【ARCHIVE:中原浩大】CONTENTS
▶『Art & Critique 23』「アペルトより」文・中原浩大(1994年)
▶『Art & Critique 21』「アノーマリー少年」文・光田由里(1992年)
▶『Art & Critique 21』〈DIARY〉文・吉田裕子(1992年)
▶『Art & Critique 15』〈INTERVIEW〉構成・長谷川敬子(1990年)
「アペルトより」
文・中原浩大
まず誤解を正すためにボクがすべき事をしておきたいと思う。
「僕が作り出すものの中には他人にとって全く意味をなさないものがある。
また、特定の個人(他人)にダメージを与えてしまうものもある。」
これがAPERTO専用カタログのためにボクが用意した唯一のステートメントの原文である。ただし、資料図版のレイアウトの無断変更とともに無断でカットされたためにカタログ中に掲載されなかった幻のステートメントである。
次がオープンの後で画廊を通じて主要関係者に送った作品解説の原文である。
僕が作り出すものの中には他人にとって全く意味をなさないものがある。
また、特定の個人(他人)にダメージを与えてしまうものもある。
僕は二人きりになろうと思った。
邪魔されずに、二人きりになろうと思った。
僕とは、ナカハラ コウダイのことで
二人とは、“ナカハラコウダイと妻のナカハラケイコ”
あるいは“ナカハラコウダイと将来の子供”のことだ。
(つまり、“あなたと誰か”といったケースはこのプロジェクトには含まれていない。このことは重要な意味を持つ。)
このプロジェクトから一般論を導き出すことはできない。むしろこれは僕と妻、または僕と将来の子供の問題であって、その成果(あるいはこのプロジェクト自体)はあなた達にはなんの意味も持たないことだと考えて欲しい。
中原浩大 ヴェニス・ビエンナーレAPERTO出品作 撮影・安斎重男
(画像提供:シュウゴアーツ)
成果とは二人きりでモジュールの内部にフローティングした場合に起こる様々なことを指す。モジュールの中で、僕達はどんな僕達に変化するのか。宇宙で二人きりの僕達。あるいはそれ以外のどんな事態を迎えることになるのか。そこで起こることがこのプロジェクトの目的であって、APERTO会場での展示はこのプロジェクトの最初の資料に過ぎない。
1.フローティング実験用モジュール
球体部と円筒部からなる形態が、1人分のモジュールユニットとなっている2つのモジュールユニットは、双子のように同じ大きさの同じ形態をしている。2つのモジュールユニットは、互いの球体部の一部で結合されていてモジュール内部の空間は結合部の穴で通じており一体の空間となっている。つまり使用時(貯水時)には2人は1つの水系の中に居ることになる。
使用時、モジュールの内部に水または塩水をため、計10カ所にあるサーモヒーターによって水温は36℃~37℃に保たれる。
半水状態にして水面に浮かんで使用する場合と、満水状態にして水中に潜水して使用する場合の2つのケースを想定している。いずれの場合も、2人はそれぞれのモジュールユニットの球体部の中心に頭を位置させ、円筒にむかって身体を横たえる形で使用する。
ハッチを閉めると、内部は完全な闇となり密閉空間となるので呼吸はそれぞれのモジュールユニットにある呼吸用のチューブを通じて行う。(これとは別に満水状態での使用のために、外部にボンベを接合して使用するレギュレーターシステム用のチューブも備わっているが、呼吸、及び遮音のシステムに関しては、更に改善する必要があると思われるのである)
2.ポートレート類
“コウダイのセルフポートレート” 3枚
“ケイコのセルフポートレート” 3枚
“コウダイとケイコの結婚式の写真” 1枚からなる。
3.“将来の子供”の人形
頭、手足はナカハラコーダイから型取りし、胴体部は創作した“コーダイの子孫のヌイグルミ”(石膏製)を原型とし特殊メイク用ソフトラバーでコピーした。
頭部には僕と妻から5本ずつ髪をとり植毛してある。
尚、この人形は当初他のプロジェクトのパーツとして使用する目的で作ったものである。
(1993年6月)
ナカハラがAPERTOにおいてさしたる戦果をあげなかったとする見方に僕は賛同する。それは、展覧会においてあげうる戦果といった意味においてである。それ以外のレヴェルにおいての様々なことについては時間をかけて解決してゆく必要があると考えている。
船つき場でl.T.A.(イタ:タンクの発注先の鉄工所)のエ場長と。タンクの色は“フィオルッチ・ピンク”
ここから先は会場まで船で運河をゆく
(掲載誌面より)
ヴェニス・ビエンナーレおよぴ APERTO について
僕が目にした(読むことができた=日本語の)ビエンナーレに関する個々の展示や作家の評価についての記事と僕自身が見たり感じたりした印象の間にはかなり大きな差があった。トラブル(と一応言っておく)にからむ不完全な展示や、それに至るまでの条件の違い、様々な内情、作家の人格について彼らが一応に示す知ろうともしない姿勢は、大人としての正しいルールの使い分けだとしても(社会的、政治的背景について知ることは今や公然のルールとして成立している。さらに言えばルール上に成立している背景[モラル]でなければ、背景として認識されないケースもあり得る。)、核心に触れる必要のない人々による恣意的な文章や平和な文章は、ヴェニス・ビエンナーレやAPERTOの限界同様、僕にでもヨメる予想どおりの展開しかしないシロモノであり、そして何よりも、そこが現在最も興味深い場所では有り得ないのと同様に、それが現在最も興味深いリポートでは有り得ないという解りきった事実を改めて露呈したに過ぎない。それは、そもそも選択のミス、人選のミスに類することなのかも知れない。(大半のシビアなアーティストはそんなこと承知のうえでオンボロ階段を使うんだろうけど、新しい基盤を持ってきた奴が勝ち[某氏談]との詰もあります。)
