プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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安藤忠雄・小篠弘子・大和美緒

2015年04月12日

安藤忠雄(1941-)は世界中で多種多様な建築を建ててきた。1980年代から親交があり、興味をもってフォローしてきたつもりの私でも、実際に見たことのない建築の方がずっと多い。だが、彼の代表作といえば、いまだに、出発点とも言うべき〈住吉の長屋〉を挙げる人が多いのではないか(ポンピドー・センターのフレデリック・ミゲルーが企画し、3月まで金沢21世紀美術館で開催されていた『Japan Architects 1945-2010』展でも、この住宅や高瀬川沿いの〈Time’s〉といった小規模な建築が選ばれていた)。

1968年の大学紛争や1970年万博とその「挫折」(磯崎新)を境に、丹下健三スクール(メタボリズム・グループから、磯崎新、そして谷口吉生あたりまで)に代表されるエリートの系譜が途切れ、替わって全共闘世代の「野武士」(自らはエリートである槇文彦の命名)が頭角を現してくる。エリートは公共建築や都市計画を手がけ、住宅(丹下健三自邸〔1953〕や菊竹清訓自邸〈スカイ・ハウス〉〔1958〕など)も都市に接続するものとして構想されたのに対し、後者はその順接関係を逆接関係に反転し、都市の資本主義的混沌に背を向けて立て籠もるための孤塁として住宅をつくった――場合によってはその孤塁の中に共同体的な複雑性を織り込みながら。伊東豊雄の〈中野本町の家(White U)〉〔1976:現存せず〕とともにそうした動きを代表するのが、窓のないファサードをもつ狭小住宅の中に多様な空間を組み込んだ(したがって雨が降ると寝室からトイレまで傘をさして行かねばならない)安藤忠雄の〈住吉の長屋〉〔1976〕だったのである。そのラディカリズムは世界の建築界に衝撃を与え、〈住吉の長屋〉は建てられてすぐ建築史に残るモニュメント――より正確に言えばアンチモニュメントとなった。

だが、安藤忠雄をもっぱらそういう文脈で理解するのは一方的な見方でしかない(そもそも彼は大学出のエリートでないと同時に大学解体を叫ぶ学生運動の闘士でもなく、「野武士」にも入っていなかった)。同じ住宅でも、山の中に建てられた〈小篠弘子(コシノヒロコ)邸〉〔第1期 1979-81〕には、安藤忠雄の別の一面がすでに現れている。この住宅は、いよいよパリ・コレクションに進出しようとしていたデザイナーが、まだまだ無名だった同世代の建築家に設計を依頼して建てたもの。当初は冬は寒く(「床暖房してある。本人なかなかおカネ使いたないから床暖房しないから寒い」というのが設計者の弁)、雨漏りなどのトラブルもあったと聞くが、彼女はそれに耐えて(?)30年以上も住み続け、何度か改築・増築を重ねて、安藤忠雄とともにひとつの完成作品をつくりあげた。そして、新居に引っ越したあと、この住宅をKHギャラリー芦屋として公開することにしたのである。建築家にとっては理想のクライアントと言うべきだろう。この有名な建築を写真や映像でしか見たことのなかった私は、小篠弘子&大和美緒の展覧会が開かれたのを機会に、初めてそこに足を運んでみることにした。

まず解消された誤解は、それが芦屋の邸宅だという思い込みである。JR芦屋駅からバスで25分ほどではあるのだが、10分もすると山の間から町と海を見晴らす峠にさしかかり、それを超え有馬に抜ける芦有ドライブウェイに入ってしばらく行った奥池という場所に、この建物はあるのだ。首都圏で言えば松涛の邸宅ではなく軽井沢のヴィラに近いイメージではないか。花見の名所である芦屋川の河原ではもう桜がほとんど散ってしまっていたが、ここまで来るとさまざまな色調の山の緑のそこここに満開の桜や木蓮などが散見され、ことのほか美しい。この山中の斜面に、建築家は細長いコンクリートの直方体を二つ平行に置き、さらに、いちばん最後の増築で、斜面の高い方にある直方体から弓のように張り出した寝室を付け加えた。それはヴェランダやバルコニーのある別荘のようにあけっぴろげではないが、自然に背を向けたトーチカとはまったく違い、ストイックな一貫性を保ちつつも自然と静かな対話が可能になるように――具体的には眺望や光や風をうまく取り入れるように、多種多様な工夫を凝らした建築なのだ。とくに、あるいは床近くの横長のスリット、あるいは天井から切れ込む縦長のスリットから入ってくる、さまざまなニュアンスの光は、たいへん美しい。安藤建築のエッセンスを一望するにはまず直島の一連の建築を見るのがいいだろうが、地形や眺望を見極めて最適な軸線(群)を選ぶ、そこにそれ自体としてはシンプルな幾何学的形態の建物を自然に埋め込むように配置する、ただ、中に眺望や光や風がうまく取り込めるよう工夫を凝らす、といった直島の安藤建築の特長は、小篠弘子邸の中にすでに見てとれるだろう。いや、都市に背を向けた孤塁のような〈住吉の長屋〉でさえ、本当は決して閉じた箱ではなく、光や風、そして雨(!)によってマクロコスモスと交流するミクロコスモス――アクチュアルには小さな箱でありながらヴァーチュアルには宇宙的なスケールをもつ空間として構想されていたのではなかったか。(その意味で、〈住吉の長屋〉と〈4×4の家〉〔2003〕を対比してみれば面白いかもしれない。わずか4.75m×4.75mの正方形の上に立つ4階建てのコンクリートの箱。だが、一辺4mの立方体である最上階のワンルームの大きな窓からは、明石大橋と瀬戸内海の圧倒的な眺望が楽しめるのだ(隣接して木造の分身も建てられたものの、すでに取り壊された)。私は実物を見に行ったことがないのだが、JRの車窓から眺めていると明石大橋を超えて少し西に行った海岸に特徴的な姿が見える。また、やはり安藤忠雄の設計になる兵庫県立美術館の安藤建築のコーナーでは、他のさまざまな作品と並んで、「4×4ハウス」の模型を見ることができる。)

