岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ

 


福永信

1週間を切った。

岡﨑乾二郎の大規模個展が終わる。1979年の初期作品から、2019年の最新作まで、40年に及ぶ活動が網羅された画期的な展覧会である。もう二度とない。大部な図録が刊行前から話題だが、展示構成の素晴らしさは本の中ではわからない。本は残るが、「展示」は残らない。

展示室に入ってすぐの様子。右手に「あかさかみつけ」シリーズ。
左手のセラミック作品は「サクモクのくさきに クワヒとうつくしみ、かうむらしむ」(2000)。
その隣からはドローイングが続く。可動展示室の絵画作品も見える。

(画像提供:豊田市美術館)


岡﨑の絵のタイトルは長い。我々観客はそのことに驚く。絵にも驚いているはずだが、何行にもわたる文章があり、それがタイトルだと言われたら、奇妙なそちらに目が向くのが、我々の弱いところである。長短はあるものの250字くらいは珍しくない。今、この文章がすでにそれくらいの字数なのであるが、小説や映画、音楽のタイトルとしてもこれほど長いのはまずないだろう。作者の絵は、しかも、2枚組だったりする。

可動展示壁内の様子。奥の小さな絵画シリーズは、「水天髣髴/シロクマの素潜り」、
「乳母日傘/眼が焦げるほど太陽を見つめる」、「渭樹江雲/土のはやさ、水のさとり、星のまばたき」、
「蓮華宝土/照らしあたため、分かたれずに分かたれ」、「四荒八極/漁師の瞑想、農夫の沈思」、
「梅林止渇/こうして森はながらえる」(全て2015年作)。
壁の向こうの「あかさかみつけ」や、この写真の後ろ側の「おかちまち」と並走しているように見える。

(画像提供:豊田市美術館)


彼の絵画のタイトルには、自然がよく出てくる。1階の最初の展示室で、我々が見ることになる絵の、長いタイトルの冒頭だけ列挙すると、



「野は緑、小鳥が歌い、露が輝き、煙がたち昇り、
「さざなみが大海原に生じ、葉が木に生えるように、ぼくらは
「あなたはこの水を乾かし、あるいは飲み干すだろう。けれど決して水は滅びない。水は姿を変え移動しただけである。水は乾くことなく、
「石がとどく距離なら、
「遠く投げた石によって、
「静かな場所だった。聴こえているのは存在しない音楽。賑やかなのはわたしの耳のせい。波止場のざわめきは遠く、
「小さな鳥は北のほうから海上をかなり低く飛んできた。舟のへさきに止まった彼女は
「青い胡桃、酸っぱい花梨、
「クルは道に迷ってしまった。どちらを向いても荒っぽい岩山ばかり。ひもじくて水が飲みたくて
「あなたがたの考え(善悪)は紙に書かれる。この紙きれを火にくべよう。紙が燃えたらその考えこそ
「天使は翼があるから鳥という。顔かたちは
「野には(この世界では見えぬ)育ちも摘まれもしない無数の種子が眠る。言葉は種子である。あなたの見る水は、
「死者はきっと到着できますか(天の光は出口の合図)?肉体もなく翼も必要ない魂だって、こんなに上まで飛びつづけられないわ。かつて川の畔に一本の高い木があり
「光にとって空気は透明ではない(侵入の妨げ)。だから空には星!つまり窓が開き、夕方には
「空の国も(地上と似て)樹木と花々に満ち、動物も鳥も(もちろんアヒルも兎も)いて、



と、自然に関することから書き始められている。家の中、建物の中ではない。人間関係や感情でもない。最初に出てくるのは空中に投げ出されるもの、鳥とか石、クルミなどである。軽いもの、放り投げたら向こうへ飛んでいくようなもの、水や光、空と関係の深いものが多い印象だ。

同じく可動展示室内の様子。左右に絵画から分離されたキャプションが見える。
2018年作の奥の3点には「The Unavowable Community またくる別の朝(朝になれば私はいない)。」、
「The Unavowable Community 私は私が考えた(作った)ものではありません。」、
「The Unavowable Community 夜には終わりがない(夜は常にいまここにある)。」というタイトルが付けられている。

Photo: Hiroshi Tanigawa(画像提供:豊田市美術館)


登場人物も出てくる。「ぼくら」であり、「わたし」であり、「少年」である。もっと出てくる。必ずしも人間だけではない。「植物たち」が、「鳥」が、「ライオン」が登場する。「わたし」も「鳥」も「ライオン」も、絵の中にちっとも描かれない。それとわかるような形を見つけることもできない。「わたし」や「鳥」や「ライオン」達は、タイトルの中だけ、言葉の中でだけ、生きていくことができる存在である。絵の中で、言葉は生きられない。

