笠井叡『今晩は荒れ模様』レビュー

笠井叡と6人の舞姫が素敵に荒れた夜(『今晩は荒れ模様』)


乗越たかお

近年の笠井叡には驚かされる。昨年の『ハヤサスラヒメ』もすごかったが(ともに舞踏の草創期を支えた大駱駝艦の麿赤兒と共演した)、今回は「錚々たるキャリアと実力を誇る女性ダンサーばかり6人との共演」である。しかも笠井は極めて厳密に振り付け、即興の要素もほとんどない。指示は呼吸のタイミングにまで及ぶため、時にダンサーはぶっ倒れるまで己の限界に立ち向かうことになる。

面白いことに、舞踏は第一世代に近いほど発想が自由だ。守るより先に創ることで壊してきた世代だからだ。笠井の魅力は、「ゾッとするような深遠さから不意に現れるファンキーさ」なのだが、それは今回も健在だった。登場からして、いきなり客席から舞台に登ってきた笠井は、上半身裸の上に白い上下のスーツを着ている。踊りながら「頭上の太陽は燃え尽き、地面が割れて黒い太陽が出現する」というイメージを語る。本作のタイトルは白石かずこの詩集『今晩は荒模様』からとっているが、笠井のこのフレーズは見当たらないので、オリジナルかもしれない。

笠井叡



ひとしきり踊った笠井が大喝一声、「育世!」と叫ぶと、召喚された魔物のように舞台奥から黒田育世が這い入ってくる。今回の6人はほぼ過去に笠井作品への出演や共演がある人達だが、黒田は『うみの音(こえ)が見える日』(2012年)というソロ作品で笠井の振り付けを踊っている。もともと黒田は限界を超えて踊るタイプだが、今回も笠井の振付はさらにリミッターを外させていた。黒い胸当てとチュチュを着けた黒田は「黒い太陽」のみならず「黒い鳥」にも見える。白石の詩に「ブラックバード」が出てくることに加え、黒田が主宰するBATIKの『おたる鳥をよぶ準備』等の作品で、「身体が朽ちても鳥に食われて、遠くの土地で踊りが受け継がれていく」というモチーフが語られるからだ。黒田は母性のような慈しみを感じさせると同時に、何かと決別するような視線を向けつつも、満場の空気を鷲掴みにして振るわせる渾身の踊りをみせた。

黒田育世



入れ替わるように舞台上手からゆっくりと寺田みさこが現れる。しかし衣装が身体に密着した肌色のシャツなので、裸体かと見まごう。おまけに銀のポアントを履いており、手足を奇妙な形に張ったまま昆虫のようにカクカクと動く。しかし挿入された黒田のソロのあと、薄い水色の薄いドレスに着替えると一変する。これは羽化したカゲロウなのだろうか。これまでも寺田のコンテンポラリー作品は見てきたが、バレエ的なムーヴメントをこれほどに透明感のある軽やかさで踊る姿を初めて見た。笠井は「ダンサーの身体を見れば振り付けが立ちあがってくる」というが、それが時に新たな魅力を引き出すのだろう。黒田と寺田という「バレエの基礎のある二人が、それぞれのスタイルで踊る姿」が交差する点でも(鳥と昆虫という捕食関係においても)、スリリングなシーンであった。

寺田みさこ



次に両脇から森下真樹と上村なおかが揃いの衣装で入ってきて唯一デュオのシーンが始まる。上村は笠井の義理の娘にあたるが、そもそも森下と上村は『駈ける女』(黒沢美香振付作品。2013年)で共演しており、笠井もこの公演を見て気に入っていたという。白石の詩には2本のサボテンと2匹の亀が印象的に登場するシーンがあり、本作でも「脇の下からサボテンが生えた」云々の(詩とは違うが)セリフを話しながら踊る。柔和な笑顔の下に匕首を忍ばせているような上村と、誠実さの果てにユーモアが立ちあがってくる森下の相性は実に良い。上村の黒髪と森下の金髪も好対照で、愛らしくポップな魅力にも溢れていた。

左:上村なおか 右:森下真樹



そしてその後に現れたのが白河直子である。白河は大島早紀子とともに主宰するカンパニーH・アール・カオスのメインダンサーとして世界で絶賛され、笠井作品には『UZME』(2005年)でバレエ界の至宝ファルフ・ルジマトフと共演している。近年白河の本気の踊りを目にすることは少なかったが、その実力は健在だった。細く長い手足が空中にはかなげな軌跡を残したかと思うと、突如として巨大なエネルギーを身体に宿し、劇場一杯に放出してみせるのである。逆光の中に身体のラインが浮かび、裾の長いドレスを存分に使う。卓越した技術に裏打ちされた深いダンスは、舞踊の根源的な愉悦と衝撃を観客に撃ち込んだのだった。

