プロフィール

橋本 梓(はしもと・あずさ)
1978年滋賀県生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程指導認定退学。
2008年より国立国際美術館にて研究員を務める。
企画展に「風穴もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」(国立国際美術館、2011年)、「〈私〉の解体へ:柏原えつとむの場合」(国立国際美術館、2012年)、共同キュレーションによる「Omnilogue:Alternating Currents」(PICA、オーストラリア/国際交流基金、2011年)。共訳書に、ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り』(平凡社、2005年)。本ブログでの発言は所属先の公式見解とは関係ありません。

Born in 1978 in Shiga. She completed her MA in Human Environmental Studies at Kyoto University.
She is an assistant curator at the National Museum of Art, Osaka, since 2008. Recent curated exhibitions at National Museum of Art, Osaka include Kaza Ana/ Air Hole: Another Form of Conceptualism from Asia in 2011 and a solo show of Kashihara Etsutomu in 2012. Also she co-curated a group show of Omnilogue: Alternating Currents at PICA, Australia organized by Japan Foundation and PICA in 2011.

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国際シンポジウム「現代美術をコレクションするとは?」

2014年03月03日
ご無沙汰致しました。2014年に入ってからは沖縄に行ったり、シンガポール、オーストラリア、ラオスと出張に出たり、その間に東京で記録的な大雪にもまれたり、暑いやら寒いやらの日々を送っています。



 
2014年3月1日(土)に国立国際美術館で開催された国際シンポジウム「現代美術をコレクションするとは?」を聴講しました。プログラムはこちらをご覧下さい。後に本シンポジウムの記録集が刊行される予定(スケジュールは未定)ですので、よりバランスのとれた概要及び詳細についてはそちらをご覧頂ければと思います。今回の記事は個人的な雑感です。

 
現代美術を扱う美術館では、絵画や彫刻といった伝統的なジャンルに加えて、より新しいジャンル、すなわち写真、映像、それらが複合したインスタレーション、パフォーマンス、プロジェクトなど、さまざまなフォーマットの作品を「収集」「保存」「展示」しています。しかしそうした新しいジャンルの作品に取り組む方法論は確立しておらず、個別の作品や事例に向き合いながら、各館で試行錯誤が続けられています。これまで、作家や作品あるいはそれを成立させる歴史的・社会的コンテクストについて、すなわち収集の対象となる作品そのものについての議論は多々行なわれてきました。が、それを「どうやって」収蔵し保管し展示するのか、ということについての議論は、全国美術館会議などのほぼ限られた場でしか行なわれてきませんでしたし、ましてや従来の博物館的方法論をあてはめることの難しい、新しいメディアを用いた作品について考え方や方法論をシェアする場はほとんどありませんでした。その意味で、現代美術を扱う美術館学芸員がそれぞれの現状を報告し合い、意見を交換することのできた今回の機会はまず大変貴重なものであったと言えるでしょう(国内からは国立国際美術館、東京都美術館、東京都写真美術館、兵庫県立美術館のケース・スタディが発表されました。発表順)。そしてさらに、新しいメディアを用いた作品の収集・保存・展示について既に15年以上ノウハウの蓄積をしているイギリスのテート・ギャラリーの実践例は、私にとって大きな学びをもたらすものでした。

 
テート・ギャラリーが「Time based media」という考え方を導入し、より適切な収集・保存・展示についてコンサベーションチームによる積極的な探求が始まって既に15年以上が経過しています。タイム・ベースト・メディアというのはビデオやスライド、フィルムやサウンド、コンピューターなどテクノロジーに依拠した作品で、表現様式に時間軸を伴います。厳密な定義は作品の解釈次第かもしれませんが、いわゆる映像作品や、映像を伴うインスタレーション作品、パフォーマンス作品なども含まれます。日本ではさすがにパフォーマンス作品自体を収蔵した例はない(パフォーマンスを写真や映像などで「記録」したものを収蔵した例は少なくありません)ようですが、プロジェクトを作品として収蔵した例は金沢21世紀美術館(日比野克彦《明後日朝顔プロジェクト21》)などにありますし、またいわゆる「反芸術」以後、多様な素材と技法によって制作された、長期的な保存を想定していない作品や、コンピュータープログラムを用いた作品など、さまざまな作品を美術館がどのように収集・保存・展示していくのか、国内各館の取り組みが紹介され、意見が交換されました。

