理由はない。とにかく、この「山」をのぼるべし。
「山/完全版」という名の「バンド」の展示。完全に自由な展示だ。一歩、足を踏み込んで、不安になると思う。それは野生を感じるから。ほとんど説明もないから。どれが作品で、これが何なのか、わからないかもしれないから。美術館でのインスタレーションに慣れちまったぼくらの目は、マップ片手に歩かないと不安でしょうがないが、ここはそんなのは役に立たない(マップなんか、ない)。自分の目だけが、役に立つ。あるいは耳だけが、つまり、動物の感覚が手さぐりされる。主に、メンバーの伊藤存のしわざだと思う。この「山」には傾斜はないが、会場を後にするころには、自分の視線がななめになっている。転ばないように要注意だ。
よく「あの展覧会のオープニングは伝説的だった」とか喧伝する向きがあるが、ああいうのがおれは大きらいさ。日本ゼロ年展のとか。なんのイベントもない、日がいい。あのときも、平日、すかすかしててゼロ感が最高だったぜ。この「山/完全版のいきいきセンター」の展示を訪れたのは、イベントとイベントのあいだのポッカリとした隙間の日だ。オープニングライブパフォーマンスの日なんかじゃないぜ。というか、会期全日が、おれたちにとっちゃイベントなのさ、そんなメッセージが、「マップ」の代わりに配布されるスケジュールにはあるように感じるぜ。
8月8日(土)に「山/びらき」と題されたオープニングライブパフォーマンスで華やかに始まったその翌日、日曜日が「おかたづけ」だ。集客の見込める日曜日が大胆にも「おかたづけ」に充てられているんだぜ。もしかしたらこれはライブパフォーマンスよりもライブ感があるかも、と思う。その次の日の「休館日」さえ、「なにかありそうだ」と思ってしまうほどである。わたしが訪れたのは、12日(水)で、「バンドセッション及びそれぞれのクリエイション(映像制作、サウンドスケープ展示、展示替等)」という日だが、メンバーがなまなましくその場にいて、あれこれ打ち合わせしているようだったぜ。複数の音がまさに「山」らしく見事にこだまするこの場所では、音響の調整が大変そうだったが、そういうのをクリアにしていたようだ。この写真のときだ。ヒョウタン型の映像は大阪市長橋下徹と在特会桜井誠の「意見交換」の模様の「カバー」作品ということだったがうまく聞こえなかったのだ。
毎日、何かある(休館日もある)。多彩なゲストが登場する日も、たのしみではあるのだが、わたしが注目したいのは、やはり、もう一度訪れる16日(日)の「おかたづけ」だ。それから、18日(火)の「映像展示」、19日(水)からの「絵画展示」だ。クロージングライブパフォーマンスもいいが、こういう日々にこそ、会場にいるメンバーに、ぜひ話しかけてみるといいぜ。
ちなみにこれは、伊藤存の共著
『標本の本』(青幻舎)の中に登場する動物をそっくりに粘土で造型したものだというぜ。この場所をぜひ世界自然遺産に推奨したい。
「山/完全版のいきいきセンター」
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA 2015年8月8日~23日