プロフィール

神里 雄大(かみさと・ゆうだい)
1982年、ぺルー生まれ。岡崎藝術座主宰。2011年〜16年まで、セゾン文化財団ジュニア・フェロー。
移民や労働者が抱える問題、個人と国民性の関係、同時代に生きる他者とのコミュニケーションなどについて思考しながら舞台作品を発表している。
『亡命球児』(「新潮」 2013 年6月号掲載)により小説家としてもデビュー。16年10月より文化庁新進芸術家海外研修制度により、アルゼンチン・ブエノスアイレスに滞在中。

最新のエントリー

アーカイブ

長距離バスに乗る

2017年02月16日
Las Cataratas del Iguazú

Las Cataratas del Iguazú


先月はチリにいて、いまはアルゼンチンのプエルト・イグアスに来ている。それにしても一ヶ月が過ぎるのがなんと早いことか。一日がすぐに終わってしまうのをちゃんと見つめていなければ、変化にも気づけないばかりかすぐに過去のものになって、そして過去はすぐに美化されてしまう。

プエルト・イグアスまでは、ブエノスアイレスからバスで向かった。19時間のバスの旅。陸路に関しては、南米は鉄道よりもバスが発達していて、24時間以上のバス移動がざらにある。サンティアゴからブエノスアイレスまでもバスで戻ったが、ちょうど24時間の移動だった。19時間というのは、だからまあそこまで長い移動ではない、という印象だ。

長距離バスにはおもに、semi camaとcamaという種類があり、cama(ベッドという意味)は180℃フラットにシートを倒すことができるので、かなり快適だ。semi camaでもじゅうぶんに寝ることはできるので、トイレがちょっと(わりと)汚くなることをのぞけば、10数時間程度のバス移動は景色を見たり、車内で映される映画を見たりと、じゅうぶんに楽しむことができる。バス会社や路線によっては、機内食のようなものが出たり、途中のレストランで食事ができるというものもある。

さて、ぼくのイグアスまでのバス移動はというと、15時ブエノスアイレスのバスターミナルがあるRetiro地区から出発だったので、地下鉄でRetiroまで向かう。地下鉄のRetiro駅からバスターミナルまでは歩いて5分強といったところ。念のため、出発の20分くらいまえにはついておきたい。家からは15分程度でRetiro駅に着く……ということで、家を14時15分に出た。
予定通り14時35分すぎにバスターミナルに着いたので水を買って、乗り場の番号を確認しに行く。が、ぼくの乗るはずの、El Rapido Argentinoというバス会社のイグアス行きの表示が出ていない。長い長いプラットフォームでは警備員の姿はすぐに見つけることができるものの、係員らしき人間はいない。しばらくして、El Rapido Argentinoのバスが止まっているのを見つけたものの、係員らしき人物は見あたらない。
というわけで、だいたいこういう場所でキョロキョロしていると、誰かしら親切に声をかけてくれるもので、今回は掃除のおっちゃんであった。
「なにをさがしてるんだ」
「イグアス行きのバス乗り場がわからない」
「そこに会社の人間がいるから聞いてみな」
と言われて指差されたほうを見回すものの、それらしき人がぼくには見つけられず、さらにキョロキョロいると、
「すぐそこの、そいつだよ」
10数人の人だかりができており、その中心で、普通のシャツの、休日のおっさんのような人が、乗客たちに演説のような調子で話しながら、あれはなんだろうか空調設備かただのコンクリか小汚い壁のようなところを机にして、なにかを紙に書いていた。客たちは順番もなにもない様子で、思い思いの質問を浴びせ、おっさんは質問に答えたり無視したり、ときおり叫んだりしながら、客たちによくわからない書類を渡していた。ぼくもそれに加わって、もう15時になるけれども、バスが来ないが、このあたりに来るものなのかを聞こうと思っていた。
おっさんは最後に腰回りが発達したおばちゃんに紙きれを渡したあと急に、「おれはわからない」というようなことを叫んで(なにがわからないのか、わからなかった)、走ってどこかへ消えたのだった。あの走り去る背中は、すぐに戻ってくることを期待させるものだったが、けっきょくおっさんは戻ってこなかった。