奇妙なことに、作者の絵のタイトルが長いことで、それを読んでいる時間すっかり我々は、絵のことを忘れている。我々が「読者」でいる時間を引き延ばすために、こんなに長く、作者は言葉を綴り、タイトルに仕立てたのかもしれない。作者のタイトルは、すらすら読めない。冒頭こそ読みやすいが(冒険小説の始まりのようにワクワクするほどだが)、途中で、「なんだこりゃ」となる。意味が通らない。タイトルを読んでいるとノイズのような言葉にぶつかり、言葉につまずくたび、我々は読むのをやめる。絵は我々が「読むのをやめる」のを待っているかのようである。作者は、展示に際して、絵と言葉(タイトル)をできるだけ離す。我々の手には、会場入り口でもらえるハンドアウトの小冊子があるが、展示マップや各作品のタイトル、制作年、素材などが記されたこのハンドアウトは当然のことながら、絵から完全に離れた、全く別の次元のものである。絵の展示してある壁にもタイトルは表示されるが、床すれすれにそのキャプションは貼られている。もしくは同じ平面上ですらなく、90度曲がった向こう側に掲示される。

これは3階の展示室だが、やはりタイトルは絵から切り離されている。絵を展示している壁の端、その足元にキャプションが貼られたりする場合もある。絵と言葉(タイトル)を一緒に見ることができない工夫。


絵と言葉(タイトル)の関係は、一般的に、昔から強い。言葉から絵を切り離そうとして、「無題」と、そう記しても、むしろ、かえってそのために、強烈に言葉を意識している絵である、と見なされてしまう。何を書いても、どんな言葉を選んでも、タイトルが絵を支配し、絵はタイトルの内容そのものと化す(例えば「刻」と題したとたんその絵は時間が主題ということから逃れられない)。岡﨑はそのどちらの選択も取らない(「無題」も、「刻」も、選択しない)。彼は、とんでもなく長いタイトルを用意することで、いったん我々を「読者」にする。小冊子か、遠く隔たった視野の外か、とにかく絵から離れている場所で、我々は長い、長い、長いタイトルの「読者」になる。さっきも言ったが、我々は岡﨑のタイトルの中で必ずつまずく。ちゃんと読めず、「読者」であることから途中で降りる。「読者」をやめたら、絵と向き合うしかない。我々が絵と再び向き合うとき、タイトルは記憶の中で、部分的な切れ端となって残っている。クルミはないのに、「クルミ」が見え、「鳥」を見つけられないまま、鳥の軌跡をその絵の中に見てしまうだろう。絵具だけしか目の間には広がってないのに、自然が、どこかが絶えず動いている自然の風景が、見え始めるのである。「見える」というのが言い過ぎなら、「感じ取ることができる」でもいい。自然とはどこかが必ず「動いている」場所のことであるが(雲が動き、鳥が飛び、少年が石を投げ、クルミを木から落とし、種が芽を出し……)、岡﨑の長い、長い、長い、長い、長いタイトルが自然を書くところから始まるのは、そんな「動いている」を絵の中に呼び込むためかもしれない。2枚組の絵が、互いに関連しながら、我々の目線の動きを誘発するのも、自然の風景に、関係があるのだろう(我々は何もない空にUFOだって見つけてしまう)。

 

「あかさかみつけ」は、読者になる時間を与えない。東京の地名/駅名を思わせるが、駅名を見るのと同じ目線で、このタイトルを見ている。もちろん現実の赤坂見附と、「あかさかみつけ」が一致することはない。両者は無関係だと言っていいと思う。「おかちまち」「そとかんだ」なども同じだ。現実にある言葉であるがタイトルしては意味不明であると言っていい。最初から「読者」がつまずくように仕掛けられているタイトルなのである(と同時に、愛嬌がある)。人の頭くらいの大きさで、人の頭部くらいの位置に展示されるが、こんなサンバイザーがもしあったら面白いかもしれない。壁にペタリと展示されているのがミソである(絵と同じく裏側、「向こう側」がなく、彫刻のように壁を「台座」にしている)。作者はこれらのレリーフ作品の制作心得のようなものを当時(20代の時)書いている。



制作のための12の注意事項

一  あたかも虫が飛んできて、そのままそこに止まったかのような心の動き。
二  作業にはけっしてしばられない。
三  近づくと、視野が拡がる。
四  はじめからそこに在ったかのような、もしくは瞬間的に出来上がったような。
五  色、それから光はそこに残る。
六  壁に静止している虫は重さを壁に委ねていない。
七  小さくて小さくて大きい大きくて大きい小さい、そんな。
八  そこがどこから始まるのか、わからない。
九  測られることを拒む。
十  こわそうと思えばこわせる、あるいは保存しようと思えば保存できる。
十一 見ると見つけられてしまう。
十二 見るたびに忘れてしまう。