いずれにせよ、こうした(かすりもしない不毛な乱射)をヨムことのできる来たるべきKIDSの多くによって、展覧会という(もともと歪んでいた)場を離れ、独自のコネクションに基づく別ルートを核とするフィールドワークへとシフトさせ、「発表の意味」や「作家」「作品」をカムフラージュヘと向かわせていくことに拍車をかける、ある種不幸な行為のリアリティが、加速浮上していくと思われる。(勿論、彼らにとってそんなことはゴミのような瑣末な原因の1つに過ぎないだろうが。)
膨大な量のメモとほんの申し訳程度のメモの模型からなる活動バターンは、それをそっくり流用するにはあまりにも時間がたち過ぎていて危険が多い。それでも、バイバイと平和に言ってみることで手に入れてきたものよりは、まだ多少なりとも有効なヒントを持っているかも知れない。ただし、すでにそれを追い越し、様々な局面が成立していることは言うまでもない。
ここで将来きっと問題になってくるのはアナロジーに関わることで、意外なことに、明日から買い物へも行けなくなってしまうようなモラルに触れておくことに時間を費やす行為が、そいつを何とかしてしまう気もするが、今のところ直感に過ぎない。(「誰のものでもないはずのもの」のほとんどがアーティストの名のもとに独占されうる事実について、子供に説明できる日など来はしないのだ。)
今言ったことに、街の発明家や市民としての生活者といった身分を表明することが、当てはまるかも知れないと考えるのは間違いである。なぜならそれこそが、いかがわしい良識に対するもっともコンサバティヴな信者を指す言葉だからである。証拠が残らないレヴェルにおいては醜いマネのできる立場にあることを彼らは知っている。死後、彼らの作品はより完璧なものとなって行く。(都合よく死んだり生きたりしながらゴシップを退屈なものにするのはやめよう。)
展覧会に出品の要請が来るということは、それに持ち込める物品を有しているか、またはそれに対応する物品を作成する能力を有するとの判断が生まれたことを意味する。つまり要請が来てしまった時点で展覧会というシステムのキャパシティに含まれうる側にいることが立証されてしまう。出品をプロジェクトのための最初の資料展示だと言おうが、出品を拒否しようが、要請が来てしまった時点で最初の洗礼が完了していることに大差はないのだ。出品することがカッコイイ。出品しないことがカッコイイ。それと同等の価値を、声もかからないことに見つけておく必要がある。そして、この展覧会にかすりもしない活動に、ぼくは少しずつ興味と夢を持ちはじめている。
(1993年6月14日)
アルセナーレでのセッティング風景
(掲載誌面より)
『A&C』(Art & Critique) No.23
(1994年2月28日 京都芸術短期大学芸術文化研究所[編])
より再掲
この記事は、京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)が刊行していた『A & C : Art & Critique』誌23号(1994年)に掲載されたものです。転載を許諾して下さった中原浩大氏、『A & C : Art & Critique』誌元編集担当の原久子氏、京都造形芸術大学、そして画像を提供して下さった
シュウゴアーツのご厚意に感謝申し上げます。(REALKYOTO編集部)
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なかはら・こうだい
1961年 岡山県生まれ。86年 京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。96-97年 文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに滞在。現在 京都市立芸術大学彫刻科教授、美術作家。
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〈注〉
ヴェニス・ビエンナーレAPERTO
『アペルト』は、1980年に始められたヴェネツィア・ビエンナーレの若手作家部門。中原が参加した93年の『アペルト ’93:エマージェンシー』(Emergency/Emergenze=非常事態)は、ヘレナ・コントヴァが企画し、アキーレ・ボニート・オリヴァがディレクターを務めた。キュレーターは、フランチェスコ・ボナミ、ニコラ・ブリオー、ジェフリー・ダイチら13人。120名の参加作家には、マシュー・バーニー、マウリツィオ・カテラン、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル、フェリックス・ゴンザレス=トレス、ダミアン・ハースト、カーステン・ヘラー、ポール・マッカーシー、ガブリエル・オロスコ、フィリップ・パレーノ、ピピロッティ・リスト、キキ・スミス、ルドルフ・スティンゲル、リクリット・ティラヴァニら現在のスターが多数含まれている。
(2014年2月12日公開)