 
今回紹介されたテートの取り組みの中で私がとりわけ参考になったのは、収蔵前に作成されるpre-acquisition reportでした。作品の詳細、展示フォーマットの詳細、機材リスト、展示に必要なスタッフ人員と時間、展示空間の詳細、消耗品リスト(その品番まで)、展示に必要な芸術的知識、電気系統の備考、メンテナンス項目、安全に関する項目などが基本になります。同時に、作家へのインタビューも録画します。例えば、作品のパーツが摩耗したときは交換していいのか、するとしたらどういう選択肢があるのか、あるいはしないのか。メディアコンバートをしてもいいのか、よくないのか。映像作品のデータ問題、メディアコンバートの問題、再生機確保の問題、再演性の問題、ブラウン管か液晶かといった議論もここに回収されます。詳細挙げるときりがないので省きますが、非常に重要なのは、この段階でキュレーターとコンサバターがとにかく徹底的に作品性を把握するということです。そのために、作家からできるだけの言葉を引き出し、保存や展示に際するあらゆる可能性を確認していきます(収蔵に向けて動き始めてから実際に収蔵されるまで、準備に2年近くかかることもあるとのことでした)。作品が物理的にどういったもので、芸術的に評価されるべき点はどういったことなのか、これを包括的に把握することは、収蔵後さまざまな環境下で十全に展示するために非常に重要となります。また、収蔵前に、展示に伴うリスクも徹底的に洗い出します。鑑賞者に及ぼすリスク、作品そのものに及ぼされるリスク、周囲に展示される作品へのリスクを積極的に明らかにし、それをマネージすることで作品を生かそうとしています。危ないから展示をやめる、クレームが来ることを恐れて展示場に出さない、わかりにくいから展示しない、という消極的な態度を私たちはとりがちであるように感じていますが、作品性を正しく理解でき、説明が可能ならば、そうしたリスクは積極的にマネージして引き受けるべきだという発言には大変勇気づけられました。と同時に、美術館が組織として作品を理解し鑑賞する力、作家に対するリスペクトの態度のボトムに圧倒的な差があると感じました。収蔵前のこうした手続きをきちんと踏むことによって、美術館を取り巻く組織や鑑賞者への説明責任を果たすことができるというわけです。
 
もうひとつ印象的だったのは、恒久性のない作品を収集「しない」ことは、アートにおけるひとつの大きな部分を失うことになるだろう、という考え方が紹介されたことです。もちろん美術館に収蔵されることが美術の全てではまったくありませんが、後世に参照される可能性などを考えた時、やはり美術館はひとつの可能性の場となります。何か「する」ことに伴うリスクは想像しやすいですが、「しない」ことに伴うリスクは見えにくいですから、私にとってこの発言は大きな反省を促すものでした。日々目先の業務に溺れていると、こうした視点を忘れがちであることを痛感しました。

 
もちろん日本と欧米の美術館は、たとえば同じ「国立」の規模で比較したとしても、組織としての体力差は歴然としています。事前調査を十全にできるような人件費予算が日本の美術館についていたら苦労しないよね、と恨み節を言うのは簡単なのですが、かといって状況は待ったなしのところまで来ています。どんどん新しくなっていくメディア、失われていくメディア、見たことのない表現形態を目前にしながら、作品を美術館で十分に収蔵・保管・展示するには、とにかく粘り強く、地道に取り組んでいくしかありません。問題は日本の現状にあわせて何ができるのかという現実的なソリューションを探すことである、という発言は、本シンポジウムの中でも複数の参加者により繰り返し述べられており印象的でした。

 
個人的には以下のことが重要ではないかと感じました。すなわち、理想主義になりすぎないこと、原理主義に陥りすぎないこと、過去の経験を尊重しつつも経験主義に陥りすぎないこと。

 
十分な時間と予算がないなかで、理想を求めすぎても挫折するだけですから、これだけははずせないというチェック項目を可能な範囲で押さえるような取り組みが重要となるでしょう。また、作品がどのジャンルにあてはまるか(映像なのか写真なのか彫刻なのかインスタレーションなのかetc)ということをしつこく同定する議論を必要以上に行なうことは、新しい形態の作品の積極的な収蔵においては足かせになってしまうように思いました。それと関連しますが、いわゆる「前例」にとらわれすぎると、新しい表現形式の作品を積極的に収蔵するのは難しくなってしまうでしょう。それぞれの作品が大変ユニークなタイム・ベースト・メディアにおいてはさまざまな考え方があるため、過去に収蔵した作品で培った経験則は重要ですが、それは作品を殺す方向でなく、生かす方向で当てはめていくのが理想ではないかと考えました。今回をふまえて、たとえばまずは映像作品や写真作品に絞ったり、作品受け入れ時の方法について、データ保存について、再生機についてなど、より的を絞ったかたちでの深い議論が進むことを願っています。

 
本シンポジウムは記録集を発刊予定です。発刊時期は未定です。これまで発刊したシンポジウムの記録集はこちら。在庫あります。お問い合わせはリンクからミュージアム・ショップまで。

 
以下、補足としていくつかリンクを貼っておきます。

 
テート美術館でタイム・ベースト・メディアのコンサベーションを牽引してきたのが、Pip Laurensonです。彼女のレクチャーです

 
タイム・ベースド・メディアという考え方は、イギリスの作家のDavid Hallが1972年に最初に用いたとのこと。

 
New Art Trust、MoMA、SFMOMA、そしてテートによって2005年から共同で行なわれたプロジェクトMatters in Media Art。タイム・ベースト・メディアを用いた作品のケアについての実践的な知恵が公開されています!

 
似たプロジェクトですが、こちらはEUのサポートを受けヨーロッパの6つの現代美術館が取り組んだプロジェクト、Inside installations

 
テート美術館が収蔵しているパフォーマンス作品のひとつ、Tino Sehgal This is propaganda (2002)。調書や美術館と作家との間で交わされる契約において、この作品を記述して残したり、記録写真や動画を撮影したりすることが全面的に禁止されているそうです。大変チャレンジングなことですが、これに取り組み収蔵を実現させた美術館の力に敬服します。