プロフィール

浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。
同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。
著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。

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横尾忠則の終わりなき反復

2012年11月02日

王子動物園近くにあった兵庫県立近代美術館をいまも懐かしく思い出す向きは多いだろう。阪神大震災で被害を受けた美術館が、HAT神戸に新設された兵庫県立美術館(安藤忠雄設計)に移転したあと、耐震補強された旧館の一画に、新しく横尾忠則現代美術館がオープンした。横尾忠則には、すでに生まれ故郷の兵庫県西脇市に列車を思わせるデザインの美術館(岡之山美術館:磯崎新設計)があり、本来はそこに「車両」を継ぎ足していくと面白いのだろうが、簡単に行ける場所でないのが玉に疵だ。誰にでも行きやすい場所、それも横尾忠則が神戸新聞に就職し新婚家庭を構えた青谷のすぐ下にある旧近代美術館に、その作品をまとめて収蔵・展示する美術館ができたことを、素直に喜びたい。

画家はオープニングで「倉庫を探していたらこんな美術館ができてしまった」と茶化していたが、オープニング展(2012年11月3日-2013年2月17日 )は他の美術館からも作品を借りて横尾芸術の全貌をざっと展望できるように構成され、見ごたえがある。1960年代から現在にいたる作品がテーマ別に展示され、「反反復復反復」展というタイトルの通り、ほぼ半世紀前のあいだ同じテーマが間歇的に反復・変奏される過程を見ることができるのだ(とくに3階ではオープニングの直前に画家自身が作品の横の壁にマジックで書き入れた制作年を参照しながら)。そこに「進歩」や「成長」はない。そうではなくて「反復」による変異がある。本質的に反時代的なアーティストである横尾忠則(なにしろ世界の最先端を走るグラフィック・デザイナーだったのが1981年に突然ペインティングへとアナクロニスティックとも見える転回を遂げたのだから)の不可思議な魅力は、その「反復」のほうが「進歩」や「成長」よりはるかに豊かな作品世界を生み出すところにある。

今回は展示されていないが、横尾忠則の膨大な夢日記はそのメカニズムを理解する上で最良のヒントになるだろう(それを含むのかどうか、ともかく4階のアーカイヴにまだ未整理のまま積み上げられている資料はこの美術館の貴重な財産となるはずだ)。その驚くべき量は「無意識過剰」とでも言うべき資質のあからさまな現れだが、それを日記形式で絵も添えて詳細に記述する手つきは意識的なエディターのそれだ。横尾忠則は確かにグラフィック・デザイナーからペインターへと軸足を移したのだが、彼の中には割合の差はあれつねに両面が同居しており、それが際限のない反復と多様なヴァリエーションを通したあの豊かな作品世界を生み出すのだと考えられるだろう。

76歳にもなる作家がほぼ半世紀前の自己を反復する——いっそうみずみずしい(時には幼稚と見えるほどみずみずしい)形で。そういう意味で、オープニングで瀬戸内寂聴、三宅一生、蓑豊(県立美術館と館長を兼任)らと並んで挨拶した安藤忠雄の示唆するように、横尾忠則現代美術館は文字通り「回春の館」と言ってもよい。しかし、逆に言えば、そこに描かれる「青春」には最初からつねに死の影が差している(それは横尾忠則に付きまとう戦争の記憶と無関係ではない)。そもそも「進歩」と「成長」に「反復」が取って代わるとき、生と死も終わりなき循環の中に飲み込まれるのである。そしていま、「個人美術館は作家が死んでから作られるのが普通なので、生きながら美術館を作ってもらった自分は生きながら死者になったようなものだ」とまで横尾忠則は言ってのけるのだ。

その意味では、いま横尾忠則が進めている新しいプロジェクトが豊島の「葬館」——旅立つ死者を浄土のヴィジョンの中で送り出すパヴィリオンだと聞いても、驚くには当たらないだろう。福武總一郎の依頼で、建築家・永山祐子との共同作業によって計画され、来年の瀬戸内国際芸術祭にあわせて建設されるこの「葬館」に関しては、先ごろ東京の SCAI THE BATHHOUSE でお披露目の展覧会があり(9月7日- 10月6日)、彼にはもってこいのプロジェクトに触発された横尾忠則の新たな想像力(妄想力?)の爆発が見られた。とくにベックリンの「死の島」をパロディした大作のペインティングは驚くべきものだ。そこにベックリンのオリジナルのような暗い影はない。むしろ、ベックリンのモデルだったヴェネツィアのサン・ミケーレ島そのもののように明るく乾いた南国の空気が画面全体を満たす。そう、それは、死というのが暗い悲劇として意味づけられる以前にまずはあっけらかんとした出来事であることを、「底なしの深さのなさ」によって物語っているかのようだ。それにしても、私は以前から「よく生きる(ベネッセ)」ことには、よく老い、よく死ぬことも含まれているのだから、老人介護施設や墓地もつくるべきだろうと言っていたのだが、それらに加え、これほど破天荒な「葬館」までつくってしまおうというベネッセ・グループ総帥のヴィジョンには、あらためて驚嘆するするほかない。

それで思い出した未完のプロジェクトがある。今回の展覧会には三島由紀夫の肖像も含まれているが、実のところ、かつて三島由紀夫と横尾忠則には、「男の死」というテーマで、二人がさまざまな死にざまを演じ、それを篠山紀信が撮影するという、興味深いコラボレーション・プロジェクトがあった。現に三島は1970年の「自決」の直前まで何度も撮影セッションに臨み、自ら血糊の色味なども詳しく吟味しながらさまざまな死にざまを撮影させたという(横尾忠則の絵に引用された殉教する聖セバステャンとしての三島由紀夫像も、実はこのシリーズの一環として篠山紀信が撮影し、澁澤龍彦編集の『血と薔薇』創刊号[1968年]巻頭に掲載されたものだ。三島といえば細江英公撮影の『薔薇刑』[1962年]があまりに有名だが、どうやら本人はあのモノクロームの写真では満足できず、ある意味でもっと「ポップ」な極彩色の写真を望んでいたのだろう)。しかし、三島があまりに派手な「事件」を起こして死んだあと、横尾忠則は自分の分を撮影する意思を失い、計画は宙に浮いてしまったのである。だが、数年前から彼は、「男の死」ではなく「画家の老醜」ならやってもいいかな、と語るようになった。老いることを拒否した三島由紀夫(いま生きていたら87歳になる)が生の絶頂における「男の死」を演じ、当時は彼より若かった横尾忠則が76歳のいま終わりなき反復の途上にあって「画家の老醜」で共演する——これ以上の事件はないと思うのだが、どうだろうか。