、結局こうした人たちの活動が目に入ってくるということだ。

しかし、集会は続く、僕は7時半から参加したが、集まりは7時からで、10時終了を予定している。後半、会場からの声が次々とあって、会場にいた初老の女性が「なぜこうした集まりをフリデリツィアヌムの中ではなく、目の前に立っている禁書でできたパルテノンの中でやらないのか?」と質問した。擬似的なものとは言え、パルテノンを模した場所でこうした会話をすることには意義がある。主催者側は、そもそもこうした集会企画を運営サイドに認めさせること自体も実は簡単ではなかったこと、また外に建っているパルテノンはアート作品なので、アーティストの許可無くこういったイベントは開けないという話をした。さらに大きな問題は、入場自由とするとさまざまな考えを持った人たち(要するにネオナチの人たち)が入り込んでくる可能性があるが、建物の中であれば入場料という防波堤があるために、まだ問題は少ないだろうという判断があったという。それでもこうした場所が作れたので、ここにいる参加者が違ったテーマでまた異った集会を企画することができるということだった。アートは政治抜きでは語れないものだが、ドクメンタでさえここら辺りが限界なのであることが見て取れた話であった。そもそもドクメンタという場所はどうにもリベラルな左派の集まりである。当然な話だが、弱者の自由を保証していくためには、どうしたら良いかを考えてみれば、立ち位置は人間中心の思想になっていく。途中、極左テロリスト(Weather Underground)のドキュメンタリーも上映されたのだが、つまりその左派の限界がここでは議論になっているわけだ。経済がイデオロギー(理想)に優先している現在、それが各地で極右を生んでいることの理由であろう。この辺で、僕の思考は「自由」の問題から「平等」の問題へと移行しはじめている。自由を保証することと、民主的であることは異った問題系にある。誰もが自分の意見を自由に言えるということは、多様性が保証されていなくてはならないということだが、その多様性が誰にでも平等に保たれるようにすることは本当に可能なんだろうか?

マルタ・ミヌヒン「Parthenon of Books」/撮影:深沢秀一



このフリデリツィアヌムの地下では、「Good Luck」という6面のビデオ作品が上映されていた。これは金を掘るガリンペイロに取材した映像で、NHKのドキュメンタリーのように観る者を意図的にナビゲートするようなナレーションは皆無である。ショット毎が長く、カットの少ない映像で、例えば地下へ降りてゆく薄暗いエレベーターのシーンでも、その経緯が実時間で映し出される。なので見る側も同じ実時間を体験させられることになる。つまり、その人になることが強要される。しかも、会場は暗い洞窟のような地下室である。それを我慢しつつ見ていくと、突然ガリンペイロたちが、歌を歌っているシーンに遭遇する。その歌は「金が欲しけりゃ、ここにこい。誰でもタダで手に入る。ドイツ人もフランス人もイギリス人も、金が欲しけりゃここにこい。(記憶を元に書いているので、多少不正確)」という歌詞だった。金はそこに予め眠っている、彼らはそれを拾っているだけなのだ。それは労働の対価としてのお金ではない。彼らの理解としてはお金はタダで手に入るものなのだ。しかし、それでご飯が食えるというのは、彼らの外側にある経済社会が彼らを支えているからであり、彼らは要するにフリーライダーなのだ。つまり、現代社会の周縁に生きる人たちである。

