プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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バルテュス——「巨匠」となった倒錯者?

2014年07月04日

「21世紀にはバルテュス(1908-2001)やフランシス・ベーコン(1909-1992)やルシアン・フロイド(1922-2011)が西洋絵画最後の巨匠と見なされることになるだろう」。半世紀前にそんなことを口にしようものなら、ただちに一笑に付されたに違いない。「『ロリコン』に『ゲイ』に『デブ専』——そんな変態連中が巨匠? まさか!」

実のところ、私はその時代の「良識」はある意味で正しいと現在でも思っている。むろん、彼らの絵画はたんなる倒錯的ファンタスムに還元できるものではないが、そのようなファンタスムが作品の核にあることは否定すべくもない。それらは芸術の本流から離れた物陰で後ろめたい快楽とともに密かに享受されるべき「あぶな絵」であり、だからこそ刺激的なのではなかったか。

しかし、アメリカ現代美術が芸術の本流だった時代から半世紀が経ち、抽象から具象への揺り戻しが進んだあげく、具象画の中心にあるのはやはり人体表現だ、20世紀におけるその代表格がバルテュスやベーコンやフロイドだ、という見方(さしずめジャン・クレールに代表される)が異様な広がりを見せるに至り、彼らの倒錯的なポンチ絵がオールド・マスターズの名品かと見紛う天文学的な価格で取引されるようになったのである。世紀の奇観と言うほかはない。

そのバルテュス(バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)の大規模な回顧展が20年ぶりに京都市美術館で開催される(7月5日-9月7日:前回は京都だけだったが、今回は東京都美術館からの巡回)。実のところ、前回の展覧会に比べても、「巨匠」の「代表作」と言うに足る作品が少なく、生涯を網羅しているわけでもないので、物足りない思いを抱く観客も多いのではないか。しかし、そもそもバルテュスを「巨匠」と見るなどという錯覚にとらわれなければ、楽しめる作品はある。たとえば、シーフード・レストランのために描かれた「地中海の猫」(1949)——虹のような曲線を描いて魚が猫男の前の皿に飛び込んでくるというあの愉快なポンチ絵こそ、バルテュスの代表作のひとつと言っていいのではないか。

バルテュス《地中海の猫》1949年 油彩、カンヴァス 127x185cm 個人蔵



バルテュス《夢見るテレーズ》1938年
油彩、カンヴァス 150x130cm メトロポリタン美術館
Jacques and Natasha Gelman Collection,1998 (1999.363.2).
Photo: Malcolm Varon.© The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY



他方、猫は密室の女性たちの傍らにも物言わぬ共犯者として姿を見せる。『夢見るテレーズ』(1938)——膝を立てて無防備に股間を曝した少女の下で、ぴちゃぴちゃとミルクを舐める猫。あまりにあからさまな「あぶな絵」と言うべきだろう。だが、それにしては、少女や猫の肢体、そして室内の家具や小物は、実に精密に描かれている(その奇妙な不均衡がバルテュスの面白さだ)。その筆致は、やがて画家がトリッキーな構図を必要としなくなるとき、光の中に溶解するようでしかも堅固な存在感を示す『横顔のコレット』(1954)のような、確かにほとんど古典的と言ってよい完成度に到達するだろう。

こうしてみると、バルテュスを「巨匠」扱いするのがおかしい半面、たんなる「あぶな絵描き」と片づけるわけにもいかないのも確かだ。画家の兄で作家・思想家・翻訳家のピエール・クロソフスキーは、夫の覗く前で妻が犯されるというシチェーションに執着して繰り返し描くばかりか自分と妻で活人画として演じさえし、後年には性器も露わな少年の絵を描いて飽きることがなかった。本領である著作に比べ、色鉛筆によるそれらのデッサンが文字通りポンチ絵でしかない(私のようなマニアックな観客はそのポンチ絵に独特の魅力を感ずるのだが)のに対し、バルテュスの本領である絵画はさすがにポンチ絵の域を超えている、その差は明確に認めておくべきだろう。それでもなお、ピエールの本領である小説が「神学的ポルノグラフィ」として読者を挑発するように、バルテュスの一見堂々たる絵画も最後までどこか「あぶな絵」風の歪みを帯びて観客を当惑させるのである。

最後に付け加えれば、この展覧会は、バルテュスの全貌というより、節子・クロソフスカ・ド・ローラ未亡人から見たバルテュス像を中心とするものと言ったほうがよい。1962年に初来日したバルテュスは、20歳の節子と出会って虜になる。バルテュスによる節子のデッサン(例によってかなり際どいものもある)。二人で暮らしたスイスのグラン・シャレと、そこにあった愛用の品々…。画家の生前、いつも非の打ちどころのない着物姿でそっと寄り添う日本人形のような節子の姿を、誰もが感嘆をもって眺めていた。画家の死後、その節子が沈黙を破り、いまでは女性誌の類でバルテュスと自分の「美」の世界について饒舌に語って止まない(それが日本で「巨匠バルテュス」崇拝を広めるのに大きく貢献していることは確かだ)。ダンディだった孤高の画家が生き返ってこのありさまを見たら、愕然とするだろう。そう、良かれ悪しかれ、現実をファンタスムの中に凝結させてしまうこと——女性を人形にしてしまうことはできない。バルテュスと節子の軌跡——その不可避的なズレは、このありふれた教訓を画家にとっていささか残酷な形で物語っている。