ひと気ない夜の東京郊外。赤信号に停車する白い軽自動車。その車体には「武蔵野アニメーション」の文字。そこへ近づくもう一台の車。車体には「G.I.STAFF」。二台は互いにエンジンを吹かし、信号が青に変わると同時に勢いよく走り出す。起伏のある道を飛ぶように走行し、ドリフトしながらカーブを曲がる、激しいカーチェイスをくり広げてのタイトルバック――。
と、これは『SHIROBAKO』TVシリーズ第1話序盤のシーケンスである。4年後を描く劇場版の本編冒頭も、武蔵野アニメーション(以下、ムサニ)の車が同じ道で信号待ちをしているシーンからはじまる。そこへやって来るもう一台の車。信号が青に変わり激しいカーチェイス――とはならず、ムサニの車はアコースティックな劇伴をバックに法定速度を守って走行する。同じタイトルバックのシーケンスだが展開は異なる。我々はまずそこに、4年という月日の変化を見る。到着したムサニの社屋は、蔦が蔓延りどこか寂れて見える。
薄暗い事務室で、イスをベッドにしてうずくまるように眠っている宮森あおい(cv木村珠莉)。後輩社員に起こされた彼女は、その日放送される自分の担当回のオンエアを見るため別室へ向かう。真っ暗な廊下に浮かび上がる、かすかに光の漏れるドアが不穏な空気を演出する。――なにやらようすがおかしい。そう思うのも束の間、部屋にはおなじみのムサニメンバーが集まり、迫るオンエアを心待ちにしている。だれひとり欠けることなく、我々もスクリーンを隔てて再会を果たす。この安心感を演出するためにあえて不穏な画づくりをしていたのだ。――しかし次の瞬間、それは宮森の幻想であったことが明かされる。広い部屋に集まっているのはほんの4、5人。オンエアがはじまった、TVシリーズ後半でムサニが制作した『第三飛行少女隊』の二期も、元請け会社が変わり安っぽいお色気アニメに成り果てている。変わり果てたムサニの現状が、我々の目の前に突きつけられる。タイトルバック時に流れていた挿入歌『仕方ないのでやれやれ』で歌われていた「みんないなくなりました」とはこのことを指していたのだ。
2014年10月から2015年3月まで2クールに渡って放送されたアニメ『SHIROBAKO』は、アニメーション制作の物語だ。主人公は新入社員の制作進行・宮森あおいと、彼女と同じ高校でアニメーション同好会だった安原絵麻(cv佳村はるか)、坂木しずか(cv千菅春香)、藤堂美沙(cv髙野麻美)、今井みどり(cv大和田仁美)の5人である。「いつか一緒にアニメーションをつくる」という夢を追う彼女たちを中心に、制作に関わる様々な役割・ポジションを担う人物たちの、制作上の苦難を乗り越える姿が描かれてきた。
だからこそ、当時からのファンは期待する。4年間の空白と成長を受け取ろうと身構える。しかし蓋を開けてみればかつてのムサニの姿はどこにもない。彼女らが「タイマス事変」と呼ぶ、ムサニオリジナルアニメ『タイムヒポポタマス』の制作中止という過去がきっかけで、多くの社員が離れていったらしい。本作は観客の期待を大きく裏切るかたちでスタートを切る。
序盤、カメラは宮森以外の現在にフォーカスする。絵麻は後輩アニメーターとルームシェアをしながらフリーランスで活動し、作画監督をばりばりこなしている。美沙は移籍した3DCGの会社で後輩の指導を任され、みどりはTVシリーズのシナリオを手がける「新進気鋭の若手脚本家」と注目されているらしい。しずかも声優タレントとしてリポーターの仕事をもらえるようになっており、それぞれが順調に夢へと近づいているようだ。けれども本人たちはどこか、順調とは言い切れないなにかを抱えているようでもある。多くの仲間が去って行くなか、残るという決断をしたのであろう宮森もまた、26歳にしてプロデューサーに昇進している。だがそれもタイマス事変で当時の社長が退いたことにより役職がスライドした、かたちだけの出世という意味合いが強いようだ。夢に近づきつつも停滞しているようなムードが、彼女たち含め作品全体にはある。5人の飲み会のシーンにて挿入される赤信号のカットがわかりやすく停滞を表している。
本作は上映時間が119分で、TVシリーズ全24話と比べれば格段に尺が短いわけだが、作品の面白さで言えば負けていないと言い切れる。理由は一貫して見られる多種多様なアプローチだ。序盤の山場とも言える、ムサニオリジナル劇場アニメ『空中強襲揚陸艦 SIVA』の制作へ動きだす直前のシーケンス。宮森が帰宅途中の夜道で唐突に歌い出し突入するミュージカルシーンだ。そこにロロとミムジー(『SHIROBAKO』のマスコット的存在であり、宮森が所持しているぬいぐるみ)が続くと、TVシリーズにてムサニが制作した『えくそだすっ!』や『第三飛行少女隊』、宮森がアニメを好きになったきっかけでもある『山はりねずみアンデスチャッキー』などのキャラクターも総出で「アニメーションをつくりましょう」と歌う。この挿入歌のタイトルもそのまま『アニメーションをつくりましょう』。アンデス山脈からライブ会場、戦闘機で駆ける空中、雪降る街角、大草原と目まぐるしく場所を移り、キャラクターたちが歌って踊る一連の流れにはアニメーションをつくることの悦びが映像として昇華されている。
