京都市学校歴史博物館で開催中の企画展の見どころは「所蔵先」である。ほとんど全部小学校か中学校か幼稚園なのだ(すでに統合されていたりするため「元」が付いている。管理は京都市学校歴史博物館)。例えば植物・動物画家として知られる
山口華楊の「凝視」(1962)は、元・格致小学校蔵。格致小は子供のころ、華楊が実際に通っていた小学校で、それが縁だったのだろう、オスのライオンがこちらをジッと見つめているこの絵は、第5回日展に出品され、同年寄贈された。ただ、寄贈前に目を優しく描き直したという。子供達を怖がらせないための配慮だろう(きっと描き直している華楊自身も優しい目になっていたにちがいない)。
谷口香嶠の「公助受父笞図(きんすけちちのむちをうくるのず)」(明治期)は対照的だ。孝行息子ゆえ老いた父を追いかけさせることなどできぬと、自ら進んでひざまずき、老父がゴルフのスイングよろしくムチを振り下ろす。迫力あるこの一幅は、当時、修身の大教室に生徒達と向き合うように展示されていた(所蔵先の元・立誠小学校で以前、再現展示がなされたようだ)。当時の小学生を震え上がらせていたことだろう。
香嶠は円山派の
幸野楳嶺のお弟子さんだが、同門に竹内栖鳳、都路華香、上村松園らがいる。この3名も本展の出品作家だ(小品だが)。栖鳳の「虞美人草」などなかなかよろしいですな。松園は、開智小学校出身だがそれはこの京都市学校歴史博物館の元の姿である。前述の山口華楊の通った格致小学校出身者には梅原龍三郎がいるが、梅原もまた本展出品者である。また華楊のお師匠さんである西村五雲も出品者である。その五雲は栖鳳のお弟子さんである。こんな具合に相互に連関しているのが京都らしいし、面白い。
このようなオールスター美術展示の試みは、京都市学校歴史博物館で数年に一度はやっている。おれも赤面ものの初ブログで紹介したことがあるが(ああ、あれからもう5年になろうとするのだ!)、大人200円という入場料の素晴らしさは繰り返して述べておきたい。ただ、これまでは出品作の一覧がウェブサイトでわかるようになっていたが今回はそうなってないようなので、上記以外のめぼしい出品作家を記しておくと、菊池契月(美人)、月岡芳年(怖くない)、今尾景年(技術)、秋野不矩(男前)、橋本関雪(達者)、伝狩野永徳(!?)、久保田米僊(素敵!)、堂本印象(まあまあ)、福田平八郎(律儀)、安井曾太郎(雑)、向井潤吉(素朴)、湯川秀樹(書「一日生きることは一歩進むことでありたい」)、富岡鉄斎(怖い)、小野竹喬(いいなあ)、河井寛次郎(毎度)など。
菊池契月の出品作「姜詩妻」(1907年ごろ)の所蔵先は元・明倫小学校、現・
京都芸術センターだが、ここで開催中の企画展の見どころは、3階までのスロープと4階の和室だ。デンマークの作家10名による展覧会とのことだが、この前者Tumi Magunusson「Travelstretch」とJacob Kierkegaard 「A Lecture on Nothing」は、この土日、暇があったら是非見てほしい(
5月14日[日]まで)。聞こえてくるのは音だけ。両者とも、作家は真面目にやっていて、だからこそ(この「だからこそ」が作者の思惑でもあろうが)我々は思わず笑っちまうだろう。説明も何もない。これだからインスタレーションは面白い。この1ヶ月、ビジュアル表現を追うのに疲れた目には、ちょっとしたクールダウンの役目も担っているだろう。