浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。
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この映画からふと連想したのは、アンヌ・フォンテーヌ監督が撮った「わが最低の悪夢(Mon pire cauchemar)」なるすれっからしのコメディ映画です。実は、イザベル・ユペールの写真集(それに基づく展覧会も開かれたことがある)の最後に、彼女が自分の映画を一本まるまる見ているところを杉本博司が「シアター」シリーズの手法でシャッターを開放したまま撮った、したがってスクリーンが真っ白になっている前に小さく彼女の後姿の映った写真があるのんですが、それに触発されて制作された映画なんですね。ユペールの演ずるスノビッシュな女性は、フォンダシオン・カルチエのバリバリのキュレーターで、アパルトマンにいま言った写真を飾り、作者の「スジモト」(普通フランスではこう発音する)本人を呼んでディナーを催したりしているのだけれど、どういうわけか柄の悪い肉体労働者(これが「ル・コルビュジエの家」の隣人に似ている)とかかわりあいになり、大げんかの挙句に成り行きでセックスしてカップルになってしまう。で、「これは8万ユーロはするわよ」と言って件の写真を男にプレゼントするのだけれど、男は労働者のバーで飲んだくれて泥酔し、翌朝起きてみたら写真の白いスクリーンのところにマジックでトイレの落描きのようなちんちんが描いてある(実はこれは杉本博司本人が描いた)……。それから数か月後、フォンダシオン・カルチエで展覧会のオープニングがあり、男がおそるおそる行ってみると、秘密の部屋みたいなところに、「○○[男の名前]によって破壊されたSugimoto」と題して、落描きされた例の写真が麗々しく飾ってあり、ユペール演ずるキュレーターが「この作品は素晴らしい!」としみじみ言うので、男は当惑する。つまり、彼は知らぬ間にアーティストとして祭り上げられてしまっているわけです。ユペールははまり役で快演、つい笑いながら見てしまったのだけれど、いかにもフランス的な意地悪さに満ちたアート界のカリカチュアではあります(イギリスでも、女が奇形の子供を流産するとデミアン・ハーストに頼んでそれをオブジェにしてもらうようなとんでもない男をクライアントとする画商が、知的なユダヤ人の老人がかつてモンドリアン本人から手に入れたという幻の「ブギウギ」を狙うものの、それは火事で焼けてしまう、云々という、ハースト本人がアイディアを出したらしい「Boogie Woogie」なる映画があって、これはもっと徹底して悪趣味なものでしたが)。