緑色のシャツを着た、彫刻の鋭さを思わせる角刈りの男性が、家族としばしの別れを惜しむように抱き合いキスをし、そのあとぼくに話しかけてきた。
「どこに行くんだ」
チケットを見せると、おれも同じくEl Rapido Argentinoでイグアスに行くという。そして乗り場はわからないという。とにかく、遅れているのだろう。アルゼンチン人の彼がいるあいだは、彼を見ていればぼくも乗り遅れることはないだろうといったん安心した。
30分が過ぎ、バスはいっこうにやってこず、他のバス会社のバスはどんどん目的地に向けて時間通りに出発しているが、El Rapido Argentinoのバスはまるで来る気配はない。ここは始発駅なのである。なぜに遅れるのか。
ようやく1台のEl Rapido Argentinoがやってきたのは、1時間が過ぎたころで、それはこのRetiroに到着する便で、おそらく20時間くらいの仕事を終えた運転手と運転手その2に、待ちくたびれていたぼくらは殺到した。というか、もうみんなが詰めよっているので、俯瞰的に状況を把握しようと輪のなかに加わった。
「ぜんぜんこないんだ、どうなってる!」
「おれはわからないよ」
「わからないってどういうことだ」
「オーケーじゃあ、お互いのためにこうしよう。二階のチケット売り場に行って状況を聞いてくれ」
「チケット売り場は閉まってるんだ!」
というわけで、責任者に電話してもらえばいいんじゃないかな、と思っていたら案の定、運転手はどこかに電話をかけだした。長距離の運転を終えたばかりで、怒りの人々にかこまれて口々に文句を言われるのは気の毒であったが、ぼくたちはイグアス方面に行かないといけないのである。

ちょっとタバコを吸って、例の角刈りの緑の男性に状況を聞くと、あと3、40分したら状況がわかる。バスが来るか、べつのバスに振り替えになるか、とにかくもう少し待つしかない。もう腹がへったので、それならなんか食おうと思って、ターミナルの建物のなかに入り、売店で炭酸とホットドッグを買った。ターミナル内の物価は、街中の1.5倍くらい。ホットドッグを頬張りながら、みんながいたプラットフォームに戻ると、誰もいなくなっている。
あれ、みんな同じように何か食べたり、コーヒーを飲みにカフェに行ったのかなと思ったものの、勘のいいぼくのことである。これはなにか進展があったのかもしれないと、二階のチケット売り場に行くと、閉まっていたはずのEl Rapido Argentinoの窓口が開いており、列ができている。あの緑色の角刈りも並んでいる!
ぼくは、右ならえ右の精神で列に加わり、そしてやがてぼくの番になって、さあどうなっているのか聞こうと思って、勢いよく窓口にチケットを差しだしたところ、無言でパソコンでかたかたやったあとに、窓口の女性は金を数え出した。これは、、、と思い、隣の窓口を見ると、クレームをつける男性客に、目を見開いて、それは眼球が飛び出しそうなくらいで、そして「わたしのせいじゃない!」といった雰囲気を押し出すべつの女性職員がハンドジェスチャーを大げさにやっていて、それはほとんど顔芸であった。おかしなことにこの顔芸でぼくはすべてを察し、ようするにバスは出ないんだな、と思った。
バス料金は全額返金され、もうしょうがないので、べつのバス会社の窓口をまわって聞いていたところ、19時発のバスがあるというので、それを返金されたばかりの金で買った。チケットにはプラットフォームの番号も記載されていたので、今度は大丈夫なはずだ。

やれやれコーヒーでも飲むかと、一階のカフェに行くと、さっき同じくバスを待っていた背の低い女性がいて、なんとなく話すことになって、彼女は英語を勉強中だからと言って、ぼくたちは英語で会話をした。
彼女のスペイン語なまりの英語からわかったのは、今日バスが出なかったこと、そして係員がまったくいなかったことの理由は、ストライキだということだった。この文章の最初のほうで走り去った、シャツのおっさんは会社の役員で、従業員がストライキをやっているので、しかたなくひとりで対応していたけれども、みんなの怒りを目のあたりにして身の危険を感じたので、走って逃げたということだった。ぼくの見た背中は、逃げる背中だったのだった。
ぼくは、「今回わかったのは、El Rapido ArgentinoはぜんぜんRapido(迅速)じゃない」と言うと、彼女は爆笑して、それから言った。「アルゼンチンへようこそ」