高松次郎 制作の軌跡
こんな楽しい展覧会は久しぶりだ。今すぐ恋人をさそって、見に行こう。映画館なんかじゃないぜ。芝居でもないぜ。だって映画や演劇は、見ているあいだ、こっちはしゃべれないじゃないか。この展覧会は、親しいあいつと、もっとたくさんおしゃべりするためのそんな機会だ。もし、片おもいだったら、ちょうどいいタイミングさ。勇気を出して、今日にでもさそってみようよ。この展覧会にはおしゃべりをさそうたくさんのタイミングがちりばめてある。おしゃべりを誘発する装置が、この作家の作品だといってもいいくらい。
展示風景(1960―1963 点)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
展示風景(1967―1968 遠近法)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
展示風景(1969―1971 単体)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
会場には、そんな2人の邪魔をしないように、余分な解説はどこにもない。でも、それがとても自然なんだ。会場を満たす言葉は、メモ書きの大好きなこの作家がドローイングと称して書きつけた数々の言葉と、あとは見てるぼくらのおしゃべりの言葉だけ。この展覧会が、全館すべてを使っているってことも、とても大事だ。つまり、なかなか、2人は美術館から出られないのさ。速読するようにさっさと展覧会を見終わったら、おしゃべりだって、盛り上がらないでしょ。まだ続くの?ここは、どこなんだ?どこまで行っちゃうのさ?!と、ぼくらが不安になるという意味で、この展覧会は、オバケ屋敷にちかい。何か得体のしれないものが、不意に心に入り込んでくる気配が濃厚にある、そんなオバケ屋敷。だから、ほら、彼女の手を握ったっていいわけだ(ぼくはできなかったけどね)。
展示風景(1972―1973 単体から複合体へ)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
展示風景(1974―1976 複合体と平面上の空間)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
《影》1977年 国立国際美術館蔵
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
見所はアーティストの全人生を全館を使って見せる、この展示そのものだ。小刻みに展示の壁を変化させる地下3階のフロアと、大きくゆったりと仕切った地下2階のフロア。明らかにリズムを変えて見せている。
展示風景(1964―1966 影)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
たとえば前者のフロアにある「影」のシリーズは、まるで絵本のページをめくるようにね、部屋を分けて、作家の変化を感じさせているんだ。たった2年ほどだから、単純に変化を時系列で分割できない。でも、かすかに初期の「影」から中期の「影」、後期の「影」というふうに、その「濃淡」が、色は同じなのに、感じられる。後期の「影」には、おわかれの予感がある。作者は、もうそのアイデアの限界を知っている、という、そういう気配が濃厚なんだ。初期、中期は、その「影」の思いつきに、作者も入れあげて、ものすごく熱い。でも、後期になると、「あ、終わりだな」ってね、見てるぼくらもわかるんだ。説明的な文章なんかはどこにもないんだけど、それを会場構成と作品だけで実現してるんだぜ。すごいぜ。
展示風景(1977―1982 平面上の空間・空間・柱と空間)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
後者のフロアでは、彼の作家としての人生の後半戦を見ることになる。区切ることが意味を失った、たぶん今ではあんまり注目されないような仕事群だ。単行本や雑誌の表紙、絵本の仕事、つまり、印刷物の世界での仕事がより多くなっていることから、絵を描いてもなんだかイラストレーションになっているような印象を受けるけど、意外とおもしろいんだ。
展示風景(1983―1997 形)
「高松次郎 制作の軌跡」2015年 国立国際美術館(撮影:福永一夫)
©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
