浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。
「21世紀にはバルテュス(1908-2001)やフランシス・ベーコン(1909-1992)やルシアン・フロイド(1922-2011)が西洋絵画最後の巨匠と見なされることになるだろう」。半世紀前にそんなことを口にしようものなら、ただちに一笑に付されたに違いない。「『ロリコン』に『ゲイ』に『デブ専』——そんな変態連中が巨匠? まさか!」
実のところ、私はその時代の「良識」はある意味で正しいと現在でも思っている。むろん、彼らの絵画はたんなる倒錯的ファンタスムに還元できるものではないが、そのようなファンタスムが作品の核にあることは否定すべくもない。それらは芸術の本流から離れた物陰で後ろめたい快楽とともに密かに享受されるべき「あぶな絵」であり、だからこそ刺激的なのではなかったか。
しかし、アメリカ現代美術が芸術の本流だった時代から半世紀が経ち、抽象から具象への揺り戻しが進んだあげく、具象画の中心にあるのはやはり人体表現だ、20世紀におけるその代表格がバルテュスやベーコンやフロイドだ、という見方(さしずめジャン・クレールに代表される)が異様な広がりを見せるに至り、彼らの倒錯的なポンチ絵がオールド・マスターズの名品かと見紛う天文学的な価格で取引されるようになったのである。世紀の奇観と言うほかはない。
そのバルテュス(バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)の大規模な回顧展が20年ぶりに京都市美術館で開催される(7月5日-9月7日:前回は京都だけだったが、今回は東京都美術館からの巡回)。実のところ、前回の展覧会に比べても、「巨匠」の「代表作」と言うに足る作品が少なく、生涯を網羅しているわけでもないので、物足りない思いを抱く観客も多いのではないか。しかし、そもそもバルテュスを「巨匠」と見るなどという錯覚にとらわれなければ、楽しめる作品はある。たとえば、シーフード・レストランのために描かれた「地中海の猫」(1949)——虹のような曲線を描いて魚が猫男の前の皿に飛び込んでくるというあの愉快なポンチ絵こそ、バルテュスの代表作のひとつと言っていいのではないか。
バルテュス《地中海の猫》1949年 油彩、カンヴァス 127x185cm 個人蔵
バルテュス《夢見るテレーズ》1938年
油彩、カンヴァス 150x130cm メトロポリタン美術館
Jacques and Natasha Gelman Collection,1998 (1999.363.2).
Photo: Malcolm Varon.© The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY