プロフィール

小崎 哲哉(おざき・てつや)
1955年、東京生まれ。
ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。
写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。
京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。
あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。

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文化庁の移転について

2016年03月04日
文化庁の京都への移転が話題になっている。千年の都とあって、京都人は概ね賛成・歓迎しているように見える(例えば、京都新聞に掲載された記事を参照)。公に「ノー」と表明したのは、共産党と井上章一氏くらいではないか。

共産党は「(文化庁が)東京から離れることで非効率が生じる」と主張し、市会会議(議会)で反対した。井上氏は「(洛中ではない)右京区の嵯峨で生まれ育った私を、『京都の人』ではない、と言って見下してきた京都人が、その誇りをかなぐり捨てて誘致する。『こんなやつらにバカにされ続けてきたのか』と、私は釈然としない」と語っている(2016年1月10日付『朝日新聞』。昨年刊行された『京都ぎらい』を読むと、言葉の背景にある微妙なニュアンスがわかる)。

だが重要なのは「効率」や「誇り」ではないだろう。なぜ移転が必要か、文化庁が京都に来ると何が変わるのかについては、議論も検証もほとんどなされていない。山田府知事や門川市長がいうところの「オール京都」の意見は、おそらく市長の以下の弁に集約される。「政府関係機関の移転は,国が地方創生で掲げる東京一極集中の是正に向けた大きな一歩となるものであります。また,有形,無形の文化資産が数多くあり,伝統芸能,伝統文化から現代芸術まで多様な文化が息づいている世界の文化首都・京都に文化庁を移転することは,地方創生における全国のモデルとなる取組であると確信いたしております」(平成27年5月。市会定例会)。

市会の会議録をざっと見た限りでは、上述の市長発言にある「モデル」、あるいは山中博昭市長公室政策企画・調整担当部長が言う「象徴的な取組」(平成27年10月 決算特別委員会第1分科会における答弁)という位置付けを超える、移転・誘致の実質的な意味は誰も述べていないようだ。「京都=文化」という図式はいかにもわかりやすいが、これでは安倍政権と石破担当大臣が掲げる「地方創生」のお先棒と思われても仕方ないだろう。

まっとうなのは、この3月4日に朝日新聞「声」欄に掲載された以下の意見だろう。元文化庁文化部長の渡辺通弘氏が投稿したものである。

「政府は、地方創生策として文化庁を京都に移転することを決めるようである。京都には文化財が多いというのが理由らしいが、文化庁には文化財の保護だけでなく、現代芸術の振興の役割もある。(中略)芸術関連の全国団体のほとんどは東京にある。芸術系の教育機関も、劇場などの芸術施設も東京に集中している。そんな中で文化庁を京都に移せば、芸術振興策の執行に支障をきたすのは火を見るより明らかである。(中略)文化庁を芸術関連のインフラが貧弱な京都に移すのは、芸術の都パリから芸術を引きはがすのと同じで、芸術軽視としか言いようがない。安倍政権は、まず移転ありきではなく、芸術振興をどう進めるかについて具体的な政策を打ち出すのが先である。さもなければ、日本は文化国家としての資質を疑われることになろう。」

僕は、文化庁は京都に来てもらってもよいと考える。ただし、せっかく来るなら「みやげ」を持ってきてほしい。京都国立近代美術館に特別予算を付けて現代アートの展覧会を増やすとか、非課税のアート特区を設けて国内外のコマーシャルギャラリーやアートフェアを誘致するとか、文化庁直営のスペースを作ってTPAM的な舞台芸術見本市を開くとか、現代の諸問題を語らう国際会議を定期的に開催するとか。そうした「実利」がない限り、移転には意味がないと言わざるを得ない。

過去の文化財を守り続けなければならないのは当然だ。だが、有形無形を問わず、未来に文化財となるものを生み出してゆくことも、それに劣らず重要ではないだろうか。現代芸術の一極集中を是正するためにこそ、文化庁の移転があってほしい。