とくに、最後の「形」の大きな絵のシリーズ(「形/原始」)なんか、これ、長新太の世界にすごく近づいているよ。長新太のような絵を描く、あんな色を使うようになる晩年なんて、すばらしいじゃないか。ぼくはこの目で見たけれど、30代くらいのお父さんが、乳母車に乗った子供の指示に従うように、この絵の前に行ったんだ。その乳母車の子供は、高松さんの絵とおしゃべりし始めた。子供はまだ、ばぶばぶという感じで、日本語はうまくしゃべれないようだったけど、でも、高松さんとはしゃべれたんだね。
(福永信 ★★★★★)
高松次郎《形/原始 No.1385》1996年 油彩、カンヴァス 国立国際美術館蔵
「高松次郎 制作の軌跡」国立国際美術館 B3F/B2F 2015年4月7日(火)〜7月5日(日)
と、こんなふうにここまで読んでもらったのは先日(7月5日)まで、RK PICKS欄にあった高松次郎展のための文章で、ブログのために書いたのではないんだけども、編集部のすすめもあり(会期が終わるとRK PICKSのテキストは消去される)、この場所に再掲させてもらった。写真も国立国際美術館の御好意により今回あらたに特別にお借りした。展覧会の会期は終了したけれども、これらの貴重な会場写真によって、ぜひ追体験してもらえたらと思う。
と、ここでさよならでもいいのだけれどもそれもさみしいので、もうひとつ、僕の文章をこの際、再掲させてもらいたい。同館で2012年に開催された、「リアル・ジャパネスク:世界の中の日本現代美術」展のための文章である。広報紙に掲載された、展覧会へお客さんを呼び込むためのもので、RK PICKSの文章と同じ役割を担っているのだが、共通点がもうひとつあって、それは、高松展も「リアル・ジャパネスク」展も、担当の学芸員が同じ人物だということである。この人物・中西博之氏は、2011年の「オン・ザ・ロード 森山大道」展も担当しているが、雄弁な写真家の歩みを冷静に分析しながら、余計な言葉(説明)を排して、会場の構成のみで観客を説得するその手腕は、今回の高松次郎展にも、「リアル・ジャパネスク」展にも、あざやかに発揮されていた。そんなわけで高松展の呼び込み文再掲のカップリングとして相応しいと思った次第です。あ、これは余談ですが、youtubeで「ニュースの視点 高松次郎」とかで検索すると、中西&高松の貴重な映像が見られることを小声で付け加えておきます。
では「リアル・ジャパネスク展を見る二週間前の場所から」(「国立国際美術館ニュース」2012年8月号に掲載)をどうぞ。(なお今回、若干の修正を施しました)
〈リアル・ジャパネスク展チラシ 表/裏〉
グラフィックデザイン:長谷川充信
リアル・ジャパネスク展を見る二週間前の場所から
福永信
忘れられない展覧会がある。柳幸典、アイデアル・コピー、大森裕美子、岡﨑乾二郎など6名と1組を出品者とした、それはグループ展だった。まだ20代前半のぼくには最高のメンバーがそろっている展覧会に思えた。若僧の目から見ても非常にかっこいい作品を、孤高のスタンスで展開していたこれらの作家達を美術館で見られる機会なんて、なかなかなかったから。もう16年も前の話だ。
展示風景 柳幸典
手前《ワンダリング・ポジション―モノモリウム・ミニマム1》1995年 作家蔵
奥《アジア―パシフィック・アント・ファーム》1994年 高松市美術館蔵
「美術家の冒険 多面化する表現と手法」1996年 国立国際美術館
それはただの展覧会じゃなかった。それは彼ら、彼女らの、その彼ら彼女ららしさそのものが見られる展覧会だった。つまり、ひとりの作者によって制作される、場合によってはバラバラに見えもする異なるタイプの作品群を、ひとつの美術館のなかで、一挙に展示しよう、というもくろみだった。画家でも彫刻家でもなく、「美術家」としか呼ぶほかない、彼ら、彼女らに注目したその展覧会は『美術家の冒険 多面化する表現と方法』と名づけられていた。
まさにそれは「冒険」だった。たとえば柳幸典は、美術館の外へ向かって、探検家さながら手さぐりですすんでいく。アイデアル・コピーもまた、場所なき場所をたゆたいながら、手ごたえのない情報世界にわれわれを連れ込む。大森裕美子は、きわめてプライベートな、ひとりの空間、いや、もしかしたら、だれひとりいない空間にわれわれを置き去りにする。岡﨑乾二郎は、すでにあるこの場所そのものを疑ってかかるという、まるで自分の足の裏を見上げるような、やっかいな問いに、かかんにいどんでいる……それらのまったくの異端児達を、ひとつの美術館に、区分けはされるとはいえ、個展ではなく、グループ展として、ひとつの場所に、もってくるという「冒険」――。おそらくは会期初日をむかえるまで、さまざまな妥協や、アクシデントがあっただろうと思われた。パーフェクトな展示というわけでもなかったと思う。でも、たしかにそれは、その「場所」にあった。そのときの興奮は忘れられない。好きな作家の作品が、図版でしか見たことのなかったそれらが、ひとつの場所に、一挙に、とうとう実際にあるのだ、目の前に!