安藤忠雄〈住吉の長屋〉(写真:モリモトヒロミツ)
http://www.hetgallery.com/row-house_sumiyoshi.html


安藤忠雄〈4×4の家 Ⅰ,Ⅱ〉(写真:モリモトヒロミツ)
http://www.hetgallery.com/4m-tarumi-ando.html



言うまでもなく、安藤忠雄はその後、世界的な建築家となり、大規模な建築も数多く手がけてきている。率直にいって、その中には、小さな建築をそのまま大きなスケールに拡大したため大味になってしまったものもないわけではない(船でアクセスすると海に向かって大きく張り出した庇が印象的な兵庫県立美術館も、普段は陸側からアクセスするほかなく、林立する巨大な直方体に裏側から近づいていくのは心躍る体験とは言い難い)。しかし、たとえばレム・コールハース的な視点から、都市に背を向けた孤塁としての狭小住宅、あるいは逆に非人間的なスケールの巨大建築を、ハードボイルドなダーティ・リアリズムとして評価するというのは、安藤建築の見方として適切ではないだろう。大規模な建築がダメだというのではない。むしろ、小規模で飾りのない住宅の中でさえ大きな自然を感じさせる――安藤忠雄はそんなストア派の建築家なのではないか。いずれにせよ、いまも刻々と変化し続ける安藤建築を見直すためにも、小篠弘子邸訪問は貴重なヒントを与えてくれる体験だった。


この住宅を転用したKHギャラリー芦屋でプレオープン企画として『WEEKEND』展が開催された。気づくのが遅かったため、小篠弘子・海野厚敬・柴山水咲・田原愛子による第一期は見逃してしまったのだが、小篠弘子・大和美緒による第二期はとても魅力的な展覧会だったと思う。

小篠弘子がデザイン画とは違ってかなり表現主義的に描いたタブローはややエモーショナルに過ぎる印象も受けたものの、皺などもそのままに布を絵の具で塗り込めた一連の作品は、ファッション・デザイナーならではのセンスと絵画としての強度が相乗効果を上げていると言えるだろう。

小篠弘子《WORK #1286「白のファンタジー」》2014年 2200×3800mm



大和美緒は、一方で、情報社会・映像社会における記号の洪水がわれわれの視野を覆っている現状をテーマとしているのだが、その認識自体が紋切型の反復とも言え、京都造形芸術大学・大学院在籍中はまだブレイクスルーまで至らずにいた。大学院を出て初めての展覧会となる今回は、そういう社会的な問題をひとまず括弧に入れ、認識と造形の基本に立ち返った、それが素晴らしい展示空間と相まって見事な効果を生んでいたと思う。たとえば、森の写真とそれを左右反転したものを横につないだ《THEMIS》と《NANA》《RHEA》の3点。ぱっと見ると森のパノラマのようなのだが、次の瞬間には幾何学的な対称性が認識され、真ん中のつなぎ目に寄っていくと左右の形がロールシャッハ・テストのようにさえ見える。森の中の直方体の建築の和室の奥の壁と、手前の左右の壁に、それら3点を対称的に配置する――まさに理想的な展示と言うほかない。他方、大きなガラス窓に張られた赤い平面作品《REPETITION LUMINOUS RED(star)》をよく見ると、赤い地を手でひっかいたような星型の図形がびっしりと広がっているのがわかる。面白いのは、無意識の描画機械となってほとんど自動的に手を動かしているうち、異なる大きさの星形の群れがそこここで接触し、いわば押し合って、全体の、また個々のパターンを歪ませていくところだ。結晶の形成に伴って生ずるような形態形成過程を、自分の身体を使って別の形でシミュレートしているといったところだろうか。元の寝室の湾曲した壁に展示された《ORCHIDS》も含め、若いアーティストがいちど原点に帰った観のある今回の展覧会は、観客として見て楽しめたと同時に、彼女が自分の位置と方向を見定め、これから別の方向に飛躍していくためにも、大きな意味をもつだろう。同じことは第一期の参加アーティストにも言えるのではないか。

大和美緒《THEMIS》2012年 1098×2400mm マイティスプリント


大和美緒《NANA》2012年 910×1098mm マイティスプリント


大和美緒《RHEA》2012年 910×1098mm マイティスプリント


大和美緒《REPETITION LUMINOUS RED(star)》2015年 アクリル絵の具、窓、太陽の光
※写真上右側/写真下(部分)


大和美緒《ORCHIDS》2014-2015年 600×600mm もしくは 300×300mmのガラスと蘭の苗
蘭の苗、染料インク、ガラス、UVカットアクリル額



建築史に残る住宅をギャラリーとして公開し、自分の作品だけでなく若いアーティストたちの作品を積極的に紹介していこうとする――簡単にできることではない。小篠弘子の英断に感謝するばかりである。