(『岡﨑乾二郎 Kenjiro OKAZAKI 1979-2014』[BankART1929])



「見ると見つけられてしまう」「見るたびに忘れてしまう」というくだりなど、作者の後年の絵をすでに思わせる言葉である。この1階のフロアでは、可動展示壁の内外、とりわけ4つのブースの内側に絵が並べられ、ドローイングなどはその外側に飾られた。レリーフ作品を見る私と、絵を見る私は、同じ1人の私だが、同時に存在できない。振り返ればそこに「おかちまち」はあるのだが、その時、絵は背後にある。レリーフを見ているとき、絵は、私の後ろにあって、同時に見られない。見られたとしても視野の端にちらりとくらい、巧妙に分けられ、分離、再構成された展示になっているのである。レリーフを見た私と、絵を見た私、それぞれの色彩を見た私、何人もの私が、この場に増殖するような感じがする。それは、日常生活で「思い出す」ときに感じていることに、似ているかもしれない(昨日の私、夜の私、昼の私、朝、起きたときの私というような)。この会場が、レリーフ自体はそんなに大きいものではないのに、実際の物量以上に、色であふれているような、カラフルな、明るい印象が広がるのは、その増殖の効果のためだろう。

共に同じタイトルの巨大な彫刻はどちらも1点で支えられている。
白い方の「1853」が新作の2019年、奥の「1853」が2002年作。
壁には木製の「でんえんちょうふほんまち」シリーズが並ぶ(1998−2018)。
セラミック作品「サイチョウのくさぶらのよきは カイキヤウのからし、はじかみ」(2000)、
「ヨウシのかほばせは ジヤクシとものおもへるがごとくし」(2000)もチラリと見える。

Photo: Shu Nakagawa(画像提供:豊田市美術館)


一転、2階のフロアでは、全てが脱色される。巨大な構築物が出現し、レリーフも巨大化、1階に1点だけあったセラミック作品がドン、ドン、ドンと増殖する。そう、ここは彫刻の部屋であり、色はいったん全て、忘れられる(素材の色ということに置き換えられている)。巨大な構築物の鉄板のような台座が、我々の中の、色に反応していたのとは異なる部分を刺激する。巨大レリーフが壁という名の「台座」の存在を強調し、色とは別の視点を提供する。セラミックなどの彫刻群もまた、ある高さの台座の上にはめ込まれている。「台座」には色彩の場所は用意されてない(「あかさかみつけ」や「おかちまち」の、台座としての壁がそうであったように)。

上から色彩タイル作品「Martian canals/streets」(2019)と
1990-1991年作の鋼と木による彫刻、
ミニ絵本や缶詰彫刻などが並ぶ資料展示、
2014年のポンチ絵、粘土による「エンディミオン」(2003)。


次の3階は、いったん忘れた色彩を、思い出すためのフロアだ。初期の「かたがみのかたち」などの淡い寄せ裂れ、模様を伴う色の構成は、1階にも、2階にも、どこにもなかった。それがこの3階で加わった。色彩タイル壁画の新作(昨年秋にHareza池袋で発表されたばかりの「ミルチス・マヂョル」に基づく)の色も、1階にも2階にもなかった。それがこの3階で加わった。脱力系の「ポンチ絵」や、装丁、絵本、ファン垂涎の各種グッズなども、1階や2階では見られなかった世界だ。それが、この3階で加わった。1階の床にあったタイルは、一部、壁面に飾られたりした。2階にあったセラミック作品や石膏作品のような形にも見える粘土彫刻「エンディミオン」は、作者には珍しいセクシャルなイメージであり、もちろん1階にも2階にもない。このような、ノイズをはらんだ様々な、こう言ってよければ雑多な、ごちゃごちゃした、形、色、素材が、この3階で、我々の背後に回り、背中を押す。まるで1階、2階、そして今この3階を見てきた自分自身の視線の束に、後ろから押されるように、同じ3階の奥に用意された、最後の絵の部屋に、おかゆのように、強烈に、我々は押し流される。

左:「ずいぶんと小柄だし、それに平べったい」しかしながら、その先には辿りつけない。
鴨が水から(また蜜蜂の巣から)離れられない場合には何を見ているのか?
答えは、熱帯にいながら樫の木を想像するのと似て、信仰の支えというべきもので管理されています。
こうした不確実な寛容さによって、日々の疑いと絶望からわたしたちも守られている、そう彼は言うのである。
右:「なんてすべすべしているの」って、はしゃいでいる場合かしら。
手に持っているバランス棒を固定されてごらんなさい(たとえ軽業師だって)落ちてしまうのに。
極端なものから逃れるのに必要なのは、まず不機嫌さ。獲物を狙う鷹の優柔不断もまた同様。二重の作用とでもいうのかしら。
生きていくうえで頼りになるのはこんな正確なる変数だけよ、彼女はそう諭しました。(2004)


美術館で人の意識は普通途切れない。眠らないから。歩いている、移動しているからだが、長編小説を読むとき、人は眠りを挟む。いったん意識を失う。昨日読んだところを思い出し、読み直しながら読むのが長編小説である。美術館では、それは不可能である。いくら長い岡﨑のタイトルでも、眠りを挟むことはできない。しかし、まるで眠りを挟んだかのような、意識がいったん途切れ、目覚めた直後のような感覚が、今回の岡﨑乾二郎の展覧会にはある。1階で見ていた絵のおぼろげになった記憶が、今、ここで、この3階の奥で見ている絵画群に、混ざりだす。各階にまだ自分がいて、今もなお、そこにいるかのようなそんな錯覚すら浮かんでくる。若かった岡﨑が5番目の注意書きとして記していた、「色、それから光はそこに残る」が頭をよぎる。

 

『岡崎乾二郎 視覚のカイソウ』展の開催までには、前段階として、同じ美術館で岡﨑による監修、キュレーションの展覧会『岡﨑乾二郎の認識 抽象の力』というのが2017年にあった。美術館のコレクションをベースに、幼児教育の存在に注目し、同時代性を読み取り、抽象芸術史の過去を組み替える試みだった。展覧会は、大部な著作となって岡﨑の2冊目の単著に化けた。作者のしゃかりきな思考力は、無色透明ではない。色や形、光に満ちている。展示場に入った瞬間、テンションが上がるような楽しさがこの展覧会にあるのは、色、光に満ちている証拠だが、岡﨑自身の発する明るさがもとになっているのは間違いない。本展が画期的なのは、世界的に見ても歴史的に見ても極めてユニークな作家の展覧会であるという、そのことだけではなく、岡﨑の個展とセットで、もともとオファーされていたということである。監修と創作の2点セット、その両方を1人の作家によって見せる、こんなことを思いつく美術館というのが面白い。美術館の学芸員とか職員は、我々からはその顔がはっきり見えないが、こんな面白いアイデアを思いつくやつが「いる」と思わせて、やはりここにも、人柄ではなく、「ああ、いるんだな」と、我々観客は、ホッとできる。さて自分も遠慮なくがんばるか、と勇気を得ることができる。

 

この展覧会では、(『抽象の力』展とはちがって)解説は、極力抑えてある。年譜もない。最近の展覧会でよく見かける「作者の名言」もない。人柄はわからない。しかし、作者の描いた絵や、レリーフ、彫刻、タイル、作者の書いたタイトルを、この展示構成で経験するうちに、エピソードなどでは語れない、そんなのとは別の、ほんとの人柄としか言いようのないもの、ご本人がそこにいるような感覚、作者の存在、そのものが、感じられる。書ききれなかったが、展示の最後の最後に置かれた謎の彫刻や、1階に部分的に作られたデビュー個展の再現展示、ところどころに句読点のようなアクセントを付ける極小絵画群、最初の単著『ルネサンス 経験の条件』の最大の発見であるブランカッチ礼拝堂の複数の壁画の連携ぶりをVRで分析する、本気の追体験コーナーなど、1人で見ても、まるで対話しながら見ているような、そんなにぎやかな、楽しさが、この展示構成全体を貫いている。巨匠の回顧展を見るとき、しばしば、作家が自分だけ立派であることを誇示する(逆に言えば学芸員、企画サイドが自分らを卑下しすぎている)のがハナにツクときがあるが、それは、見ている自分がマヌケなような、疎外された寂しい気持ちになるからである。岡﨑の展示はそうじゃない。むしろ、一緒に考えないか、絶対面白いから、と誘ってくるような人懐っこさがある。寿命の尽きるまでの数十年、遠慮なく面白いアイデアを考えて、300年後の人間を驚かせちゃおうという気持ちに満ちている。こんな経験は二度とない。

  

ふくなが・しん
1972年、東京生まれ。小説集に『星座から見た地球』(2010)、『一一一一一』(2011)、『実在の娘達』(2018)など。編著として、子供のための現代美術のアンソロジー『こんにちは美術』(2012)、短編小説とビジュアル表現のアンソロジー『小説の家』(2016)がある。最新作は執筆・構成を担当した図録『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』(2019)。

(2020年2月18日公開)



『岡崎乾二郎 視覚のカイソウ』
2019年11月23日〜2020年2月24日、豊田市美術館
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/okazaki/