さらに、かつてオランダ女性の人肉を食べたことで大きなスキャンダルとなった日本人、佐川一政をテーマにしたインスタレーションがあった。グロテスクな内容なのだが、この作品をドクメンタ全体としてみた場合に、地理的にも周縁に置くというセノグラフィーのすごさには驚かされた。白人女性に対するある種の劣等感からの逆差別意識が、突如一線を超えて犯罪になって行くというエクストリーム(異常)な実話である。自己の醜さから彼女に食べられたいという欲求を持ち、それが現実的には彼女を食べるという欲求に反転する。それを彼自身が描いた漫画を日本の出版業界の人らしき人が本人の前で観ているところを撮影した映像と、佐川家のホームムービーがフィルムで上映されている。(8mmフィルムを16mmにブローアップしたものをそのままフィルムでカタカタと音を立てながら上映している。)60年代に8mmカメラがあったという意味で、佐川家はある程度裕福な家庭であったことが見て取れるが、そこには極めて普通の昭和の家庭や街角が写っている。考えようによっては、こうしたエクストリームな行動は、自由という問題と直結されて、むしろ称揚されることさえある。「人肉を食べられる自由(?)」を発言することはできる。だが、アートという解放の概念が無い(無かった?)日本では、こうする以外に自分の内的問題を解決する方法が無かったのであろう。そこには日本の戦後の抑圧的な社会と文化状況が遠因として浮上してくる。金属バットといい、酒鬼薔薇といい、秋葉原の加藤といい、アートがあれば救われたと思われる事例がいくつもあるように、僕には思える。アートが足らない。民主的なあなたは言う、人間は多様だ。多様性を認めよう。誰もが人間なんだ話せばいつかわかる。本当にそうなんだろうか。この展示は、まさに、人間であることの輪郭と周縁を見極めるプレゼンテーションであった。

Véréna Paravel Und / Lucien Castaing-Taylor「Commensal[2017]」/撮影:深沢秀一



 
アートという装置

さて、カッセルでは、2日と2時間で大量の作品に触れた。その間、展示施設の間を移動することになるのだが、これもまた良かった。辛いものを観た後に、そこに普通の生活があるってことに単純に感動してしまうものだ。途中たまたま同じルートを歩いていた人たちといろんな議論をしたことも楽しかった。この人たちは、作品についての好奇心もさることながら、人の意見にも興味深々なのである。子育てを終わったと思われる年代の女性グループが圧倒的に多いが、初老のご夫婦が孫に作品解説をしていたりするのも日本では見られないケースだろう。社会的にアートとの触れ方のリテラシーができているわけである。しかも、来場者数がすでに前回の同時期を上回っているらしい。これじゃあ大成功じゃないか。難しいことを考えるのは、良いことなのだ。

撮影:深沢秀一



会場では、特に映像をできるだけ最後まで観るようにしたのだが、観てみてわかったことはこれらの作品は最後まで観ないとダメだということである。60年代に「ループによる退屈さ」をビデオアートが発見したといわれているが、それとはまったく別の意味でこれらの映像は退屈だ。しかし、どこかにメッセージが隠されていたり、時間的経験の中で観る者に考えさせることが作品の意図でもあったりする場合があるのだからいたしかたない。今回は、それに素直に従ってみたのだ。アートの周縁が文化人類学、社会学、歴史学等の流入によってますます広がっている風景が見える。確かにドキュメントの集積であるし、その展覧手法においてもそれは表れていて、極めて高度である。驚きを隠し得ない。記録の再生の仕方、つまり展示の方法にも、詳細な注意が払われていることもわかる。いろいろ観ているうちに、鑑賞を経験としてその後の議論の幅を広げるようとする仕組みもわかってきた。ドクメンタの伝統は、アート作品のドキュメントから世界で起こっていることのドキュメントへと対象が移行しているが、ドキュメント展という意味でしっかりと守られていた事になる。

しかし、僕自身が一番悩ましいと思っていることは、デジタル技術の登場以降の出来事の経験ということである。そもそもコンピュータはドキュメントのハンドリングがひとつの目的だった。人間どうしをつなぐ出来事(イベント)の生成というテーマは当初そこにはなかった。しかし、今のソーシャルメディアは、知らない間にこうしたイベントのプラットフォームとなっている。2001年のアルス・エレクトロニカで、「From Document To Event」というラウンドテーブルをひとつ開いてもらったことを思い出した。コンピュータがドキュメントのハンドラーから、イベントのハンドラーとして立ち上がってくるであろうという予感から出た言葉だった。現在のソーシャルメディアは、今のように使われることが目的として設計されていたわけではない。大統領が公式発言する場所に、ツイッターをここまで使うとは誰も考えていなかった。メディアをデザインした側の主体が見えないということが、よくも悪くも問題なのだ。

