対談「中原浩大 × 関口敦仁」その1:『中原浩大 自己模倣』展(岡山県立美術館)

▶対談「中原浩大 × 関口敦仁」その2:京都にてはこちら

 
聞き手:高嶋雄一郎(岡山県立美術館学芸員)

1980年代に「関西ニューウェーブ」(*1)や「ジャパニーズネオポップ」(*2)の旗手として注目され、「天才」とさえ称された中原浩大は、90年前後から既成のアート界と一線を画してきた。だが昨年、伊丹市立美術館で開催されたドローイング展に続いて、この秋には岡山県立美術館で、公立美術館では初の大規模個展が実現した。伝説のアーティストは、なぜ沈黙を続けていたのか。後進に大きな影響を与えたレゴやフィギュアの作品はどのように発想されたのか。以下は、長年の親交があり、互いに信頼感を抱くアーティスト関口敦仁と、個展開催中に行った対談の採録である。

2013年10月12日(岡山県立美術館提供)


——おふたりは1980年代前半から、ことあるごとに一緒に展示をし、刺激を与えあってきました。この岡山県立美術館でも1995年に『アート・ラビリンス』(*3)というグルーブ展に参加されています。今回、中原さんに対談をお願いしたところ「ぜひ関口さんと」とのことで、この対談が実現しました。まずは関口さん、展示の感想を聞かせて下さい。

関口 いままで中原浩大のいろんな作品を観てきましたが、とても大きなボリューム感のあるものを、その時代の気になるものに食いついていきながら出している。それを感じつつ今回の展示を拝見しました。普通だったら「わからない」と観客が拒否する部分が、「何でこうなのか?」と考えさせてくれる。それにしても展示をサポートする側はすごく苦労しただろう、というのが感想です(笑)。
 大きなボリューム感が何をベースに動いてきているのかは、なかなか掴みづらいと思うんです。大きなものをイメージしているけれど、それを全部いっぺんに出そうとはしていない感じがするんですが、どうでしょう。
中原 直接関係があるかどうかわからないんですが、今回の展覧会のパンフレットに掲載しているエピソードがあります。子どものころに国語辞典なるものの存在を知ったとき、異様な尾籠(びろう)な言葉を、「うんこ」「しっこ」とかを調べませんでしたか(笑)。その流れで、漢和辞典を最初に手にしたときに、まず自分の名前の意味や語源を調べてみたくなって。僕の名前の上の文字は「さんずい」に「告げる」という「浩」という漢字ですが、それを調べると「水がたくさんあって大きい様子」という意味となっていて、だから「自分はでっかい水の塊だ」というふうに思ったわけなんです。それが記憶の中にずっとあるので。きっちり自分を規定しづらい、あれもこれもブヨブヨブヨっと抱え込んでいるものとして、いつも自分をイメージしている。だからいまお話しされた考え方や行動の仕方は、たぶん当たっているんですよ。

 
◇区切りの年となった1989年
関口 80年代の作品はそんなふうに形にはならないような、内側から見た外側の形のようなものをぽこっと出していたと思うけれど、その後から逆に中身を意識しながら表層を追っていくような部分がある。それは意識的にやっていたんですか。

中原 今回展示した白黒の、大理石にペイントしてある作品が89年のもの。あそこまでが大きく言えばひと区切り、ひとつの流れだった。あれは作ってすぐアントワープでの日本現代美術の野外彫刻展(*4)に持っていった作品ですが、その最中に気持ちの変化があって、一昨年に後楽園(*5)で展示をするまで、しばらく日の目を見ていなかったんです。89年に持っていって、90年に返ってきて、2011年までずっと倉庫に眠っていた。あの作品までとその後というのはやっぱり違う感じですね。

写真左:「ギフチョウ」1989年 大理石、石にウレタンペイント
撮影:永禮 賢(岡山県立美術館提供)


関口 タイトルは何で「ギフチョウ」なの?

