―― 『選挙』でお会いしてから10年が経ちました。想田さんは37歳の時に映画監督として長編デビューされてますが、いまの監督たちに比べたら遅めのデビューと言えるでしょうか。
そうかもしれないですね。今回行ったベルリン国際映画祭で日本人の20歳と25歳の女性監督(山中瑶子監督『あみこ』&清原惟監督『わたしたちの家』)がエントリーされていて、山中監督は映画祭で最年少でした。いつまでも僕の自己像は若手という感覚なんですけど、そうでもなくなりましたね。―― 10年前から「観察映画の十戒」のスタンスを守られていますが、それにしても、この『港町』は、これまでの観察映画の流れとは少し異なる趣きでした。『牡蠣工場』にワイちゃんとクミさんがチラリと登場してますね。そのおふたりが『港町』の主役でしたから驚きました。
逆に言うと『牡蠣工場』のとき、すでに『港町』を作ることは決まっていたので、カメオ出演的に『牡蠣工場』に登場してもらったとも言えます。―― なるほど。仕掛けていたんですね。
そうです。『牡蠣工場』と『港町』は2013年11月に、同時に撮っていました。実は最初は『牡蠣工場』と『港町』を1本の映画にしようと思っていました。でも『牡蠣工場』の編集を始めてすぐに、「あれ、これは牡蠣工場だけで2時間越えの映画になっちゃうな」と思い、そこにクミさんやワイちゃんを入れようとすると焦点がぼやけてしまうので、ふたつは分けて作ろうと方針転換しました。―― それでいま『港町』が公開になるというのは何か理由が? 『ザ・ビッグハウス』と公開が接近してます。
たまたま同時に出来たということなんです。『ザ・ビッグハウス』もそうなんですが、僕はいつも成り行きで映画を作ることになる。『港町』も、『牡蠣工場』用の風景ショットを撮るために牛窓をうろうろしていて、偶然ワイちゃんに出会ったことがきっかけでした。「今日とれた魚だ」と、たぶん僕がカメラを持っていたからだと思いますが、「撮って」という感じで見せてくれたので、カメラを回し始めた。それから「明日漁に出るよ」と言われたので、「乗せて行って下さい」と一緒に海に出ました。さらに魚をどこへ持って行くのかと追うと市場に出た、その一連の自然な流れでシーンが撮れていった。市場でセリをしていた高祖さんは、僕たちがいつも魚を買っていた鮮魚店のおかみさんで、「あ、高祖さんがいる」とついて行ったんです。―― もう高祖さんが「嫌だ」と言うのに、想田さんは車に乗り込みましたね。あの強引なところが想田さんらしくて(笑)。とは言え、高祖さんにしても「仕方ないな」という感じで、そこによい関係性を感じました。『牡蠣工場』のときに、「漁師さんを撮りたいと思っていたら、牡蠣工場だった」とおっしゃっていましたが、ワイちゃんを撮ることでそれが叶ったということですね。
―― ワイちゃんの流れもおもしろいのですが、クミさんのパートは強烈なインパクトを残します。でもあえて言うと、普通ならクミさんにはなかなか近づかないのではと思ってしまいます。ただ規与子さんは、誰に対しても隔てなく話しかけられるので……。
鋭いですね。僕は、実は逃げるタイプなんです。カメラを持っていなかったら、たぶんクミさんからは逃げていたと思います。僕はどちらかというと出不精な人間で、だから牛窓にいても、家の中にいたり、海で泳いだり、あまり人と関わらない。対して規与子はマメに外に出て行くタイプで、クミさんともマブダチみたいに仲良しになってしまう。今回はふたりで映画を撮っているので、規与子の影響が大きい。それプラス、カメラを持っていたからこそ、僕はクミさんについて行ったんだと思います。―― 坂の上の病院へと想田さんを誘うクミさんですが、せっかく一緒に行ったのに、病院のことはそれほど話していないような……。
まず「病院の建物が新しくて綺麗だから撮れ」と言われても、普通は撮りに行かないですよね(笑)。クミさんはその「場所」というより、「一緒に行く」ということにワクワクするんだと思います。遠足に行く子どものように。クミさんの歩くスピードを見ているとすごくわかります。どこかへ向かうときには弾んでいて、速くて、前のめりに歩いていきます。でもそこから帰るとき、映画では”犬のおじさん”が居なかったと言って戻る足どりは、急にトボトボとなる。「どこかへ行く」というときに気持ちが華やぐというのは、僕自身も子どもの頃、遠足に行くとか、家族で外食に行くといったときに感じた懐かしい感覚です。「病院を見に行く」というのも、クミさんにとってはひとつの一大イベントですよね、「まだ見てないの!?」って(笑)。―― イヤとは言わせない押しの強さがありましたね。人懐っこさがある一方で人の中には入らないようにも見えました。例えばバーベキューに誘っても、クミさんは食べなかった。ワイちゃんは一緒に参加して食べてましたが、クミさんは輪の中に入って来ない。そこにクミさんというひとがよく現れていると思いました。