白河直子



このあとはやりにくかろうと思っていたが、白い人形のような衣装で歩み出てきた山田せつ子は、燃え上がっていた舞台の熱をスッと鎮めてみせた。子どもの一人遊びのように踊る山田に横から照明を数本あて、舞台を横切る大きな光のラインが孤独感を際立たせる。舞台前面まで山田が来ると、こんどは正面からの光が後ろの壁に大きな影を造り、表現主義時代のダンスを彷彿とさせる。そこにふたたび笠井自身が登場し、後ろから胴に巻き付いたりと絡んでいく。枇杷系を主宰する山田は笠井の天使館の出身で、ここは師弟デュオということになる。木訥としつつも即応するダンスの応酬はじつに白刃の上で遊んでいるかのようだった。

左:笠井叡 右:山田せつ子



そして暗転ののち、6人の舞姫達がゆっくりと歩み入ってくる。それぞれを照らす円形の光の中で踊り、次第に力尽きて床に伏せ、ひとつの世界の終焉が訪れる……わけではなかった。むしろ本当の「荒れ模様」は、ここからだったのである。ずっとモノトーンだった舞台上にいきなり赤い幕が何枚も垂れ下がり、真っ赤なドレスに羽根飾りでビカビカに飾り立てた笠井叡が登場し、踊りまくって最後に全てをかっさらっていったのである! 一番の年長者であり、ゲストを立てるべき立場なのに、じつに大人げない(笑)。しかし古稀を越えてなお全部をぶっ壊して去っていく、このエネルギーこそが笠井叡というダンサーの魅力なのだ。「今晩は荒れるといい むしろ荒模様の方がよいようよ」という白石かずこ詩が響く夜となった。

いうまでもなくこの舞台の大きなテーマは女性性である。パンフに「すでに戦争の時代は終わっている」とあり、その超克として女性性が称揚される。最後のドラァグ・クイーンのような笠井同様、白石かずこの詩も、しばしば男性目線から書かれ、ジェンダーを超越する。今回の公演ではときに客席の照明も上げられ、舞台と地続きの空間になっていた。曲の音量は押さえられ、生々しいダンサーの呼吸が聞こえてくる。そうやって観客は「舞台に存在し/させられ、究極に踊るダンサーの身体」を見るうちに、やがて性別すらも意識の中から消えていくのである。

最高のダンスを見たあとに、人を傷つけたくなる人はいないだろう。生きる力の凝縮が、人の生命の最良の部分を突き動かすからだ。それが人を結ぶアートの力である。そう実感できる、じつに素敵に荒れた夜だった。

 
追記:編集の小崎哲哉氏から興味深い指摘があったので紹介しておこう。岡本太郎の「黒い太陽」というエッセイで核エネルギーを「黒い太陽」に、本来の太陽を「赤いカニ」にたとえているという。とすると最後の「赤い笠井」はカニなのかもしれない。もっとも最後に関しては、「『ハヤサスラヒメ』ではラストで麿赤兒定番のマリス(麿+アリス)=白塗りヒゲのおっさんの女装に持って行かれたことのリベンジでは」という声もあり、そこはおおらかに楽しみたい。

(2015年4月11日)




のりこし・たかお
作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』(作品社)『どうせダンスなんか観ないんだろ!?』(NTT出版)、『ダンス・バイブル』(河出書房新社)など著書多数。06年にニューヨークのジャパン・ソサエティからの招聘で滞米研究。07年イタリアのダンス・フェス『ジャポネ・ダンツァ』の日本側ディレクター。ソウル・ダンスコレクションとソウル国際振付フェスティバル審査員。ダンストリエンナーレTOKYO、福岡ダンスフリンジフェスティバル、日韓デュオダンスフェスティバル等のアドバイザー。エルスール財団新人賞選出委員。



このレビューは、2015年3月26日の上演(東京・世田谷パブリックシアター)に基づいています。東京公演は終了しました。京都公演は4月25日(土)15:00から京都芸術劇場 春秋座で開催されます。

『今晩は荒れ模様』
構成・演出・振付・出演:笠井叡
出演:上村なおか、黒田育世、白河直子、寺田みさこ、森下真樹、山田せつ子



※この記事は、REALTOKYOとREALKYOTOの双方に掲載します。

写真:bozzo