中原 同じときに出品した「カタクリトギフチョウ」という彫刻作品があって、大理石の部分が「ギフチョウ」でブロンズの部分が「カタクリ」というようなイメージだった。もともとはカタクリの花にギフチョウがぶら下がって止まっている写真から来ているんですけど、もちろんイメージの質を言いかえた呼び方で、それをそのまま具体的に言っているのではないんです。それで、質の違いで言うとあいつは「ギフチョウ」の部分。だから「ギフチョウ」だと思ってるんですけど、ひょっとしたら「無題」だったかも(笑)。

関口 でも、もう一度作品に日の目を見させることをしない作家でもあったわけじゃない? 消えてしまってもいい、かのような。

中原 倉敷に倉庫を持っていて、今回並んでいるもののほとんどはこの倉庫から出てきてるんですが、「ギフチョウ」はそっちにあったんです。京都にも3人で共同で借りていた倉庫兼アトリエがあったんですが2010年に火災で全焼して、そこにあったものはほぼすべてが燃えてしまったんです。作品もそれ以外のものもありました。

京都・和知倉庫 2010年8月6日
撮影:中原浩大


関口 ほかの2人のも燃えちゃったんですか。

中原 そう。でも、2人は僕のこんな状態になっているものを救い出すことを優先してくれたんです。これは卒制の「光のミミズ」という大理石の作品ですね。

京都・和知倉庫 2010年8月9日 「光のミミズ?」大理石
撮影:中原浩大


関口 大理石もこんな風になっちゃうんだ……。

中原 大理石はだめですね。熱が入るともうぼろぼろ。ほかのものはほとんどだめで、数点だけこんな状態で救えたんです。改めて認識したのは、スケッチブックやメモが結構ここに置いてあったということ。残っていても炭化してしまっていて剥がれないような状態でした。最初は強烈に気持ちが動いたわけではないんですが、だんだん効いてくるんですね、こういうことは。

関口 これはシリコンの作品?

中原 石膏です。展示室に入ってすぐの場所に、今日やっと一部分だけ、保存の処理をしてもらってグリーンのプラケースに入った状態で置きました。ほかの部分はまだ吉備国際大学の文化財保存修復学科に作業をお願いしています。どうしたものかな、と思っているときに学芸員の高嶋さんとやりとりが始まって、大学を紹介してもらい、焼け焦げた大理石や石膏の処置やケアについての相談を始めました。初めの内は何が置いてあったのか、燃えてしまったものを正確には思い出せないんですが、「確かあれもあったはずだ」と自分の中でどんどん浮かんで来始めるんです。実は、倉敷の倉庫のほうも放ったらかしにしてて、あまり見に行ってなかった。それで、改めてその辺のことを掘り起こしてみなきゃと思い始めるんです。

関口さんが言われるように、やった後は消えていってもいい、という感じはどこかにあったんですよ。展示ケースの中にプラモデルがいっぱい積んであるのは当時のコレクションを買い直したものですが、あんな感じでほとんど何も組み立ててなくて、買っては箱のままダンボールに入れていって。「あればいいや」というか、中身がどうなってるかすら気になってなかった。


京都・和知倉庫 2010年8月9日 「コーダイの子孫のヌイグルミ」石膏
撮影:中原浩大


「プラモデルの展示」再制作 1992/2010-13年
撮影:永禮 賢(岡山県立美術館提供)


関口 まあ、みんなそういう性癖はあるね。僕も20箱くらい持ってるけど。

中原 持っていればいい、もっと言えば、どこかにあればいい。その時々に成立したことは繰り返してみても再生できるわけじゃないから、もうその瞬間だけでいい、というようなところがあったんですけど、このことがあってから少しずつ気持ちが変わってきて……。それで、できることからやってみようと。プラモデルなんかはもう1回同じものを集めてみようとオークションで片っ端から落としてみたりし始める。