展示風景 大森裕美子
「美術家の冒険 多面化する表現と手法」1996年 国立国際美術館
カタログにもおどろかされた。本という形式によってその「場所」を再現しようとしていたからである。しかも、カタログによせられた企画者の言葉は、出品者への愛にあふれながらも、極めて明晰に、この展覧会の「場所」を物語っていた。カタログの言葉といえば、作家に対するだらしのない褒め言葉ばかり読まされてうんざりさせられることも少なくないが、これは違った。たとえばトップバッターに据えられた柳に対する解説ページでは、政治的な作品が彼の代表作となっていることの意義を認めながらも、近年その「枠」でのみ制作をつづけているように見える、と指摘する。その「枠」は彼の本意ではないはずだし、「さまよえる位置」をみずからの姿勢とする彼には相応しくない、何しろ最新の出品作には、堂々たるそれらの代表作とは異なる、荒削りな彼本来の「位置」が垣間見えているではないか――。「私は本当の柳の姿がみたいと思う」、解説の文章の最後を批判的にそう締めくくっていた。通常では目にしないような、遠慮のない、書きぶり、終わり方だった。それは柳の最大の理解者の言葉のようにも思われた。読みながらぼくは涙が出そうだった、といってもいい。モノレールに乗りながら(当時、国立国際美術館は万博公園にあった)、その展覧会のあった場所からどんどん遠ざかりながら、記憶を心に刻もうとするようにむさぼるように文章を読みながら、「美術家」と同じように、ここには本気で、ものを考えようとしている人がいる、書いている人がいるということがわかったからだ。
展示風景 大野智史
「リアル・ジャパネスク:世界の中の日本現代美術」2012年 国立国際美術館
(撮影:福永一夫)
忘れられない展覧会になる。そう予感される展覧会がこれから始まる。この原稿を書いている時点では、まだ、ぼくはこの『リアル・ジャパネスク:世界の中の日本現代美術』を見ていない。見ていないというか、見れない。まだ、この展覧会自体が、開催されていないからだ。まだこの世界のどこにも、その場所はない――いや、じつは、そうともいいきれない。ひとりの男の頭のなかに、それは、ある。そこでぼくは、企画者である学芸員、中西博之に話を聞くことにした。16年前にぼくをわくわくさせた学芸員が、今、なにを試みようとしているのか、それを知りたかった。
当初の予定を大幅にオーバーして3時間にもおよんだ中西との対話の全部をここに書くことは不可能だ。だが話を聞いていると、「この男ならば、あの『美術家の冒険』展を作ることができたのもうなずける」と思った。会場図面をひろげて、ノートパソコンで作品の画像を見ながら、出品作家の全員について、非常に丁寧に(というのは、ここに出品されている美術家のほとんどを、ぼくは知らなかったから)解説してくれたのだが、その語り方は、まるで旅人が、自分が視覚と嗅覚と聴覚を駆使して歩き、見てきた、感動し感銘を受けた場所を振り返ってその様子をありありと語ってみせる、そんな感じなのだ。聞いてるこっちはわくわくさせられっぱなしだ。「作品を作るボキャブラリーを決めているところがある」貴志真生也、「東京を描く」南川史門、「宝島、船長室、全部新作」の竹川宣彰、「尽きないアイデアの泉」の泉太郎、「ちょっとした絵の傾きを見逃さない」五月女哲平、「今こそ絵画に着目したい」佐藤克久、「絵画のみで勝負」の大野智史、「旧作も捨てがたい」竹﨑和征、「イメージから造形への旅」の和田真由子――今、こうして書き付けているのは、ぼくのそのときのメモに基づく中西から聞き取った言葉の断片でしかないのだから、丁寧な彼の語り口はまったく再現できてないのだけれども、こうした言葉のキレハシを見ているだけでも、「わくわく」する感じがどこからか伝わってくる。それはチラシからも感じられる。
チラシには中西による、これはどういう展覧会かをざっと語った文章があるが、わずか原稿用紙1枚余りなのに、「日本に生まれた」という表現が、2回もくりかえされている。むろん「リアル・ジャパネスク」を強調するためのフレーズだろうが、具体的には出品作家について述べた表現である。まずひとつめは、欧米美術、先行世代等の問題を克服して、「真に新しい美術作品を制作することが、1970年以降に日本に生まれた美術家の課題かもしれません」と書かれる。中西は、ぼくとの対話のなかで、やはり、同じようなことを語ってくれていた。「欧米中心の影響下にある美術もダメで、日本に内向するのもダメ。そうじゃなくて、しかしそれでも『日本』としかいいようのない、現代の美術をさがしているんです。何かわかりやすい潮流があるわけではないが、見極めることは、できる」と。つまり、こういうことだ、今、日本の現代の美術の場所は、どこにあるのか?
