シャガールのユダヤ劇場
マルク・シャガール(1887-1985)は、ロシア革命とともに燃え上がったアヴァンギャルド芸術運動と一時的に同調しながら、マレーヴィチのような急進派にはついて行けず、結局はロシアを去り、異郷にあって故郷ヴィテブスク(ベラルーシ)のユダヤ文化への郷愁と愛の夢を飽くことなく描き続けた画家だ。その絵筆から繰り返し巻き返し湧き出してくる、良く言えば愛すべき、悪く言えばイージーな幻想絵画の数々は、美術館や画廊から百貨店の催事場までを埋め尽くしている。いまシャガール展が開催されたとしても、あらためて見に行こうとは思わない、それが正直なところだろう。
だが、京都文化博物館に巡回してきた
今回のシャガール展(10月3日-11月25日)はちょっと違う。「愛の三部作」とも言うべき代表作「誕生日」(1915年:ニューヨーク近代美術館)・「街の上で」(1914-18年:トレチャコフ美術館)・「散歩」(1917-18年:ロシア美術館)のうち後の2点、さらに「結婚式」(1918年:トレチャコフ美術館)が一室に会するという理由だけではない。確かに、立体未来派的な形式と結婚直後の幸せな夫婦のイメージがひとつになった画面は、静かな高揚感に満ち、思いのほか抑制された色調も素晴らしい。だが、それらはシャガールの最良の作品であるにせよ、結局はすでに見慣れた幻想絵画の延長上にあるもので、10年前に東京と京都で開かれたカンディンスキー展でロシアの別々の美術館が所蔵する1913年の大作
「コンポジションⅥ」と「Ⅶ」が並べられたときほどの興奮は与えてくれないのだ。
この展覧会の焦点は、むしろ、1920年にシャガールがモスクワの国立ユダヤ劇場のために描いた、幅8メートルの大作をはじめとする7点の壁画群が、ほぼ元のままの形で展示されるところにある。天井画と緞帳は失われたが、それ以外は辛うじて破壊を免れ、トレチャコフ美術館に秘蔵されていた。1922年にロシアを去り、1973年になってやっと再訪の機会を得た85歳のシャガールは、失われたと思っていた若き日の作品と思いがけぬ再会を果たし、53年ぶりにサインを書き入れたのだ(ただし、修復をへて展示に至るまでには、さらに20年近い歳月が必要だった)。
8メートルに及ぶ「ユダヤ劇場への誘い」には、シャガール・ファンには馴染み深いヴァイオリン弾きをはじめとする多種多様な形象が描きこまれているが、全体が幾何学的パターンで虹のように塗り分けられているため(ラリオノフらのルチズム[レイヨニスム]を思わせるところもある)、後年の壁画のように充満もせず散漫にもならず、軽やかなリズム感と統一感を兼ね備えている。対面する壁に掛けられた「音楽」・「舞踊」・「演劇」・「文学」は、縦長の画面に楽士・ダンサー・道化・書き手(トーラーの写経をするかのようでいて「昔々」と物語を書き出している)を等身大を超えて大きく描き、シャガールの絵には珍しくパンチが効いている。これらの画面のそこここにコラージュ的な手法が見られるのも面白いし、小さく書き込まれたヘブライ文字も印象的だ。とくに、「文学」で書き手の背後の「病気の牛(=死者の霊)」の口から出てくる「シャガール」という名前。
「シャガールの箱」と呼ばれたこのユダヤ劇場の壁画には、革命の夢がほとんど破れて故国を去る運命にありながら、私秘的な幻想に閉じこもる前、あくまで社会に向けてユダヤ文化を解放していこうとする若いアーティストの、慌ただしく描かれたがゆえに荒削りな、しかしそれだけにヴィヴィッドな表現の奔流を見ることができる。それをシャガールの最良の作品と言えば、言い過ぎだろうか。少なくとも、パリのオペラ座(ガルニエ宮)の名高い天井画(1964年)と比べても、狭く貧しいユダヤ劇場の壁画のほうがはるかに素晴らしいと言えるのではないか。
後年のシャガールの美しくも退屈な世界を見飽きたと思い込んでいるわれわれに、固有のモチーフを守りながらなおアヴァンギャルドの一端を担って躍動する若々しい冒険家の姿を突きつけてくる、これは爽快な驚きに満ちた展覧会である。