 
◇再制作の難しさ
関口 そうすると、作家像としては変化したのかな。後ろを見ないでどんどん突っ走っていって、目の前のいちばん面白いことをやる中原浩大と、もう一度振り返っている中原浩大というふうに。でも、今回の展示を観ると振り返っている感じでもないかな。

中原 そう。自分で総括して整理してみるという意識ではない気がする。もうなくなった、どうしましょう、ということに対する理由のない反応っていうか。

関口 だから、今回のはいい意味で全然回顧展になってない(笑)。

中原 回顧展にしたかったのは美術館ということで(笑)。いや、大変ですよね、再制作って。その辺で当たり前に売ってたものが買えなくなってたりして。

関口 うん、たいへんだと思う。

中原 実際、焼けてなくなったものは今回ほとんど手が付けられてないんですよ。いろんなことを思い出したり、材料を集めたりというプロセスは進んでるけど、再制作というレベルまで追いついてなくて、展覧会には並んでないんです。会場にあるものは、劣化はしてるけど元のものはまだ残っていて、それを見ながらもう1回そのコピーを作るというパターンが何点かある。発泡スチロールで作った犬の形がラジコンの上に乗っている作品は、オリジナルはギャラリー16(*6)という京都の画廊が持っていてくれたんですが、実物を見るとやはり経年で結構劣化していて、じゃあもう1個作り直しますということになった。するといちばんびっくりしたのは、その辺のおもちゃ屋で買ったでっかいビー玉を目にして突っ込んでたんですけど、それがない。首輪も、いまどきあんな太くて黒くて鋲が入ったようなのは流行らないから、ネットでデッドストックのものを探し出してみたり、延々とやっていくわけです。もうひとつ、おそらく当時は、犬は発泡スチロールをがっと削って、1週間かけずに作ったと思うんですよ。もう1回作ってみようとすると、そんな作り方は絶対に真似できない。難しいですね、もう手も足も出ない。

左「ラジコン4」1989-1990年 / 右「ラジコン4のルネ」 2011年
ラジオコントロールカーキット、プロポ、発泡スチロールほか
撮影:永禮 賢(岡山県立美術館提供)


関口 年老いた作家が若いときのいい作品を復元する感じとは違う?

中原 いや……。でも、そうかな。

関口 それに近いの(笑)?

中原 真似できないですね。階段を降りたところにあるレゴの作品でも、レゴを輪っかにして作っていくとき、オリジナルは上がっていって下りていく数が合ってないの(笑)。たぶん大きいところから作り出して、後になって気がついてるんです。それを隠すために、さらに外にもう一重、作ってあったりする。

関口 その話、作った直後に聞いたことがあるな。

中原 それからもうひとつあって。たぶん、最初に東京のハイネケン(*7)で展示して、その後に国立国際美術館で再度展示したとき(*8)にそうしたんだと思うんですが、今回もう一度作るために図面を起こしてみたら接地面がバラバラなんですよ。挙げ句の果てに、いちばん端のところで7段分ほどガクっと下がってるんです。たぶん、まっすぐつなげられてなくて、ゆがみが出て、最後どうしようもなくて、つなげるためにわざとそういうずらしを作っている。そういういい加減な作りのためにごまかしがいっぱい入ってて。結局、上がって下りていく数だけは合わせたんだけど、正直な気分としてほかは直せなかった。あのデタラメさにはかなわない。実は、データを取ったりしないで、いまの感じでもう1回作り直そうかとも最初思ってたんですけど。

「無題(レゴワーム)」再制作 2013年
レゴブロック、エポキシ樹脂
撮影:永禮 賢(岡山県立美術館提供)


「無題(レゴワーム)」再制作にあたって作家がオリジナルより作成した3D図面


◇どれもこれも作品にしたいとは思わない
関口 このレゴワームと形の似てる何年か前のミミズがあるじゃない? 燃えちゃったやつ。あれはミミズとワームで元が同じなのかもしれないけど、関係性はあるの?

