書評

芳賀直子著『祇園祭の愉しみ』


サエキけんぞう



ヨーロッパ・バレエ、ニジンスキーやバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の、日本最高の専門家である舞踊史研究家の芳賀直子が、何故か祇園祭にはまっていた。祇園祭はアート専門家を魅了する。観光的なベールの下に、膨大な歴史的コンテンツが隠れているというのだ。祇園祭はどんなに通っても全貌が見えるものではないという。10年通っても楽しみ尽くすことはできないという。そもそも祇園祭は観客のために行っていることではなく、住民のための神事、祭事なので、通常の目線では見えない内容物が多いというのだ。そんな知られざる祇園祭の楽しみ方を、一般人の目線から分かりやすく、しかし充分に専門的レベルで解き明かしたのがこの本だ。

京都の人が「この間の戦は、ひどかったから」といえば 、それは応仁の乱(1467〜1477年)だったりする。それほど歴史が生活の中に根付いている地だ。だから鎖国を飛び越えた海外交流の歴史が隠れている。祇園祭というと、ほとんどの人が、山鉾(やまぼこ)の巡行(じゅんこう)をボーっと思い出す程度だと思うが、実は様々な海外文化を受け入れてきた日本において、生活レベルで、民衆が歴史的文化を痕跡として祀り上げてきた、驚くべき祝祭なのだ。

美術史家である彼女がはまったきっかけのひとつは、山鉾を飾るタペストリーだという。そこには様々な絵柄がある。キリスト教のモチーフもあるというのだ。その一方で御神体は仏教の観音様だったり。神事で、仏教の僧侶と神道の神官が並ぶ光景もあるという。そもそも祇園祭の牛頭天王(ごずてんのう)とは、インドヒンズー教の守護神だというのだ。そんな宗教クロスオーバーの、スリリングな宗教的包容力を持った祭である。

この本の最大の見ものは、パレードの中心である壮麗な「動く美術館」と呼ばれる山鉾の、微細なカラー写真付きの解説だ。例えば「鶏鉾(にわとりぼこ)」のタペストリーは、なんと16世紀のベルギー製で、ギリシャの叙事詩『イリアス』の場面を描いたものなのだそう。

白楽天山(はくらくてんやま)は、中国詩人の白楽天が樹上の道林禅師に仏法の大意を問う場面を表した山だという。その山はヨーロッパのタペストリーを何枚も飾る山として知られており、前懸はやはり叙事詩『イリアス』のトロイア戦争をモチーフにしたものという。そのタペストリーは、滋賀県大津祭の曳山に使われているものと、一つのタペストリーを分けているともいう。祭の歴史は様々な場所で共有されてもいるのだ。そんな『イリアス』をテーマに祇園祭を回ることも可能という。

一方で役行者山(えんのぎょうじゃやま)は、修験道の開祖をお祀りする山だ。聖護院の25名ほどの山伏による護摩焚き供養がなされ、ほら貝の音と共に始まるという。宗教観が本当に様々に存在するのだ。

ところで芳賀直子が、祇園祭に本格的にはまったのは、一般的に知られる昼間の宵山(よいやま)と巡行の他に神輿渡御(みこしとぎょ)と言われる祭事が、巡行の夜に開かれていることに気づいたからだという。京阪三条駅で、見渡す限りの真っ白な法被姿、締め込み姿の男衆に囲まれたという。あられもなく勇壮な祭り事が、たいしたプロモーションもせずに、地元のために存続している。神輿渡御の「差し回し」と呼ばれる、高く神輿を差し上げて回す姿が凄いらしい。それを見るうちに、祇園祭を追うことは神事を追うことと気づいたという。そんな神輿渡御の風景は、まるで浮世絵のようだという。それはネットにはあまり情報がない。

このように、祇園祭は寛容な底知れない胃袋を持っている。移り変わる権力者におもねず、あくまで住民の力で行われてきた。それが持続してきた理由のようだ。それは参加者の装束の保存法や、一般人は食べられない弁当など、芳賀直子が取材した様々なエピソードから窺い知れる。神事が、神仏混淆どころか、ヒンズーも含み、国際性豊かであることも、まさに民衆レベルで背負っていることを示している。そんな京都という街に、畏怖を感じずにいられなくなる。壮大な感慨を、お土産物情報などと共に手に入れられる、お徳な本なのである。

 
さえき・けんぞう
ミュージシャン、作詞家、プロデューサー。1958年、千葉県生まれ。1983年、「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。『歯科医のロック』(河出書房新社)、『ヒットの種』(東京ニュース通信社)、『ロックとメディア社会』(新泉社)など、著書多数。

(2017年7月12日公開)


 
 

(書籍情報)
『祇園祭の愉しみ 山鉾と御神輿をめぐる悦楽』
 芳賀直子著 2017年 PHP研究所