展示風景 竹川宣彰
「リアル・ジャパネスク:世界の中の日本現代美術」2012年 国立国際美術館
(撮影:福永一夫)
それを見い出すために呼び集められたのが、先の9名である。中西の話を聞いていると、この9名も、かつての「美術家の冒険」の出品者達のように、それぞれはたがいにバラバラであるように見える。バラバラであることにおいて、一致しているといえるかもしれないほどだ。これは出品者の一人が漏らしていた言葉だというが「最初で最後の組み合わせ」だというのもうなずける。「彼らは徒党を組まない」とも中西は言った。
もうひとつの「日本に生まれた」は、「1970年代・80年代に日本に生まれた者としての子供・学校時代の経験をも作品に結びつけています」という一文のなかに出てくる。ここにある「経験」にはおそらくいろいろな意味、時間の幅があるだろうけれど、狭義には小学校時代の「図画工作」のことを指していると思う。そう、ここに出品している美術家達は、どこか図工の時間のあの感覚をもっている。「あの感覚」とは、あるルールを設定されながら(教師などから)、にもかかわらずそれを自由に逸脱してしまうような能力、というか、端的に「力」のようなものである。今では図工の授業時間を短くするような議論もあるらしいが、むしろ、いつまでもその時間を延長させたい、そんな魅力的な時間の持続を求める心のことである。そんな図工的な心が大人の彼ら、彼女らを結びつけている、というか、「大人」なんて言葉をそもそもまったく認めてないのが「美術家」だ、「大人」なんてどこにいるんだ、という人生の実践こそが、「リアル・ジャパネスク」展の9名の作品群なのかもしれない。だから、もしかしたら、この展覧会は、子供といっしょに見るといい。子供をつれていくのではなく、子供につれてってもらう、そんな感じで。まるで、「冒険」をするような、わくわくする気持ちで。
展示風景 佐藤克久
「リアル・ジャパネスク:世界の中の日本現代美術」2012年 国立国際美術館
(撮影:福永一夫)
しかし、その場所は、消える。会期が終われば、どこにもなくなる。図工の時間が終わるように。でも、会期は終わったとしても、それは「ない」のじゃない。見た人の頭のなか、心のなかに、入り込む――16年前のあの展覧会のように。そこは、生存競争のもっとも過酷な「場所」である。人は、忘れっぽいから。いいかげんで、いつでも勝手に記憶を改変するから。でも、と美術は思っている。それでも、そこが居心地がいいと、美術は思っている。人とともに、生きているような気がするから、と美術は思っているはずだ。「日本に生まれた」展覧会は、心のなかという、「日本」なんかよりも、ずっと大きな世界に、生まれかわる。
(2012年6月25日記)
画像提供:国立国際美術館
「高松次郎 制作の軌跡」
2015年4月7日~7月5日 国立国際美術館
「リアル・ジャパネスク:世界の中の日本現代美術」
2012年7月10日~9月30日 国立国際美術館
「美術家の冒険 多面化する表現と手法」
1996年9月5日~11月24日 国立国際美術館