中原 まあ好みの形なんでしょう。

関口 にょろっとしたのが?

中原 うん。石で作ったものはお金とか様々な理由であのサイズに収まっているんですけど、そういう制限がなければ、レゴもそうだけど、違う収まり方になるのかもしれない。ただ、ミミズとレゴワームとで同じ比重で自分にとってそのことが重要だったかと言うと、レゴワームのときは、やっぱり「レゴを使う」ということが指し示しているもののほうが大きかったと思う。

関口 91年ごろになると、頭に道具をくっつけたものを作り始めるけど、それを着けると自分自身をどう感じるかというほうにシフトしたのかな。形の奇抜さに目は奪われるけど、着けてる人の状態や、椅子に座るとか、宇宙に浮くとかいう体験的感覚のほうが強かった?

中原 そうですね。ただ、眺められている感じもあるかもしれない。視線を感じる、人から見られる感じ。

関口 じゃあ他人がやるより、自分がやるほうが好きなわけ?

中原 自分の気持ちのほうですね。

関口 井上明彦(*9)さんと共同で作った箱の作品みたいな「入れ物」も好きでしょ。

中原 入れ物というよりは、触れてる、接している感じなんじゃないですか。

関口 触れてる、接してると言うと局部的でしょ。全体にまるごと入って、包まれてるほうが大事なのでは?

中原 囲まれてる感じはあまり想像してなくて、「ライナスの毛布」という言い方が言い得て妙だと思うんですが、そこに何かがあるということが強いですね。自分が何かに触れているという感覚によって、自分がそこに居るんだという感覚が確認できる。接してる対象や、接している面積やサイズは実はそんなに関係ない気がするんです。指先と指先であってもいいし、全身が拘束されているような状態でも、たぶんそんなに変わらない。

関口 大きくて重いけど部分的に接しているところで作品が成り立っているものが多いでしょ。それは決して構築物にはなり得ない接触であって、あたかも詩の断片のような感じ。それをブツでやってるようなところがある。

中原 だんだん客観性が失われていっているんですよ。故意にそうなっているところもあって……。客観的であろうとすることに対する嫌な感じっていうのも、ちょっとずつ増してるのがわかるんです。その気持ちにいろんな反応の仕方が添ってきてる。

関口 でも作品化を拒否してるわけじゃないでしょ?

中原 だけど、どれもこれも作品にしたいとはまったく思わないです。作品を作るということは、美術館もたいへんですけど、僕もたいへんなわけですよ(笑)。だから作品化が常に前提になるとは考えられない。今回も、理由が成立しない限り、たぶんやらなかったですね。仮に自分の家でひとりでやっていて、それで事足りるものなのであれば、それがいちばんストレートだと思うんですよ。そうではないという条件が加わると、いろんな制約が生じてくるし、労力的なことや金銭的なことも発生してくるじゃないですか。だから「それでも成立させなきゃ」という意思がないときはわざわざそういう選択はしないと思うんです。基本的には自分の家でぼうっとしてていいのであれば、ぼうっとしてたい。

「ヘッドギア1(バレーボール)」「ヘッドギア2(コンボイトラック)」
「ヘッドギア4(ブルヘッド)」※焼失
1991年 バレーボール、ヘルメット、プラモデル、革


京都市立芸術大学と宇宙開発事業団 NASDA(現 JAXA)との共同研究
「AAS 宇宙への芸術的アプローチ」 2001-2003年
上:「微小重力環境下のライナスの毛布の試作「箱型」」2003年
下:「微小重力環境下のライナスの毛布の試作「ブランケット型 Ver.Nakahara」」2003年


