堂島リバービエンナーレ2015 “Take Me To The River ~同時代性の潮流


石谷治寛

2015年の夏は大阪がクールだ。国際美術館では、アジアとオセアニアの4人のキュレーターによる選りすぐりの作品で複数の歴史を振り返る『他人の時間』展、日本に2週間滞在した世界最高峰の現代写真家自らが完璧にレイアウトしたヴォルフガング・ティルマンスの個展が行われているが、その川向かいの堂島リバーフォーラムでも質の高い最先端の現代アートの潮流を知ることできる企画展が開催されているのだから。

まずは会場1階のメイン・ホールで、サウンド・アーティストの池田亮司による巨大な作品を体験しよう。矩形波やパルス音や重低音が耳を刺激するサウンドとともに、デジタル・データの列が床面に広がるスクリーンを素早く流れていく。観客は劇場のような舞台に立って光と音を体験でき、その姿は2階からも鑑賞される。池田亮司による関西でのインスタレーションとしては最大規模であり、これだけを体感するために堂島リバービエンナーレに立ち寄ったとしても、けっして損ではない。

池田亮司《deta.tecture |3 SXGA + version|》2015年 / Courtesy: the artists
展示風景:堂島リバービエンナーレ2015(堂島リバーフォーラム)
(撮影:木奥惠三  写真提供:堂島リバーフォーラム)



同ビエンナーレが掲げているテーマは「Take Me To The River(私を川に連れてって)」。それに関連させれば、長方形の空間にデータが波のように流れる池田亮司のインスタレーションは、プールあるいはジャグジーをも思わせ、心地よいバイブが体に浸透していくだろう。高音や突然のノイズによって視聴者を刺激する、これまでの彼のストイックな作風からすれば、今回のインスタレーションは、リズムが予想できる範囲に仕上げられ、子どもでも楽しめる水準で洗練されていることは意外な驚きだった。子どもたちは素直に音と光に身をゆだね、自由にはしゃぎだすだろう。こういってよければ、ひらかたパークやとしまえんにある人工的に水流が創りだされる総合エンターテイメント施設のような楽しさがある。暑い夏に現実のプールで群集に揉まれるのではなくて、冷房の効いた暗い室内で、デジタル・データの仮想的な川に飛び込んで知的にクール・ダウンしてみようというのが、今回の堂島リバービエンナーレのテーマかもしれない。

堂島は、江戸時代に米の水上交通を通して世界初の金融取引所が創設された歴史と切り離せない。産学協同の複合施設として商業店舗とオフィスと教育機関が同居する堂島リバーフォーラムの垂直的な建物の構造が活かされて、データの貯水槽を思わせる池田のインスタレーションを中心に、展示室には流動化する資本と情報と自然の絡み合いが、多層状に展開される。単純化すれば、1階と2階の通路や周辺の展示室では、現代のグローバリゼーションの地政学的な広がりが示唆され、地下の駐車場は、世界経済の土台となる下部構造、林立するビルディングを眺望できる4階の展示室は、道徳や芸術など意識形態を象徴する上部構造となる。そうしたレイヤー状の構造を基底として、歴史・エコロジー・食・教育・感情労働をめぐる現代社会の課題が、水や流動性のイメージによって共鳴するよう配置される。本展ではまた1980年代以降の日本に関わりの深い世界的なアーティストの作品をまとまって振り返ることができることも特記できる。

堂島リバーフォーラムの4階の窓から(撮影:石谷治寛)


プレイ《1E: PLAY HAVE A HOUSE》2015年(映像は1972年)/ Courtesy: the artists
展示風景:堂島リバービエンナーレ2015(堂島リバーフォーラム)
(撮影:木奥惠三  写真提供:堂島リバーフォーラム)


笹本晃《トーキング・イン・サークルズ・トーキング》2015年
Courtesy: Take Ninagawa, Tokyo
展示風景:堂島リバービエンナーレ2015(堂島リバーフォーラム)
(撮影:木奥惠三  写真提供:堂島リバーフォーラム)



