プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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豚のように偉大な芸術家の肖像——マイク・リーによるターナー

2015年06月12日

1962年からえんえんと制作されてきた「007」映画版が時代の変化を敏感に表していることはよく語られる通りだ。近年で言えば、ポストモダン期に撮られたピアース・ブロスナンの「007」(1995-2002)が一貫して「お約束」に徹し、死闘を繰り広げた直後でも高級スーツの広告のような姿を変えないのに対し、バブル崩壊と闘争の激化という時代の変化の中で撮られたダニエル・クレイグの「007」(2006-)は、ある程度リアリズムに回帰し、とくにサム・メンデス監督《007 スカイフォール》(2012)では心身ともにボロボロになってなお戦うことをやめない男として描かれた(そこで、母親代わりの指揮官Mの「良き息子」として「悪しき息子」であるテロリストと闘い、その終盤で自らの幼年期の城だった「スカイフォール荘」に戻って敵を迎え撃つという、戦術的におよそ意味をなさないエディプス的な紋切型が浮上してくるのは困ったものだが)。彼はロンドンのナショナル・ギャラリーで新任のQ(武器調達・後方支援担当)と落ち合い、その学生オタクのような風貌に愕然とするのだが、その出会いがターナーの《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号》の黄昏の光の前だというのは、なかなか洒落た演出だと思う。

マイク・リーの《ターナー氏》(邦題《ターナー、光に愛を求めて》)では、この名画を初めターナーの作品の数々が映像でかなりうまく再現される。だが、この映画の見どころはそんなところにはない。タイトルの通り、この映画はターナーという人物の肖像であり、監督はそこでターナーを、地上を這いまわりながらあらゆるものを体で体験してゆく豚のような男——だからこそ天上の光をも絵の具でとらえようとしてやまぬ画家として描いた。彼は死の床で「光は神だ」と叫び、痙攣的に笑った/笑うかのように痙攣したかと思うと、息絶える。「光に愛を求め」た男が最後に光=神によって救済されたということなのだろうか——日本語版のサブタイトルが、また「太陽に解放された男」という日本語版パンフレットのエッセーが示唆するように?

© Channel Four Television Corporation, The British Film Institute, Diaphana, France3 Cinéma,
Untitled 13 Commissioning Ltd 2014.



ここで、2013-14年に日本を巡回したターナー展にも含まれていた《レグルス》という作品を思い出そう。ローマの将軍レグルスは、カルタゴの暗い地下牢で瞼を切り取られてから外に引き出され、北アフリカの眩い太陽に目を灼かれて失明する——処刑に先立つプレリュードとして。ターナーはそのレグルスの姿ではなく、まばたくことのできないレグルスの目に最後に映ったであろう光景——クロード・ロランの夕焼けが強度を増し、白熱した光が世界を灼き尽くすかのような光景を描いた。 それは眩い絵画——観る者の目をも灼き尽くさんばかりの絵画なのである。

そのような絵を描いたターナーが、光=神=愛による救済=解放などという安っぽいお題目を信ずる幼稚なアイディアリスト(さしずめこの映画でいささか不当にカリカチュアライズされる若きラスキンのような——だが、ターナーが後にターナーの擁護者として有名になる批評家の長口舌にうんざりしつつも何も言わず、童話の挿絵のようなラファエル前派の絵にいたっては一瞬鼻で笑うかのようにするだけという演出は、実にうまい)であったはずがない。ターナーはしたたかなマテリアリストとして救済のない世界の中で豚のように生き豚のように死んだ——光が暴力でもあることを知悉してなお光を求めながら。マイク・リーはターナーをそういう豚のように偉大な画家として描いている。

© Channel Four Television Corporation, The British Film Institute, Diaphana, France3 Cinéma,
Untitled 13 Commissioning Ltd 2014.



ちなみに、夏目漱石は1900年にロンドンに留学してラファエル前派などに親しむ一方、ラスキン(当時世界中から崇拝されていた)を通じてターナーを深く知るようになる。漱石がこの映画を見たら果たして何と言っただろう。実際にラファエル前派が嫌いでなかっただろう小説家としては、一見アイディアリズムのかけらもない描写に辟易しただろうか。それとも、マテリアリズムに徹した描写を面白がっただろうか。普通「則天去私」の理念を描いたと言われる未完の遺作『明暗』を痔の診察の場面から始め、物語の背景として自らも体験した痔ろうの手術を描いた小説家なら、後者のような気がするのだが……。