◇魅了されるのはその場のリアルさ
関口 静岡で紙をやったとき(*10)、プロセスを重ねることで何かの形にはなるけど作品にはならないだろうと思ってた。でも、あんなふうな痕跡が出てくると作品に見えてくるところがある。それから、家に遊びに行ったとき、タニシが移動する跡を一生懸命マジックで描いていたけど、あれもちゃんと作品として出てくる。生活の中で見えたものに関わる痕跡は、自然とそんなふうに残ってしまうんだなと思ったな。

1991年『第1回紙わざ大賞』プラザおおるり(静岡県島田市)
「シマダスーツ2」を着用して、ボンベ男(日比野克彦氏)とともに


「水槽」1995年(タニシが移動した跡)


中原 アトリエが燃えた出来事以降の作業として成立してなければ……、つまり、展示室にあるものは作品として置かれているというより、検証として持って来られてるんだ、と自分で自分を納得させてるところがあるんです。そうでなければタニシは自分の家でマーキングして終わればいいはずだし、静岡の島田で延々と刹那的に現れては消えていくものを繰り返して遊びまくるようなことも、その瞬間の中で消えていけばいい、それがいちばん純粋な形なんだろうとは思う。だけど関口さんが言われるように、倉庫を探ると、箱の中にいろんなものがいっぱい取ってありました。何なんですかね……。

関口 面白い作家は自然と生活の表裏がなくなって来て、それがさらされるようになってしまうから、ますますそうなるんだと思う。

中原 いやですよ、そんなの(笑)。何もなければ、そっとしておいてほしいなあ。

『景観』展(*11)の話をすると、僕はそのころ、夏になると河原にツバメを撮りに行っていた時期で、そんなときあのグループ展をやろうということになった。すると河原に行ったときの気持ちがまったく変わっちゃうんですよ。これを撮影して、そこからダイジェストして、それを並べてというようなことがイメージとして浮かぶじゃないですか。それが来た瞬間に、あれほど楽しかったことが「なんなんだ、この後ろめたい感じ」と(笑)。魅了され続けているのはその場のリアルさなんです。わけわかんないものを毎日毎日追っかけまわして、それでもわけわかんないリアルさ。そんな中からちゃんと写ってない日の写真は除外され、いい感じで写っているものが選ばれて、さらに展示のスペースがあるから枚数が規定され……というようなことをやらなくちゃいけなくて、やりたいこととかけ離れていることがひしひしとわかる。それはすごく苦痛でした。

関口 突き詰めていくと生物学者にならざるを得ないかもしれない。でも、やっぱり作家としての自分があるわけでしょ。

中原 うん。でも、そのときはありませんでしたけど(笑)。河原に行くと鳥類学者の先生が調査したりしてるんですよ。それで「何してるの?」「いやいや」みたいなことになって、専門的な知識をもらったりするんです。仮に自分がツバメの生態学の専門家になって……。ああ、でもやりたいかなあ。やっちゃうかもしれない。

「ツバメ」より「swl_ujr_040803_01 京都市伏見区向島宇治川河川敷」
撮影: 2004年8月3日 プリント:2005年


関口 生態学的なものに興味を持って集中してるんだろうけど、実際に肌でリアルに感じてるのは「状態」というものではないの?

中原 もちろん視覚的なものに惹かれてないわけではなくて、すごく「見たい気持ち」というのはあるんですよ。ただ、それが月に一度とかではなく連日繰り返されるという側面もあって、それは、そうさせる原動力としては「今日はこうだったけど明日はどうなんだろう」という気持ち。つい次の日も行ってしまう。夏の始まりから秋の終わりまでのワンシーズンだとどうなっているんだろうと。1日空くとその日はどうなっていたのかすごく不安になる。そんな感じで毎日行くわけです。その時期に関しては鳥類学の先生より僕のほうが河原にいた日数は多いと思う。日々の見れているものっていうのもあるんですけど、全体のでっかいリズム? それに後押しされてる感じというのもありますね。