さてここでは、現代の文化産業の下部構造と上部構造を鋭く描いた2つの作品に詳しく触れておきたい。地下に設置されたヒト・スタヤルの30分ほどの《リクイディティ・インク》は、水の流動性を現代社会の隠喩としながら、不安定な時代をサーファーのようにサバイブするボクサーの強い意志を際立たせる。「心を空にしろ、友よ水になれ」というブルース・リーの言葉が繰り返し引用されて、ボクシングの試合が映し出される。話を整理すれば、このボクサーは、ヴェトナム戦争後に西海岸に養子に出された子どもの1人で、ネット関連の会社で成功した。しかし、リーマン・ショックにともなう経営破綻をきっかけに解雇され、格闘家になったという。つまり、この難民の人生の浮き沈みそのものが、ここ四半世紀の政治経済の軌跡と重なっているのだ。さらに戦争やテロリズムも金融の流れに同調している。覆面の男がアンダーグラウンド世界の天気予報士として、インドシナ海から太平洋にかけての気流の動きや潮の動きや紛争の状況を予報する。ボクシング・リングとプライベート・シアターが合成されたような地下劇場は、心地よさとは対照的なファイティング・スピリッツで観客を奮い立たせる。

ヒト・スタヤル《リクイディティ・インク》2014年
Courtesy: the artists and Andrew Kreps Gallery, New York
展示風景:堂島リバービエンナーレ2015(堂島リバーフォーラム)
(撮影:木奥惠三  写真提供:堂島リバーフォーラム)



最上階にあるフェルメール&エイルマンスの1時間ほどの映像作品《マスカレード》は、特殊な商品としてのアートの価値をめぐって、専門家が議論するレクチャー・パフォーマンスである。1980年代の新自由主義にはじまる金融市場の民主化は、政治の言語を経済に従属させることになり、1%の富裕層と99%の貧民というかつてないほどの格差を生み出した。アート市場はこの1%の富裕層のための独占市場に過ぎないというのはニヒリストの見方だろう。むしろフェルメール&エイルマンスらはアート・ハウス・インデックス(AHI)という架空の概念をでっちあげ、ベルギーにある自らのスタジオのなかだけで作品をマルチ展開することで、アートと経済のパラドクシカルな本性を掘り下げる。この思考実験の前半では、一部の独占的な投機家やエリートたちによってアートの価格やマーケット操作が容易に行われる仕組みが明示されるが、後半では、多様な趣向や欲望をもった観客がアート界に参入すればするほど、このインデックスの値動き自体は不安定化させられることも理論的に解説される。つまりアートの民主化の真の目標は、金融市場の見せかけの自由競争の原理とは実際には異なり、市場の価値体系を撹乱させクラッシュさせ投資家の操作を逃れるよう導くことにあるのだ。しかし、この啓蒙ビデオにはさらに裏がある。ここでプレゼンテーションを行う人々は、アート業界に実際に携わるキュレーターや学者などがセルフ・パロディとして演じている。本展覧会にあわせて刊行された雑誌には、学術的な注でいっぱいの文章や本展キュレーターのインタビューも掲載されており、キャスティングされた業界人たちの名前と顔を確認することができる。それが、映像作品が「仮面舞踏会(マスカレード)」と名付けられている所以である。いわばアート業界版「オーシャンズ11」と言えるような高度に専門化されたゲームなのだ。こうしたパラドックスを生き抜くための現在進行形の企てのロケーションのひとつに、大阪の堂島の歴史と場所が組み込まれたことを歓迎したい。

フェルメール&エイルマンス《マスカレード》2015年 / Courtesy: the artists
展示風景:堂島リバービエンナーレ2015(堂島リバーフォーラム)
(撮影:木奥惠三  写真提供:堂島リバーフォーラム)


フェルメール&エイルマンス《「インレジデンス」#02》2015年 / Courtesy: the artists
雑誌(750部限定)部分(撮影:石谷治寛)



川とは自然であるのと同時に文化でもあり、固有で複数の出来事と物を、実体なき世界資本主義の流通網へと組み込んでいく潮流(currents)そのものである。英国の社会学者ジグムント・バウマンにならえば、1990年代以降の文化はリキッド・モダン(液状化する近代)と言い表される。英国で活動するトム・トレバーが仕掛ける本年の堂島リバービエンナーレは、川という単純なメタファーと考えぬかれた作品の連関によって、最新のグローバル化の現状を重層的に見通す絶好の機会であり、見逃せない。

 
いしたに・はるひろ
京都大学人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。
現在、甲南大学人間科学研究所博士研究員。京都造形芸術大学他講師。
美術史、アート・メディエーター。

(2015年8月17日公開)


 

「堂島リバービエンナーレ2015 “Take Me To The River ~同時代性の潮流」
2015年7月25日(土)〜8月30日(日) 堂島リバーフォーラム

 
 

Ryoji Ikeda, data.tecture [3SXGA+ version], audiovisual installation, 2015, © Ryoji Ikeda
concept, composition: Ryoji Ikeda
computer re-programming: Tomonaga Tokuyama, Norimichi Hirakawa
original computer programming: Shohei Matsukawa, Norimichi Hirakawa, Tomonaga Tokuyama