次回は「ミュージック・トゥデイ・オン・フルクサス 蓮沼執太vs塩見允枝子」について、とわざわざ宣言しておきながら書けずにいる間に、
.fataleに記事を掲載頂きました。ICCの畠中実さんが、コンサートのレポートだけでなく「フルクサスを知る9つのキーワード」も書いて下さっています。写真&映像も盛りだくさんですので、是非そちら
「Music Today on Fluxus 蓮沼執太 vs 塩見允枝子「特別な一夜を体験するよろこび」」をご覧ください。ここではその企画意図について書いておきたいと思います。
リハーサルでの塩見允枝子と蓮沼執太
「特集展示 塩見允枝子とフルクサス」の会期中に講演会や公開インタビューなどをお願いできませんか、と塩見に依頼したところ、一方的に作者が話をするよりも、何かもっと違うかたちの催しがいいのではという提案を頂いたのが昨年の秋頃だった。
1960年代、音楽・美術・ダンス・文学など各ジャンルで先鋭的な活動をしていた人物が何らかのかたちで必ずかかわっていたとも言えるこのフルクサスほど、収集家を刺激し、マニアの心をくすぐるものはない。80年代の終わり頃までは時に手の届く値段で出回っていたマルチプルは現在高額で、と同時にさまざまに再販され、ロット(あるいはエディション)違いで内容が異なり、その収集には終わりがない。バリエーションがありつつも偏在しているこうしたマルチプルとは対照的に、二度とは同じ内容が繰り返されることのない一回きりの「イヴェント」。当時幸運にも立ち会った人は、その意味や真相について様々に語るだろう。そしてニューヨーク以外の場所でのローカルなスピンオフ的動向、それぞれの作家のフルクサス以外での活動との照らし合わせなど、フルクサス研究には無限のアプローチがあり、知れば知るほど奥が深い。
「特集展示 塩見允枝子とフルクサス」はあくまで常設展の特集展示で、フルクサスを網羅的に紹介することを目指した特別展ではない。その目的は、新収蔵となった旧塩見允枝子のコレクションを常設展示の範囲内で紹介し、また塩見自身のユニークで壮大な取り組み「スペイシャル・ポエム」の一次資料をお披露目するものであった。こうした展示を担当するにあたって、私は―ジョージ・マチューナスの死後に生まれ、当然フルクサスの全盛期を見ることなく、むしろリレーショナル・アートなど90年代以後の現代美術動向からフルクサス的な実践の再評価を見ることがリアルタイムだった私は、当時を知るいわばうるさがたのための符牒を苦心して散りばめることよりも(そしてそのことは「常設展示」の中で限界がある)、リアルタイムでフルクサスを知らない世代、ひいては現代美術になじみのない観客に最大限アドレスすることに軸足をおいた。
こうしたことから、私は1983年生まれの音楽家、
蓮沼執太を召喚することにした。蓮沼は単に作曲・演奏を行なうだけでなく、展覧会・ダンス・演劇などとのコラボレーションや、美術館など展示スペースでのインスタレーションも手がける。その軽やかで柔軟かつ透明な手つきは、まさに
「音楽からとんでみる」と言うにふさわしい。蓮沼の手がける音楽は若いリスナーを多く獲得しているが、その一方、かつて武満徹が企画開催した音楽祭「Music Today」を思わせるタイトルを冠して自ら企画するイベントシリーズ「ミュージック・トゥデイ」では、飴屋法水、高橋悠治、Phewなど上の世代のアーティストと積極的なコラボレーションを果たしている。また蓮沼は「チーム」「フィル」と名づけたグループで演奏を行うが、さまざまな音楽的バックグラウンドを持ったメンバー(たとえばフィルでサックスを演奏する大谷能生は音楽批評家としても知られており、川崎弘二編著
『日本の電子音楽』(愛育社、2006年)にも協力している。この書籍の続編である
『日本の電子音楽 続 インタビュー編』(engine books 、2013年)には塩見のインタビューも掲載されている)が蓮沼の楽曲を一緒に演奏する、そのフレッシュな雑味が大きな魅力のひとつである。またフィルのメンバーだけでなく、蓮沼スタッフ陣のコラボレーションも軽快である。たとえば今回は、美術家である
毛利悠子の作品を楽器として(しかも毛利本人ごと)東京から持ってきたり、蓮沼のPVも手がけた映像監督の山城大督(山城は
Nadegata Instant Partyのメンバー。また「フルクサス裁判」を10代の頃に国際美術館で観ている塩見フリークで、2012年に東京都現代美術館で塩見の代表作《スペイシャル・ポエム》の映像撮影・編集も手がけている)に記録映像撮影・編集を依頼し、最終的にはパフォーマーとしても参加してもらった。スタッフを固定して抱え込むのではなく、場所やイベントに合わせてさまざまな人を呼び込み、柔らかく即興的に現場を作るのが蓮沼の特長だ。
左は作品を調整する毛利悠子
塩見から渡されたテキストを確認する山城大督
世代とジャンルを攪拌し、新しい観客に足を運んでもらうために、そして何より今日的なフルクサスの実践を実現させるべく、こうして蓮沼に声をかけたところ快諾、2004年
うらわ美術館でのフルクサス展も見に行ったし塩見のことももちろん知っているという答えが返ってきた。当日、どのようなパフォーマンスが行われたかは、冒頭にご紹介した記事にあるとおりである。
普段の肩書き(音楽家や美術家や学芸員あるいは観客といった)が、さまざまな場面で心地よく脱臼していた。観客はパフォーマーとして参加した。さっきまで楽器を弾いていたフィルのメンバーはベランダから紙飛行機を投げ、企画者である私はドライヤーを持ってパフォーマンスした。裏方が表に出るのは好きでないが私を指名したのも蓮沼で、今回は自分で企画したイベントの本質に関わるのだからあとには引けず、拙いパフォーマンスをすることになった。こうしたことでもなければ、普段は彫刻作品やインスタレーションを手がける美術家の
植松琢磨と私がふたりでパフォーマンスをすることは一生なかっただろう。植松と塩見の自宅は近所で、幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあるだけでなく、植松は「フルクサス裁判」でもサックスでパフォーマンスに参加しており、今回も「方向のイヴェント」で再びサックスを演奏した。
「風のイヴェント/ヴァージョン2013 G.マチューナスへのオマージュ」のパフォーマンスをする植松琢磨
ルールをはっきりさせ、着地点を鋭く定め、その上で遊んでいく塩見のやり方を蓮沼はすぐに理解した。そうした蓮沼とのやりとりを、塩見はとても楽しんだと私に話してくれた。お互いがさまざまな提案を行い、プログラムを組み立て、ベストな方法を考え、練習するプロセスは、年齢差のまったく気にならない対等な取り組みだったと。「ミュージック・トゥデイ・オン・フルクサス 蓮沼執太vs塩見允枝子」で繰り広げられたささやかで日常的な行為、さまざまなユーモア、あらゆるコラボレーションは、実に200人以上によって目撃された。観客や出演者やスタッフ、さまざまな立場でミュージック・トゥデイに参加した者の多くが、そうして与えられた役割を引き受ける以上の意味をこの夜に見つけてくれたならば幸いである。
「方向のイヴェント/ヴァージョン2013 加速と膨張のプレリュード」
写真提供:国立国際美術館
写真撮影:舘かほる