今回、ビデオブースで運が良ければ(!!)見れるんですが、1コマずつの落描きをアニメーションにしているものがあって、1995〜6年に作るんですが、実は、河原でなぜかそのことを思い出していました。1枚ずつは、ランダムに描いていってるんですが、それをアニメーションとして1秒30コマで再生する。一見何のストーリーもないけど、それは出来上がったものが短いせいもあるんだけど、例えばそれをもっと延々とできたとすれば、リズムのような流れのようなものが生まれてくるのかもしれないという感じと、梅雨明けのころからその年の秋まで出かけてゆき、しばらくのインターバルの後に、また次の年にそれをやって……そういう時間の流れ方の中で思っている感じとは通じている気がする。続きをやりたいなあと思ったりしてました。後日、その「A-movie」と、色がばーっと変わっていく「B-movie」を再収録したDVD版を作ってます。

関口 いつごろのもの?

中原 DVD版を作ったのは2009〜2011年。そのDVDの表面に1枚ずつ落描きをしていったんですが、それも「C-movie」というアニメーションにしました。

「A-movie, B-movie / DVD Stack Edition」 2009-2011年 DVDにドローイング
(ギャラリーノマル提供)


◇「理解し合える」ことに期待は寄せない
関口 「果物グラフ」はどういう気分で作ったの。

中原 状況を言うと、最初に展示したギャラリーでは、一方の壁にドナルド・ジャッド(*12)のレリーフ状の作品「Untitled (Progression)」(*13)を設置してもらい、反対側の壁の前に「果物グラフ」を置いたんです。ジャッドのその作品にしてほしいというのは僕のリクエストで、その作品がなぜか生理的に好きだった。それに相対する場所に、自分の作ったものを置きたいと思って、そうなっちゃいました。そのジャッドの作品に対してぼくが対話的に何かをやろうとすると、これでした。

関口 なんでこんな腐るものを?

中原 そうですね、腐るんですが……。腐りゆくところを見せたかったわけではないので、会期中は何回も果物を新しいものに取り替えました。

関口 ジャッドは誰がいつどこで見ても同じ瞬間が成立するよう作品を作っていると思うけど、そうではなく「一瞬」を見せたかったということ?

「果物グラフ」『中原浩大 自己模倣』展での展示風景
2013年10月12日(岡山県立美術館提供)


中原 チェンジは、「朽ち果てていく過程ではない」と意思表示がしたかったからですが、別な言い方をすれば、会期があるから何度も取り替える必要があるんだけど、ひょっとしたら、その出来立ての状態というのか、その一瞬でもいいのかもしれない。欲しかった「その瞬間に出来上がったもの」は、その瞬間に出来上がったという言い方ができるかもしれない。責任感はないんですよ。関口さんは先日「絵画は一瞬にしてすべてを与えなければならない」という意味のことを言っていて、「あ、そっか」と思ってすごく気になったんです。でも、そういう責務が自分にはない気がする。「一瞬」や「より変化に富んだ時間」とともに存在しているというイメージは描けるんですが、それをパッと見て了解する、そこからすべての情報が発せられてるという考え方を自分はしないかなと思ったんです。一瞬で伝えるってどういう感じなんですか。

関口 僕はもともと絵画から始めてるからね。絵画制作ではどれほど一度に画面全体に同じ価値を生成させるかということに努力するわけで、突き詰めると一瞬の内にすべて情報を伝えることになる。でも、浩大にはそういうものは感じないし、そうであったほうがいいとも思わないけどね。

中原 関口さんは絵を描くことも違うメディアのこともありますが、同じですか。

関口 違うけど、インスタレーションや映像を使ったメディアインタラクションでも、それを引きずって出すときもある。それは本意ではない場合もある。

中原 メディアの特性と絡める必要はないかもしれないけど、自分には思い当たらないんです、そういう感じって。できる気がしない。もともとがあまり正確に情報を発せられる感じも自分の中にないから。もっと言えば、理解し合えると思ってないところがあって、あまりそういうところに期待を寄せないですね。