このミュージカルシーンをはじめ、本作は虚構の混ぜ方がうまい。『SIVA』の制作が軌道に乗ってきたころ、当初の元請け会社げ~ぺ~う~から横槍が入る展開において、宮森は前任のプロデューサーから任を引き継いだ宮井楓(cv佐倉綾音)とともにげ~ぺ~う~に殴り込む。着物に身を包んだふたりは雪降る橋の上で落ち合い、そのまま敵陣へ赴く。立ちはだかるのは侍や忍者(として表されるげ~ぺ~う~職員)。タップ(作画用紙がずれないように留める器具)を手に戦う殺陣、カット袋(カット単位でレイアウトや原画、動画、タイムシートなどの素材を入れる袋)の手裏剣が飛び交うなか抜け落ちる畳の上を駆けていく派手なアクションが爽快だ。社長室では腰を据えて対峙し、強気な口上で契約書の穴を突いてげ~ぺ~う~の社長を陥落させる。宮森が遠山の金さんばりに見得を切り、腕に描かれた『SIVA』の主人公ヘドウィッグの入れ墨(イラスト)を露わにするキメのシーンなど、本作における「敵」との決着をコントチックに見せているのが面白い。またクライマックスで描かれる『SIVA』内での主観アクションは、同監督の『ガールズ&パンツァー』における戦車どうしのアクションを連想させる。物語の重要な局面でバリエーション豊かに虚構を織り込むことにより、画としての派手さと盛り上がりを獲得している。
TVシリーズに比べて尺が短いとは言え、劇場作品としての119分はなかなか長い。しかしその点も工夫されている。例えば前述の、げ~ぺ~う~との決着を果たすシーケンスにて、ラストカットが夜空へパンアップすると、フェードアウトののち黒バックにエンドロールが流れだす。まさかここで終わりなのか、と思うのは一瞬で、『SIVA』のダビング(劇伴や音声を映像に合わせる作業)を終えた場面に移っていることがすぐにわかる。こういった繋ぎ方は本作の特徴だ。その場面を象徴するもの(焼き肉屋なら七輪、ボーリング場ならボーリングのピン、展覧会の会場なら看板など)のクロースアップした画を先に出し、あとから状況がわかる引きの画に切り替える。会話の流れを前のシーケンスからそのまま引き継いでいたり、会話途中で次のシーケンスのインサートがあったりすることも多い。情報提示が緻密で無駄がない。要は場面転換ののり付けがうまいのだ。よってストーリーテリングがなめらかになり、ダレ場を感じさせないことに繋がっている。
TVシリーズ版の『SHIROBAKO』は、P.A.WORKSが2011年に制作した『花咲くいろは』に続く「働く女の子シリーズ」の第2弾、つまり「お仕事もの」だ。たしかに制作会社という組織が舞台であること、主人公が社会人一年目の新人であること、人物間や原作者との軋轢などといった、アニメーション制作にかぎらず一般企業にも通用するトピックが取り上げられていたため、「お仕事もの」の印象は強い。けれども、この作品の本来の到達目標は「いつか一緒にアニメーションをつくる」という宮森たち5人の夢の成就である。「仕事」というテーマが押し出されつつも、「夢」というテーマが裏を支えている。
しかし今回の劇場版は「お仕事もの」の印象が薄く感じられた。そこにはムサニという組織が壊れた状態からはじまることが関係している。なにもないところからかつての仲間を集め、アニメーション制作を通してムサニを再構築していく過程には、アニメをつくることの純粋な衝動が表れていた。この「純粋」とは、彼ら彼女らがアニメを仕事にする以前に抱いていたはずの夢やあこがれである。それを『SHIROBAKO』で描くには、作中で一度夢と仕事を引き剥がす必要があった。もうアニメをつくれないかもしれないという危機感や焦りが、つくることの悦びと尊さを浮かび上がらせる。TVシリーズ第23話において、『第三飛行少女隊』の原作者と対峙した監督は、作品を「死と再生の物語」と形容した。本作もまさに「死と再生の物語」と言えるだろう。倒産寸前にまで追い込まれた社会的な「死」から、『SIVA』完成という「再生」へ――。すでに実った果実を収穫するのではなく、荒れた大地に苗を植え、木に育てるまでが今回の劇場版の物語である。そしてものづくりとは大概がそういうものだ。苗を植えたところで必ず育つとはかぎらない。育ったとしても第三者に切り倒される可能性だってある。本作ではそういった、つくり手としての立場の剥奪や第三者からの搾取なども描かれている。
終盤、公開された『SIVA』を見に、宮森たち5人は映画館を訪れる。そしてそれぞれひとつずつドーナツを持ち、「どんどんドーナツどーんと行こう!」と声を合わせる。それは彼女たちの高校時代からの合言葉だ。カメラは宮森の掲げるドーナツの穴を抜けスクリーンへズーム、劇中劇『SIVA』のクライマックスシーンへと切り替わる。純粋な衝動を抱いていた青春時代の象徴、その向こうには5人が関わり完成に至ったアニメーション作品がある。そのカットに表れている彼女たちの成長がすべてだと思う。
エピローグ、ミムジーは問う。「とどいたかな、私たちの伝えたいこと」。ロロは言う。「わかんないけど、こめられるかぎりはこめた」。それらは無事公開に至った『SIVA』についての言及だが、同時にこの作品自体へのことばとも取れる。木にまで育った苗が実をつけたのかどうか。その実が収穫されるまでが、作品が観客にとどくまでがものづくりだ。ならば我々の役目は、作品をきちんと受け取ることだろう。
スクリーンを超えて投げかけられたその問いに、この記事を以て私の答えとしたい。
(2020年3月7日公開)