メイヤスーによるマラルメ


浅田 彰

渡邊守章を中心とするマラルメ・プロジェクトの準備中、カンタン・メイヤスー(Quentin Maillassoux)のマラルメ論を検討する機会があった。メイヤスーは1967生まれ、人類学者クロードの子で、アラン・バディウに学んだ哲学者。デビュー作『有限性の後に』で、言語論的転回[→ポストモダン相対主義]への揺り戻しとして近年世界的に(私見では過度に→*注)注目されるいわゆる思弁的転回 speculative turn [→新たな形而上学]の代表格とみなされるようになった。「人間は人間が世界に投げかけたフィルター(とくに言語)を通したものだけを認識する」というカント−新カント派の「相関主義」を排し、人間と独立して存在する宇宙(数学的にとらえられる)の実在を肯定する。そのメイヤスーが最近出た『数とシレーヌ』でマラルメの「骰子一擲(さいの一振り)」の詳細な読解を試みているのだ。思弁性においてはかつて日本で晩年の田邊元の試みたマラルメ読解などと同断だが、テクストを具体的に解読していくところは時に強引ながらなかなか面白くもある。

ジル・ドゥルーズは『ニーチェと哲学』で、「マラルメは偶然を肯定するが、ニーチェは<偶然の必然>を肯定する(たんなる多のみならず<多の一>、たんなる生成のみならず<生成の存在>=回帰を肯定するように)」と論じている。バディウはそれをハイデガー的な存在論化であるとして退け、純粋な偶然、多、生成の肯定に向かう(とはいえそこにハイデガーとは別の数学的存在論があることもまた確かだ)。そういう文脈を考えれば、メイヤスーがマラルメをとりあげたのも当然かもしれない。以下にその概略をまとめておこう。

 



 

現代のマラルメ解釈においては「不可能性の詩学」(ブランショ的な)が支配的であり、たとえば数による暗号化を解読するより、その不可能性の表現として作品を見る傾向が続いている。メイヤスーはそれに抗い、「骰子一擲」を具体的に読むことで数による暗号化の解読を試みる。

彼によると、若きマラルメの「イジチュール」が12(さいころの6のぞろ目で、真夜中の12時であると同時に、最も完成された古典的詩句としてのアレクサンドランの音節数でもある)を秘数とする賭け——結局のところ挫折に終わる賭けであるとすれば、最晩年の作品である「骰子一擲」の秘数は707である。

まず、7の特権性がある。ソネ形式の韻の数であり、とくに「-yx のソネ」の最後に出てくる極北の七重奏/北斗七星の7であり、ドレミファソラシ(si=もしも= SANCTE IOANNES[聖ヨハネ])の(第)7音であり、「『書物』のためのノート」で特権的な位置を占める7である(そこではまず12=6×2と5が重要だが、そこから12−5=7が作品に内在する秘数として導かれる)。「骰子一擲」も、最後に「TOUT PENSEE EMET UN COUP DE DES(すべての思考は骰子一擲を放つ)」という7語でしめくくられる。

しかし、「骰子一擲」はさらに複雑な構成をもつ。その中核(p.VI)には、「COMME SI – COMME SI(かのように−かのように)」、すなわち「7—7」があり、その間に入るものとして虚無/渦巻き(「MAITRE(主人=船長)」を難破させる)の0がある。0をへて再肯定される7——707はそのアレゴリーとも言うべき数字である。そして、「骰子一擲」は、まさしく、707語+7語(「TOUT PENSEE EMET UN COUP DE DES」:最後に添えられた鍵)から構成されているのだ。707語目が「SACRE」であるように、最初の7が宗教的超越性(神)、次の0が近代資本主義の虚無であるとすれば、回帰する7は世俗的宗教としての芸術のアレゴリーとも言える。707 = sept cent sept、それはまた sept sans sept (7なき7、神なき宗教としての芸術)である。