関口 作品によっては勝手に解釈してしまう人がいるわけでしょ。

中原 基本的に気にしないですよ。

関口 結構いろいろ言われたと思うんだけど。

中原 フィギュアとかレゴとか? そのあたりのときは、まあ、「お前ひとりで遊んでろよ」っていう感じが強かったですけど。それから、こういうものが持っているシンボライズされたものとか意味するものとか。実際のところ、まったくそれに反応して作ったわけではなかったんだけど。

30歳ごろに、月着陸船の形が思い出したくなって、久しぶりにプラモデル屋に行ってみた。でも、あるのはスペースシャトルばかりで、プラモデル屋をはしごするわけですよ。そうすると、店の中のショーケースに、安っぽいアクリルミラーの上にタイルの浴槽が作ってあって、そこでラムちゃん(*14)がシャワーを浴びている(笑)。気持ち悪いというか、青臭い、アホっぽい感じ。で、ものすごく気になるんです。「キモチワル、これ何?」と思ったら、それがロリコンフィギュアのガレージキットというもので、2次元のアニメのキャラクターを作るソフビのキットだと。でも、手が出ないんですよ。恥ずかしくて、買えないんです。で、別の日に、今度は仲間だとか学生に後ろを囲んでもらい、もう逃げられないという状況にしてもらって、エイッと。

関口 友達はどう見てたんでしょうね。

中原 いやあ……(笑)。一緒に「宇宙もの」を探しまわっていた連中ですけど、そういうことをやってるのが楽しいって感じでしょうか。夕方になって大学の仕事が終わるか否かでパっと行くわけですよ。「ここにもなかった」「ここであれが手に入る」、「じゃあ僕3つね」と発注して帰ったりして。でも、そのキットには本当に手が出ませんでした。ウルトラマンの怪獣を買うのはモラルとして許されるけど、スカートがぱっとめくれあがってるお人形は買えないんですよ(笑)。

「ナディア」 1991-1992年
ソフトビニール製フィギュアモデルキットに着彩、アクリル板
(個人蔵)
撮影:成田弘


◇欲望が伴わないと何もできない
関口 結局、いま自分がいちばん欲しいものや、こうしたいと思ってるところを出す。それをずっとやってるわけだよね。展示をあまりしてない時期があっても、その間もずっと裏でやってる。それをストレートに出せるのはすごいなと思う。

中原 逆に、それが伴ってないと何もできないと思うんです。

関口 そうしないと全然モチベーションが起きない?

中原 そう思いますね。やりっ放しがたくさん溜まっていくっていうのは、その通りですね。たぶん、気が付くと消えてなくなってるんじゃないですか(笑)。

関口 「この作品が面白いのにどうして続けないの」と言う人がいるでしょ。

中原 その逆もあるんです。「また変えたでしょ、そういうアレですか」って。

2013年10月12日 於:岡山県立美術館

 
なかはら・こうだい
1961年 岡山県生まれ。86年 京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。96-97年 文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに滞在。現在 京都市立芸術大学彫刻科教授、美術作家。

せきぐち・あつひと
1958年 東京生まれ。83年 東京芸術大学大学院美術研究科修了。IAMAS(情報科学芸術大学院大学)教授・学長を経て、現在同大学特任教授 及び 愛知県立芸術大学デザイン・工芸科教授、美術作家。

 
———
〈注〉

(*1)「関西ニューウェーブ」
1980年代に、京阪神で注目を浴びた若手アーティストたち。森村泰昌、椿昇、石原友明、松井智恵、杉山知子、コンプレッソ・プラスティコ(松蔭浩之+平野治朗)らが含まれる。一般には派手な色彩や大胆な造形が特徴とされるが、もちろん作風は多岐にわたる。