おっしゃる通り、とても象徴的なシーンだと僕も思いました。クミさんはおそらくアウトサイダーなのだと思います。ワイちゃんはある意味インサイダーなんです。つまり「サイクル」の中に入っている人。魚をとる、市場へ持っていく、セリが行われ、魚やで魚が売られる、残りを猫が食べる。そんな牛窓の社会の基幹となる小さな経済サイクルがあって、クミさんはどこかそのサイクルから外れたところにいたと思うんです。だからこそ、外からやってきた「ヨソ者」である僕らに興味を示されたんだと思います。僕らもアウトサイダーですからね。―― そういえば、(「どこから来たのか」と問われて答えた想田さんに向かって)「アメリカ?」ってワイちゃんに驚いた顔をされました。ワイちゃんという「中の人」から、想田さんという「外の人」に向ける顔、忘れられません。
たぶん「外」と言ってもせいぜい岡山市あたりから来たんだろうと思ったんでしょうね。それが「アメリカ」と聞いて、急にものすごく思考が跳躍したんだと思います。―― クミさんはおそらく「どこから来たか」ということには頓着しない方なのではないでしょうか。
そうでしたね。クミさんは僕らの存在をたぶん普通に受けとめていたのではないかと思います。―― 想田さんが(資料の中で)この映画を能の世界に喩えられていて、最初は何だろうと思ったのですが、次第にモノクロの世界が異次元的で、人が生きているようで生きてなくて、という不可思議な感覚を味わいました。
やっぱりクミさんという存在がそうなのかなと思います。彼女の場合は、半分くらいあちらの世界に行っているのではないかと。実際に行こうとしたこともあるし、きっと息子さんは自分とこの世を結びつけるような存在だったのではないかと。その存在を失くされてから、何かふわふわとした存在になられて、あちらの世界に連れて行かれた。そういう感覚が僕の中にあります。能には「夢幻能」というのがあって、まさに「幽霊が出てきて旅人にそこで起きた悲劇を語る」という能の構造と、この映画には共通点がある。生きてる人を幽霊にしちゃったら申し訳ないんですけど(笑)。―― 「まさかドキュメンタリーでこんなことができるとは」とも書いていらっしゃいましたけど、不思議なドキュメンタリーだと思いました。
そうですね。不思議で、ちょっと怖かったです。あのシーンを撮っていて。「何を聞いているんだろう、俺?」っていう感じでした。―― クミさんが病院でされた話はなんとも驚きの内容で、それを他の誰かではなく、想田さんに話しているという状況も、妙につじつまが合うような合わないような不思議な感じです。ところでクミさんとワイちゃんは映画を観られたのでしょうか。
残念ながらクミさんは完成を観ずに亡くなりました……。ワイちゃんは岡山での上映にご招待する予定です。―― クミさんが夕日を背に映る美しいご自身の姿を観られなかったのは残念です。
本当に残念ですね。―― 実は私はなぜか急に感極まったところがあって、それが市場の「セリ」のシーンなんです。
そうなんですか!?―― 魚がつれていかれて、セリで運命が分かれる迫力のシーンで映画の中へスッと引き込まれたようでした。想田監督は『牡蠣工場』でも、牡蠣剥きの一部始終や、料理を作る女性にカメラを向けるシーンなど、一連の手作業にじっとカメラを向けます。今回も鮮魚店で魚をさばくプロの手順をじっくり観ることができますが、日本人にとって(日本人に限らずとも)原風景なのではないかと思います。今はすでにラッピングされた切り身魚が店頭に並ぶので、魚が口に入るまでの過程を観る機会は少なくなりました。
はい、あの一連の作業をじっくり描きたいと思いました。やっていることは、とてもシンプルです。さっきもお話しした一連の流れ(海で魚をとり、売りたい人と買いたい人がいて、それを買いたい人に届ける)が経済の原型として続いてきたサイクルなんだと思います。同時にそれがいま成り立たなくなっていることが、僕にとっては衝撃なんです。つまり、綿々と続いてきた人類の歴史が、いま変質しようとしている。ワイちゃんが魚をとって始まる流れが、いまや生業として成立しにくくなっている。だから後継者もいないし、廃業する人も多い。何百年もずっと成立してきたものが、なぜダメになってしまうのか。この循環みたいなものが、いま動かなくなっているんです。―― 『牡蠣工場』のとき、「これは『変化』についての映画だ」とおっしゃっていました。『港町』は「変化」というより「停止」のような、時間が止まっているような感じがします。だけどその停止の中に、人間にとって大切な「サイクル」があり、よく見ると「変化」が起きていることに気づきます、静かに着々と。