ついでに言えば、関連が深いと思われる同時期のソネ「SALUT」が77語、「A LA NUE ACCABLANTE …」が70語で書かれているのも、偶然ではないだろう。これらは「さいの一振り」と併せ、救済の予告(77)−難破の難破(70)−秘数の到来(707)という構図を形作る…。

(この後に、数による暗号化と暗号の意図的な曖昧化の同時性[それが秘数を揺らぎを孕んだものとする]、「偶然であること=PEUT-ETRE」、溺れたかに見える「主人(MAITRE)」(自由詩のもたらす「詩句の危機」に飲み込まれたアレクサンドランという韻律[METRE])に代わって現れるシレーヌ(SI-RENE = REINE[女王]としての7→ここから『数とシレーヌ』というタイトルが出てくる)、等々にかかわる議論が続くが、割愛する)

 



 

ブランショ以降の地平でみると、メイヤスーの時に強引な読みは「トンデモ」解釈と言ってもおかしくない。若きマラルメがすでにブランショ(否定性と消尽の文学)/サルトル(無根拠な決断)という20世紀の二者択一を不十分なものと考えていた、というメイヤスーの指摘そのものが正しいとしても、その乗り越えを論じるとき、ある意味で必然的に、ヘーゲル弁証法的、さらにはキリスト教的な図式化に傾きすぎているように見えるのも確かだ。そのような意味で、メイヤスーのマラルメ解釈は私にはにわかに同意しがたいものだ。とはいえ、メイヤスーがブランショ的な否定性やイロニーを退け、マラルメを初めとする19世紀の芸術家たちの夢(神なき宗教としての芸術の創造)を真正面から取り上げなおそうとしていることは、少なくとも時代の兆候として興味深いとは言えるだろう。一方で、ブランショ的(さらにはデリダ的)な意味で「正しい」議論が、洗練のあまりそれ以上の議論につながらないとして、メイヤスーの「トンデモ」とも見えるテーゼが議論を活発化させるとすれば、そのこと自体は歓迎すべきだと私は考えている。

 

 

(*注)

メイヤスーは確かに興味深い哲学者だが、彼自身がまだ1冊しか本を出していない段階で英語のメイヤスー論の単著(Graham Harman,”Quentin Meillassoux: Philosophy in the Making”)まで出るという状況は異常だろう。フーコーやデリダの時代に英米の大学で「フレンチ・セオリー」が流行した、ところが巨匠たちがどんどん去っていくなか、残ったバディウが異常に有名になり(他方、フランスでも遅まきながらスラヴォイ・ジジェクの影響が強まって、その線でバディウが浮上しもした)、その弟子も英米の学者たちが先物買いでもてはやしてるという感じではないか。

このような「ブーム」の問題のひとつは、それが必要以上に強いバックラッシュを招くということだ。メイヤスーについてはさすがにまだそこまで行かないが、バディウについていえば、『Critical Inquiry』(Summer 2011)でニーレンバーグ父子(数学者と歴史家)が「サイエンス・ウォーズ」的観点からバディウの数学理解の不正確さを突いた批判は、部分的なものであるにせよ、それなりに正確ではあり、バディウが他の哲学者たち以上に数学を重視しているだけに、ボディ・ブローのように効いてくるのではないかと思われる。自分で反論せず、「弟子」たちの反論に序文を寄せて事足れりとするバディウの姿勢(同誌 January 2012)も、賢明とは言えまい。

ついでに言うと、バディウの弟子だったのが『Anti-Badiou(反バディウ)』で決裂したメディ・ベラ・カセム(Mehdi Belhaj Kacem)は、小説を書いたり、フィリップ・ガレルの映画に俳優として出たり、なかなか賑やかな存在なのだが、『Anti-Badiou』以来ひどく叩かれた恨みをぶちまけた『La conjuration des Tartuffes』で、バディウはマオ+ラカンの最悪の結合であり、そのポジションは「ヘテローマッチョ」だと言っている、それは結局のところかなり正しいのだろうと私は思う。

 

(2011年9月26日公開)