(*2)「ジャパニーズネオポップ」
「ネオポップ」は1980年代に興ったアートの動向。ポップアートに影響されたもので、ジェフ・クーンズが代表的作家とされる。日本では、楠見清が編集長だった『美術手帖』1992年3月号で「ポップ/ネオ・ポップ」という特集が組まれ、中原浩大、村上隆、ヤノベケンジの3作家による座談会が掲載された。同特集には「あらゆるオタクの価値観を美術のために組み立て、その巨大なコンストラクションを現代美術の思想と方法論で制御してみよう。それが私たちの〈消費の欲望についてのアート〉になる」という「提案」が記されている。

(*3)『アート・ラビリンス』
『アート・ラビリンス —90年代美術への視座—』。出展作家は、中原と関口のほか、河口洋一郎、コンプレッソ・プラスティコ、福田美蘭、藤本由紀夫、三上晴子、柳幸典、ヤノベケンジ。

(*4)アントワープでの日本現代美術の野外彫刻展
1989年にベルギーのアントワープで開催された『第20回ミデルハイム・ビエンナーレ 日本彫刻展ユーロパリアジャパン’89』展。中原のほか、李禹煥、三木富雄、関根伸夫、菅木志雄、小清水漸、彦坂尚嘉、戸谷成雄、遠藤利克、土屋公雄、青木野枝らが出展。

(*5)後楽園
2011年に開催された『岡山芸術回廊 プレ開催記念特別展 よりそうけしき-自然と芸術のあいだで-』展。中原のほか、須田悦弘や富井大裕らが出展。

(*6)ギャラリー16
京都にある現代アートギャラリー。1962年開廊。<http://www.art16.net>

(*7)ハイネケン
ハイネケンビレッジ。1980年代後半から90年代初頭にかけて、ビール会社のハイネケンが運営していたギャラリー。

(*8)国立国際美術館で再度展示したとき
1992年に開催された『彫刻の遠心力』展。

(*9)井上明彦(いのうえ・あきひこ)
1955年生まれのアーティスト/デザイナー。京都市立芸術大学教授。京都市立芸術大学が宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)と共同して行った「宇宙への芸術的アプローチ」などのプロジェクトで中原と協働した。

(*10)静岡で紙をやったとき
1991年に静岡県島田市で開催された『第1回紙わざ大賞』におけるアートプロジェクト。

(*11)『景観』展
2005年に、仙台市のせんだいメディアテークで開催された『景観 –もとの島』展。関口敦仁、中原浩大、高嶺格によるグループ企画展示。

(*12)ドナルド・ジャッド
1928年、アメリカ合衆国生まれのアーティスト。「スペシフィックオブジェクト」と自ら呼ぶ箱形の立体物で知られ、ミニマルアートの代表的な作家とされる。1994年没。

(*13)「Untitled (Progression)」
ジャッドが1960年代に作り始めた立体物のシリーズ。長く横に伸びた棒状の柱やチューブに複数の箱が取り付けられたもので、それぞれの箱の大きさや間隔は、1,2,4,8,16…と倍々に増えてゆく数や、1-1/2 + 1/3-1/4 + 1/5-1/6…と変化する一連の逆数、あるいは、1,1,2,3,5,8…というように隣り合う2つの数の和が次の数と等しくなるフィボナッチ数列に準じている。

(*14)ラムちゃん
高橋留美子の漫画『うる星やつら』の主役キャラクター(ヒロイン)。

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特集:中原浩大(関連記事)

▶対談「中原浩大×関口敦仁」その1:『中原浩大 自己模倣』展(岡山県立美術館)(2013年10月12日)

▶対談「中原浩大×関口敦仁」その2:京都にて(2013年11月3日)

▶藤幡正樹 レビュー:「『中原浩大 自己模倣』展」(2013年10月29日)

▶小崎哲哉 ブログ:「『中原浩大 自己模倣』展」(2013年10月21日)

▶浅田彰 ブログ:「中原浩大・村上隆・ヤノベケンジ」(2012年09月22日)

 

(2013年12月7日公開)