こうした巨大なアートイベントもまた古臭いかもしれないが、立派なコミュニケーション・メディアである。記録と再生、そしてその批評というサイクルは、今現在でも有効なアートの基本構造である。そこから、離脱し、経験に焦点を当て、展示を「出来事」に変えてゆくことはできないのだろうか? 観客とともに「エクリチュール」することはできないだろうか? ということを考えざるをえなくなってきた。ディレクターがアテネという外部に焦点を当てた理由は、もしかするとそこにあったのかもしれない。ドクメンタを進行形の「エクリチュール」にするということだ。実際には、「エクリチュール」には一回性の問題というのがあって、パフォーマンスでは可能かもしれないが、展示という散漫に、しかも継続的に続く時間の中で、その出現をコントロールすることは極めて難しい。結果的にはアテネとの並列展示を通して目論んだ「エクリチュール」は不発弾に終わっているように見える。ベニスのドイツ館の方が規模が小さい分成功しているのかもしれない。

さらに、このアートを集めて見せるという問題を突き詰めてゆくと、次にはメディアとしてのミュージアムや、それを支えるテクノロジーの問題が出現するのではないか? マルクスが「資本論」で書いているように、資本家にとって技術の掌握は最大のテーマである。技術を持ち込むことで品物の原価を下げることができるからだ。しかし、現代が直面している技術の問題は、情報に技術が関わっているという問題だ。プロパガンダを発明したのは戦中のドイツだが、それをPRとして戦後に利用したのはアメリカだ。でも今では、その手法が効かなくなって来た。マスメディアの時代がソーシャルメディアの時代に移行しつつあるからだ。それを最も恐れているのが当の政治家である。だから彼らは右傾化して、過去のプロパガンダが通用する時代のノスタルジーに生きようとしているのではないだろうか。中世から戦後まで、意見を表明する場所が広場から新聞に、言葉から文字に、ラジオやテレビなどの新たなメディアに移行した。それがまったく不明のメディアに移行しつつある。先ほどの集会の中でも、2015年に記録された中東の家族の映像が流された。そこには子供が撮ったスマホの映像が入っているのだが、その家族が明るい。ギリギリでも人間にはユーモアがある。これが生きているということなのだと実感する。このように爆撃を受けている直接の相手の主観的な映像をほぼリアルタイムで見ることができる時代に、なぜ人は戦争をすることが可能なのだろうか。

技術は資本と結びついて暴走する。開発者でさえも想像しなかった現場をつくりだしてしまう、誰もそれを止められない。こういった情報技術が資本主義とからむ時代の中で、いったい僕たち個人の発言の自由は保証されうるのか、あるとしたらどういった方法でそれは保証されるのか。単純に言って、その技術の仕組みを専門家だけに預けておくのはあまりにも危険だ。ハックする必要がある。そして、資本主義から技術を解放して、新たな価値を見出してゆく活動こそが重要になっていく。今回も、アテネとカッセルを繋いだストリーミングや旧来型のメディアを使った番組などがあったが、それらは、メディアに対する批評的なスタンスは取っていない。牧歌的メディアの利用である。メディアとそれを支える技術について見直すことで、今一度アートという装置が進化するのだと思う。

この議論が、今回のドクメンタには決定的に欠如していた。技術に詳しい文化系人材の登場が待たれるが、もうすぐにそれはやってくるような気もする。

 
ふじはた・まさき メディアアーティスト

 
 

ドクメンタ14
[アテネ]2017年4月8日(土)〜7月16日(日)
[カッセル]2017年6月10日(土)〜9月17日(日)
 http://www.documenta14.de/

 

(2017年8月23日公開)