プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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前谷開——カプセルホテルの穴居人

2014年10月07日
もはや旧聞に属するが、名古屋の愛知県美術館で展示されていた鷹野隆大の写真が検閲を受けるという事件があった。

鷹野作品は「これからの写真」展(8月1日 – 9月28日)の一環で、他に新井卓、加納俊輔、川内倫子、木村友紀、鈴木崇、田代一倫、田村友一郎、畠山直哉が参加している。このラインアップからわかる通り、「これからの写真」というよりは、これまで10年ほどの間にアート・シーンで話題になった作家を集めたと言ったほうがよく、造形志向ないしインスタレーション志向の作家にやや大きなウェイトが置かれていることを除けば、選択は良かれ悪しかれ常識的なものだ。

鷹野隆大の《おれと》シリーズは、モデル(多くは男性だが女性も含む)が写真家自身(「おれ」)と並んで肩を組んだところを撮影したもので、多くはヌードで正面から撮られているから性器が写り込むことになる。それを見咎めた人からの通報で警察が介入したということらしい。言うまでもなく、いかなる作品もこのような不当な検閲を受けるべきではないが、《おれと》シリーズが鷹野作品の中でも素直でインティメートな色彩の濃いものである(彼は他方でゲイ・セクシュアリティを正面に押し出した挑発的な作品も撮っている)ことを思えば、ますます苦々しい想いを禁じ得ないだろう。

この介入を受けて、美術館は苦肉の策を取らざるを得なかった。鷹野作品の展示を中止すれば検閲を受け入れたことになる。むしろ、性器が見えないように写真の一部(あるいは全部)をヴェールで覆って検閲を回避しつつ、検閲の痕跡をあからさまに示そうというのである。公立美術館としては次善の策を取ったと言っていいだろう。だが、鷹野作品展示室の入口にカーテンをかけ、中の作品を見て不快に思う人がいるかもしれない、という趣旨の警告文まで掲示する必要があっただろうか。それ以上に、ヴェールをかけることで逆に隠されたものを見たくなる、そういう心理的メカニズムによって、あっけらかんとした作品だった《おれと》が奇妙に倒錯的なものに見えてくるとすれば、何とも皮肉な結果だと言うほかはない。

検閲事件によって逆にこの展覧会が話題になったことは確かで、8月29日に現場を見ておこうと思って会場を訪れた私は、同じ理由でやってきた伊藤俊治とばったり出くわすことになった。そのとき立ち話をしたのだが、この件の出発点にあるのははっきりしたホモフォビアですらない、ルール違反を教師に言いつける子どものような幼稚な心性なのではないか。むろん、だからどうでもいいと言うのではない。むしろ、表現の自由の前に立ちはだかる壁はますます根深いものだと考えるべきだろう。「これからの写真」展の残す憂鬱は深まるばかりだった。

 
そのときのことを何とはなしに思い出しながら、10月7日に名古屋を再訪し、YEBISU ART LABO で前谷開の『Second Kiss』展(10月4日 – 10月26日)を見た。大学院修士課程修了制作の延長線上にあるカプセルホテル・シリーズの新たな展開である。いかにも無機的に並ぶカプセル。そこに現代社会における人間疎外を見るのはありふれた見方だろう。だが、前谷開はそういう社会派アーティストではない。彼はいわば「穴居人」としてカプセルに住みつき、その「穴」の中で膨らませた主観的な妄想を落書きとして垂れ流す。やるせない寂しさや性的欲求不満を露骨に滲ませながら、それでいてどこかユーモラスでもある、落書きの数々。そして彼はカメラを取り出し、それらの落書きを、そしてカプセルの中の裸の「穴居人」としての自分を、写真に収めるのである。たとえば、女性器のようでも向かい合った顔のようでもある落書きの前でじっとレンズを見つめる「カメラをもった穴居人」の肖像。そうしたストレートな写真のほか、『Second Kiss』展では、ディテールを切り取った写真の小型プリントも、乱暴に破り取ったぎざぎざの縁を並べるようにして、受付の傍らに展示されている。総じて、カプセルホテル・シリーズの全貌を示すにふさわしい展示と言えよう。
 
 
 
 実のところ、前谷開は、先日、京都造形芸術大学・大学院の卒業生の作品を集めた「KUAD graduates under 30 selected」展で「京都芸術センター アート・コーディネーター賞」と「パラ人(PARASOPHIAフリーペーパー)賞」をダブル受賞した(『パラ人』No.003の表紙に作品がフィーチャーされ、インタヴューも掲載されている)。その作品は、京都の古民家を住居兼スタジオとして共に借りていたがそのうち去って行った同輩——ウマの合わない、しかしどこか気になる同輩になりきって撮った後ろ姿のセルフ(?)・ポートレートと、その同輩への手紙から成っている。他者とのコミュニケーションの不可能性を踏まえつつなおコミュニケーションを志向する姿勢が、広く共感を集めたのだろう。だが、私の目には、この作品はあまりに私小説的なものに見えたし、「他者」だの「コミュニケーション」だのといったテーマに眩惑されてそういう作品を安易に評価してしまう近年の世論も退行的なものに見える。むしろ、終電を逃して家に帰りそびれた人々が仮の宿として使う無機的な空間としてのカプセルホテルと、プリミティヴな「穴居人」の妄想、その両者を結びつけたカプセルホテル・シリーズこそ、いまのところ前谷開の代表作と呼ぶにふさわしいのではないか。『Second Kiss』展はその決定的なマニフェストと言ってよい。さて、この後にいかなる展開が待っているのか。次は公衆便所の落書きか。いや、これまで多様な習作を積み上げてきた前谷開は、そのうちまた思いもよらぬ作品でわれわれを驚かせてくれるに違いない。

ちなみに、私が訪れたとき、同じビルの下の階の店は営業中だったのに対し、YEBISU ART LABO のある4階は照明が消えて人気がなかった。火曜日だったし、自由に入れる状態だったから、休みとは思わず、勝手に入って照明をつけて見たのだが、考えてみれば不法侵入と言われても仕方のない行為だったかもしれない。だがそれは、カプセルホテルで密かに行われる表現行為の記録を(盗み)見るのに、不思議にぴったりの条件だったような気がしてならないのである。

 
 
 
(画像全て:前谷 開『Second Kiss』/ Maetani Kai, “Second Kiss” )