プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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椿昇さんの「ル・コルビュジエの家」評に触発されて——遅れてきたレスポンス

2013年01月12日

椿昇さんに「ル・コルビュジエの家」について書いてもらってよかったと思います。僕もあの映画には感心させられた、と同時に、懐かしい気もした——というのは、僕はラ・プラタにあの家を見に行ったことがあるからです。20世紀の最後の10年間、建築家と理論家が世界各地で都市と建築を考える「Anyコンファレンス」という会議が開かれた、その第6回の「Anybody」が1996年にブエノス・アイレスで開催され(記録の邦訳はNTT出版から出ている)、せっかくだから近くのラ・プラタまでみんなで出かけたというわけです。明快そのもののヴィラ・サヴォワよりこのクルチェット邸こそがル・コルビュジエの傑作だと言う磯崎新やピーター・アイゼンマンらの話を聞きながら、建物の内外をつぶさに見て回ることができたのだから、特権的な体験だったと言うべきでしょう。一本の木を抱え込むようにして、傾斜路を折り返しながら上に伸び上っていくこの建築には、モダニズムのいう「建築の自律性」のドグマに還元できない部分がある。そして、映画ではそれがさらに社会的な矛盾に曝されるというわけですね。

蛇足ですが、クルチェット邸正面の美しいブリーズ・ソレイユ(日除けのグリッド)を眺めながら、正面の緑地に寝そべってエリザベス・グロッスとあれこれ話したのも、楽しい思い出です。ドゥルーズ哲学から、ベルクソン、さらにダーウィンまで遡る彼女の戦略が、「生の哲学」の陥穽にはまらずにいられるか——そんなことをまじめに話していたはずが、東京でのAIDSアクティヴィズムのファンドレイジング・パーティーにエリザベス・テイラーが来た話になったとたん、レズビアン・フェミニストとしても名高い彼女の態度が豹変し、「えっ、リズに会ったの? 彼女、どんなだった ?! どんなだった??!!」と騒ぎだしたのには、思わず笑ってしまいました。


この映画からふと連想したのは、アンヌ・フォンテーヌ監督が撮った「わが最低の悪夢(Mon pire cauchemar)」なるすれっからしのコメディ映画です。実は、イザベル・ユペールの写真集(それに基づく展覧会も開かれたことがある)の最後に、彼女が自分の映画を一本まるまる見ているところを杉本博司が「シアター」シリーズの手法でシャッターを開放したまま撮った、したがってスクリーンが真っ白になっている前に小さく彼女の後姿の映った写真があるのんですが、それに触発されて制作された映画なんですね。ユペールの演ずるスノビッシュな女性は、フォンダシオン・カルチエのバリバリのキュレーターで、アパルトマンにいま言った写真を飾り、作者の「スジモト」(普通フランスではこう発音する)本人を呼んでディナーを催したりしているのだけれど、どういうわけか柄の悪い肉体労働者(これが「ル・コルビュジエの家」の隣人に似ている)とかかわりあいになり、大げんかの挙句に成り行きでセックスしてカップルになってしまう。で、「これは8万ユーロはするわよ」と言って件の写真を男にプレゼントするのだけれど、男は労働者のバーで飲んだくれて泥酔し、翌朝起きてみたら写真の白いスクリーンのところにマジックでトイレの落描きのようなちんちんが描いてある(実はこれは杉本博司本人が描いた)……。それから数か月後、フォンダシオン・カルチエで展覧会のオープニングがあり、男がおそるおそる行ってみると、秘密の部屋みたいなところに、「○○[男の名前]によって破壊されたSugimoto」と題して、落描きされた例の写真が麗々しく飾ってあり、ユペール演ずるキュレーターが「この作品は素晴らしい!」としみじみ言うので、男は当惑する。つまり、彼は知らぬ間にアーティストとして祭り上げられてしまっているわけです。ユペールははまり役で快演、つい笑いながら見てしまったのだけれど、いかにもフランス的な意地悪さに満ちたアート界のカリカチュアではあります(イギリスでも、女が奇形の子供を流産するとデミアン・ハーストに頼んでそれをオブジェにしてもらうようなとんでもない男をクライアントとする画商が、知的なユダヤ人の老人がかつてモンドリアン本人から手に入れたという幻の「ブギウギ」を狙うものの、それは火事で焼けてしまう、云々という、ハースト本人がアイディアを出したらしい「Boogie Woogie」なる映画があって、これはもっと徹底して悪趣味なものでしたが)。

しかし、「ル・コルビュジエの家」がいいのは、それがたんにシニカルな揶揄にはとどまっていないところでしょう。監督はル・コルビュジエの家に住むセンスのいい売れっ子デザイナーを「隣人」=「他者」に直面させ、その虚飾を容赦なく剥ぎ取っていく。その間もクルチェット邸はあくまでも美しく立ち続ける…。椿昇さんも推奨する通り、これはアーティストやデザイナーを目指す人たちが一度は観ておくべき映画だと思います。