そう思います。お墓のシーンでもわかると思いますが、村君(ムラギミ)さんの家は13代続いてきている漁師の家系。おそらくあの丘のお墓の中の人は、ほとんどが漁師だったのではないかと思います。そういう歴史が、いま途絶えようとしている。そして死者も……。僕は死者というのはなんとなく永遠だと思っていたんですが、過疎化でお墓も移動しなくちゃいけなくなったりしますから。―― 最近読んだ本の受け売りですが、情報技術の指数関数的な成長で、2045年頃には社会や人間に大きな変化が起こるという説を唱えるレイ・カーツワイル*2というアメリカ人科学者がいます。未来はどうなるのかわかりませんが、ITが発達して便利になり、すべての人に機会が増えて、もっと世の中は平等になっていくのではないかと期待していたら、現実は、格差が広がるばかりです。だからこそ『港町』に描かれているような人間的なサイクルが消滅することの危機感をますます感じます。
牛窓にいるとき、高度経済成長の負の側面を毎日感じていました。牛窓は万葉からあるような古い町です。ところが戦後になって護岸工事が進み、海岸線はほとんどがコンクリートになり、埋め立て地も多いんです。これから人口が増え、スペースが足りなくなるだろうという予測のもとに、そうしたのだろうと思うんです。しかし実際は、人口が増えるどころか、流出して過疎化が進み、埋立地は更地のまま、自然の海岸は海水浴場くらいしか残されていない。だから魚の生息地も減ってしまう。おそらくそれは牛窓だけじゃなくて、日本全国で起きています。もちろん、高度経済成長には肯定的な面もあると思います。僕の母は貧しい家庭に育ったので、経済成長は貧困から抜け出すということでした。母はいまでも古いものより、新しくてピカピカしたものが好きです。病院は新しいから見に行こうと言うクミさんと同じですね。貧困から抜け出すために、近代化や経済成長がものすごいスピードで起きましたが、同時に多くのものを破壊してきました。それは自然だったり、共同体だったり、倫理観だったり。最近、高度経済成長は「あの頃はよかった」なんて懐かしがられたりしますが、それだけではないのではないか。もっと言うと、明治以降の近代化や、さらには産業革命以降の人類全体の歴史の、正の側面だけではなく、負の側面も見ないとまずいのではないかと思うんです。何か歴史と断絶している感じがあって、『港町』には断絶した亡霊のような過去とつながる感覚があります。―― 指数関数的な技術の加速に人間が追いつけない怖さはありますね。
本当に危険だと思います。このスピードの加速がなかったら、トランプ大統領だって生まれていなかったでしょう。だから今こそ「よく見る、よく聞く」ということが大切なのだと思います。それは「立ち止まる」ということです。観察映画の方法論や哲学は、僕にとっては日々の態度というか、この加速していく世界に対するアンチテーゼというか、解毒剤というか、そういうものだという感覚はあります。僕らはもっと立ち止まって、過去と繋がらなければならないと思います。過去に置いてきたものが多すぎる気がしますし、それを省みていない、供養していないと思うんです。いっぱい破壊し、殺してきたのに、その自覚がない。ささやかながら『港町』はひとつの供養になっているのではないかと思います。供養の方法はいろいろありますし、それを狙ったわけではないのですが、結果的にはそういう映画になっているのではないかという気がします。死者を弔うという行為は、人間にそもそも備わっている性質だと思うんです。それを綿々と続けてきたのが人類ではないかと。―― それがいつのまにか疎かになってしまった。
政治学者の中島岳志さんがおっしゃるように、死者に対する軽視というのは、歴史に対する軽視ということだと思います。様々な死者があったから「いま」があるのに、あたかも死者がなかったかのように振舞っているのがいまの私たちの傾向だと思うんです。だから過去との断絶が起こる。あるいは過去と断絶するからそうなっているのかもしれないし、過去の遺産というか、過去から積み上げられてきた時間というものに思いを馳せられなくなってきています。いままで長い間続いてきたものを、簡単に破壊しようとする。たとえば辺野古もそうです。そこにずっと暮らしてきた魚たちがいるし、サンゴ礁だって、人間が生活するよりも前からずっと生息してきた。そういうものをなんだかわからない理由で埋め立てようとする。僕は政治的なことを置いておいても、あの海を埋め立てるということ自体にすごく倫理的・心理的な抵抗があります。―― ところで『港町』に関する海外評が素晴らしく、とりわけバーバラ・ワーム(TAZ)さんは「親密で感情に訴える新しい次元に到達した」と書かれています。観察映画の新しい次元、私も実にそういう感じがしました。観察映画も変化、進化していて、しかも想田さんは『選挙』のときのように身を潜めて撮影していた”忍者”ではもうない。
そうですね。もう完全に忍者じゃないですね。―― それはもう、うしまど猫たちと同じくらい存在感がありました(笑)。
この記事は『REALTOKYO CINEMA』より転載したものです。
(2018年4月19日公開)